この剣を床から抜いてみろよ
マール=ハイストンの屋敷の客間に通された、ゲン、キョウ、アスカ、ヒロミの4人。
革張りのソファに座らされて、主人のマールを待っている。
その4人が待つ客間に、足取りの覚束ない老人が、左右を侍女に支えられて、入ってきた。その背後を、オットー、トニィ、アズマの3兄弟が守っている。
このように厳重に守られて入ってきた老人が、ゲンが訪ねようと言った、マール=ハイストンその人であった。
マールは今年、75歳となる。この世界、この時代の人物としては古来稀に見る高齢者と言って良い。
マールの足が止まると、その体がプルプルと震えだす。すると、左側の侍女がサッと折りたたみ椅子を用意して、マールの背後に据えた。右側の侍女がその体を支えながら、ゆっくりと腰を下ろさせる。
老いている――
あまりにも老いていると、ゲンは思った。
自ら訪ねてみようと言い出したゲンであったが、マールと会うのはこの日が初めてであった。マールは、ハイストン家がプリスト家と名乗っていた頃から本宗家の筆頭であった。他方、ゲンやキョウは、150年前に謀反を起こしたモーリィ=プリストの末裔とされており、同じ旧スピリトル家の一派とはいえ、家格が違いすぎるのである。
だから、この日、マールと面会するまで、ゲンやキョウにとって、彼は雲の上の人であった。
それが、ただの小汚い老人となっているのである。
キョウは、露骨に失望の表情をした。
病なのだと、アズマが小声でゲンに伝えた。
マール
「オ……オヌシらは……?」
ゲン
「私は、このほど勅命でここフジワラ京の巨鬼退治を命じられた、ゲン=アルクソウドと申します。 そしてこの者が、キョウ=ボウメイクです。 ともに、プリストの者です」
アズマ
「あの、モーリィ=プリストの末裔でございます」
ここでアズマが謀反人の名を父のマールに伝えたのは、ゲンとキョウを蔑むためである。
だが、マールは耳が遠い様子だ。ゲンの口上もアズマの耳打ちも聞こえている風でなく、名を聞くのも面倒臭そうに、次男のトニィの顔を見た。突然の来客に緊張しているようにも見えるその眼差しは、「この客人をもてなすように」との合図だ。
そしてマールは、再び侍女に支えられ、さっさと自室に帰ってしまった。
トニィ
「そういう事だから、今日はゆっくりしていってくれたまえ。 寝所は、後で案内する」
キョウはこれに対して「気遣いは無用」と、さっさとこの場を立ち去りたい風であった。ゲンはそのようなキョウが前に出るのを片腕を広げて押し留め、自分たちがマールを訪ねた真の理由を説明した。
ゲン
「この六叉の鉾の事について、知っていることを教えていただきたいのです」
そしてゲンは、キョウに、ハイストン神殿で賜与された六叉の鉾を見せるよう言った。キョウは「その必要はない」と最初は断ったが、これをゲンが厳しく一喝すると、渋々とハイストン家の3兄弟に霊刀を差し出した。
刀剣マニアのトニィの眼が輝いた。
トニィ
「ほ、ほッ。 そ、その霊刀か? もっと、もっと、よく見せてはくれまいか」
オットー
「おいトニィ、お前、ヨダレが出ているぞ。 御婦人の前で、はしたない」
トニィ
「ハッ。 わ、私とした事が。 だが、その刀身を見せてほしいというのに下心はないぞ。 こ、これは鑑定なのだ。 決して、いやらしい気持ちで見るのではないのだッ」
このトニィの言葉使いに、アスカとヒロミは身震いした。その視線に、色狂いの男のソレを感じたからである。
一方、キョウの方は、自分が手に入れた霊刀にここまで執心されて、悪い気はしていない。口では「簡単に見せて良いものではないのだが」などと勿体ぶるわりには、あっさりと六叉の鉾を鞘から抜いてみた。
剣身の左右に段違いに3本ずつ6本の枝刃を持つその刀身が顕になった。
その得意げに霊刀を見せびらかすかのようなキョウの態度を、三男のアズマは気に入らない。
アズマ
「やい、こんな霊刀、貴様ッ! どこで手に入れたッ! これは、お前たちのような下賎の者が手にして良いものではないッ!」
この言葉に、キョウはまたもカッとなったが、すぐに返す答えを思いついた。キョウもまた、アズマのことを、家名がなければ何もできない、ひ弱な男と見下しているのである。
キョウ
「オレの事を下賎と言うが、ならば貴様はこの剣を扱えるのか?」
そしてキョウは六叉の鉾を床面にブスリと突き立てて、「やれるものなら握ってみろよ」と差し出してみせた。
アズマ
「何をッ! 何だいッ! こんな剣!」
ところがアズマが剣の柄をつかもうとすると、バチッと電気が流れたような衝撃があり、拳が反発してしまった。
トニィ
「おぉ、これぞまさしく霊剣。 それも、相当強い霊力だ」
今度は、二男のトニィが剣の柄をつかもうとした。トニィはこれを握ることはできたが、しかしその握った拳からみるみる力が吸い取られ、キョウが突き立てた六叉の鉾を床から引き抜くことはついにできなかった。
オットー
「なるほど。 この霊刀は、すでに持ち主をキョウ君に決めているらしい」
アズマ
「だとしたら、これはとんでもないことだ。 この六叉の鉾は、元々はハイストン家の家宝のひとつ。 それを分家のガキの所有に帰することはあってはならないッ」
アズマは収まらないようだが、キョウが「そこまで言うなら、この剣を床から抜いてみろよ」と挑発する。アズマは「やってやるよ」と何度か挑戦してみたが、何度やっても剣の柄を握ることができなかった。
ゲン
「このような霊刀で、おそらくは強力な守護霊が封印されているはずなのです。 それは、これからの巨鬼退治にきっと役立つことでしょう。 ところがキョウはその守護霊を召喚できないでいます。 そこで、どうにかこの六叉の鉾の事をもっとよく知りたいと思うのです。 それが今日、我々がハイストン家を訪問した目的なのです」
オットー
「君たちの目的はよくわかった。 だが、私たちもこの霊刀のことはよく分からない。 そうだ、わが屋敷には、伝来の書物を集めた書庫がある。 その中を調べれば、何か分かることもあるかもしれない」
そこでオットーは、キョウら4人に、ハイストン家の書庫の中を調べてみないかと提案した。
「150年前に謀反を起こしたモーリィ=プリスト」というのは、物部守屋のことです。西暦587年に蘇我馬子と対立して内乱を起こしているのですが(丁未の乱)、物語の言うところの「謀反」とはこの事です。この物部守屋は母親が弓削氏と言われています。道鏡も元は弓削氏のようですから、ここに物部氏との関連があると考えました。




