切磋琢磨
オットー=ハイストンとトニィ=ハイストンの兄弟が、キョウら4人を書庫に案内する。
固く閉ざされた書庫の両開きの扉、南京錠で厳重に閉ざされている。
それをオットーが、懐中から1本の鍵を取り出して、解錠した。
書庫の中は、暗い。
アスカ
「ずいぶんと、気味が悪い書庫ね」
ヒロミ
「何を言っているの? 書物は日光と湿気が大敵なの。 それにしても、ずいぶん広そうな書庫ね。 書棚がどこまで続いているかも見渡せない」
オットー
「ここにあるのは、最近の本のような形式から、ひと世代前の巻物の類、さらに古く木簡なんてものもある。 そういうものを一箇所で保存しているから、かなり広いスペースが必要なのさ。 どうしたの? 怖いのかい?」
アスカ
「だ、だ、だ、大丈夫よッ! さぁ、入るわよ」
本当は、薄暗くカビの匂いが充満したハイストン家の書庫の中に入るのが、ほんのちょっぴりだけ怖いのである。けれども、この程度のことに恐怖しているものと認めるのも恥ずかしい。
だから、アスカはあえて率先して書庫の中に入っていった。
その後にヒロミが続く。
ヒロミ
「すごい! これは……楚辞、文選、春秋左氏伝もある!」
書庫に一歩足を踏み入れると、とりどりの書名が目に入る。その蔵書数に、読書家のヒロミは我を忘れてしまった。
ゲン
「おいおい、ここに入った目的を忘れないでおくれ。 本に目を奪われるのは良いのだが、君たちはキョウの六叉の鉾に関連しないものを取り分けてくれないか。 とくに歴史書は注意してくれたまえ。 六叉の鉾はクダラ王からもたらされたという伝承のようなんだ。 だからクダラ記とか、とくにクダラ関連の文献を見つけたら、読まずに知らせてほしい」
ヒロミは「分かったわ」と答えたものの、眼の前の本の誘惑には叶わない。すぐに1冊の本を手にとって、フムムと熟読を始めてしまった。
気がつくと、自分の周りに人の気配がしない。
しかしそれも、これほど広い書庫の中なのだ。そういうこともあろうかと、とくに気に留めることもなく、再び読書に集中するのである。
???
「なかなか熱心に読んでおるのお」
声の主は、白髪の老人である。額がだいぶ後退している。
ヒロミ
「はい。 書籍は私に出会いを見せてくれるのです。 本を読んでいると、その作者と話している気分にさせます。 だから、読書をやめられないのです」
老人
「それは結構なことじゃ。 今、読んでいる本は、初めて読む本かな?」
ヒロミ
「いいえ。 昔、家にあったものを読ませてもらったことがあります。 しかし、父が『これは貴重なものだから』と言って、半分ぐらい読んだところで取り上げられてしまいました。 それをたまたま今日、同じ本を見つけたので、こうして読んでいるのです」
老人
「ははは、それはなかなか殊勝なことじゃ」
このやり取りから、ヒロミはこの老人がただ者ではないと直感した。知識に富み、聞けば何でも答えてくれるように思えた。
それでヒロミは、試みにこう聞いてみた。
ヒロミ
「貧しくてもへつらわず、富んでも奢らないというのが理想だと思いますが、どうでしょうか」
老人
「それも良いでしょう。 しかし、貧しくても人生を楽しみ、富んでも礼儀正しくあろうとする方が良いでしょう」
ヒロミ
「詩経に切磋琢磨という言葉がありますが、それはこのことを言うのでしょうか?」
老人
「それでこそ、詩経をともに語りあうことができるというもの。 君は、事を教えればその先まで見通してしまうのだね」
このやり取りをして、ヒロミはフフと微笑んだ。これは偉大の師匠に出会ったのかもしれないと喜んだのである。
同時に、ひとつの不安を覚えた。
私は――このやり取りを知っている。
この下り、ついさっき、読んだところである。
論語学而第一15に、これと同じやり取りがある。
そこでヒロミは、おそるおそるこの老人に聞いてみた。
ヒロミ
「先生、お名前を聞いてもよろしいでしょうか?」
老人
「ワシの名か? ワシは、孔丘、字を仲尼というのじゃ。 今後とも、よろしくな」




