為政以徳
ヒロミがハイストン家の書庫で本を物色していると、ふと白髪の老人から声をかけられた。
その老人は、孔丘、字を仲尼と名乗った。世に「孔子」と呼ばれる、中国春秋時代の思想家であり、これより1000年以上前の人物である。
奇妙なことが、さらに起こった。
老人は言う。
孔丘
「人の己を知らざるを嘆くな。 君が人のことを知らないのを嘆きなさい」
論語学而第一16の言葉だった。
自分の周囲で異常なことが起こっていると直感したヒロミは、果たして自分はどう行動するべきか考えた。その問題提起が、思わず口に出てしまった。
ヒロミ
「私は……どうするべきか?」
孔丘
「徳をもって政治をすれば、北極星のまわりを他の星が廻るようにうまくいくものだよ」
子曰、為政以徳、譬如北辰居其所、而衆星共之――
これは、論語為政第二の最初の言葉だ。
かつて読んだ「論語」で覚えていた印象的な言葉だった。
つまり、自分は、「論語」の中にいるのか?
間違いない!
これは、能力による攻撃なのだ。
孔丘
「詩経300篇、これを一言で語れば邪な心がないということだ」
そのようなヒロミの驚愕を無視して、老人が言葉を続ける。
これは、論語為政第二の2番目の言葉である。
攻撃を受けているならば!
ヒロミ
「召喚するッ! 白銅の獣聖『迷い犬』!」
ヒロミの眼の前に、白銀の獣神が現れる。ヒロミの守護霊、『迷い犬』である。
孔丘
「む? それは守護霊! ここで何と闘おうというのか? 法律を伝えて刑罰をもって従わせようとすると、人民はこれを避けるために恥知らずなこともするようになるぞ」
この言葉も知っている。論語為政第二、3番目の言葉だ。
ふと、このまま、この老人、おそらくは孔子その人であろうこの大賢者で、しばしば語り合いたいという欲求にかられる。
だが、今は、すぐそばに敵がいて、能力で攻撃されているのだ。いつまでも本の中にいるわけにはいかない。
老人は、次に言葉を続けようとしたが、ヒロミはそれを遮った。
ヒロミ
「ごめんなさい。 その次の言葉は、道徳を伝えて礼を尽くせば、逆に人民は恥を知り正しい行いをするようになる、です。 私は、今、敵に襲われているのです。 こうしてお爺さんと議論しているわけにはいかないのです」
孔丘
「君は何歳になる」
ヒロミ
「14です」
孔丘
「14か――私は15歳にして学問を志した。君は、ここにいてさらに学ぼうとは思わないのか?」
ヒロミ
「友もまた、襲われているかもしれません。 先生の言葉は、書に触れてまた知ることができます。 しかし、友とは二度と会えないかもしれません。 だから、私は行くのです」
孔丘
「そうは言うが、君を襲っている敵はどこにいる。 君は何と闘おうというのかい?」
ヒロミ
「敵が見えないのは……敵が状態異常系の攻撃をしているからです。 状態異常の攻撃ならば、私の守護霊で防ぐことができます。 さようなら、お爺さん、私は元の世界に帰ります」
快癒!
『迷い犬』は、守護霊や術者に仕掛けられた状態異常を解除する能力を持っている。
ヒロミが陥っていたのは、幻覚と麻痺が融合するような状態異常であった。
これを『迷い犬』の能力で解除すると、眼の前にいた老人の姿が消失し、ヒロミの眼の前に一冊の本が投げ出されていた。
それは、孔子の「論語」であった。




