第6話『雨宿りって、復讐』
それから私たちは、公園内にある公衆トイレへと避難した。
「おら、薫子、動くんじゃねぇ」
「う~ん」
私は薫子の後ろに立ち、ハンカチで首元を拭いてやる。
くすぐったいのか。ずぶ濡れになった彼女は、拾われた野良猫のように身をくねらせた。
続いて、髪を拭く。
薫子のふんわりとした長い髪は水滴が付いており、雨水を吸って重くなってしまっていた。
私はふと、目の前を向く。
洗面台の鏡に私たちが映っていた。
ブレザーの隙間から、透けた薫子のワイシャツが見える。
私はすぐに目を逸らした。
「律ちゃん、わたし、自分でやるよ……」
「良いんだよ。私に任せとけ」
そう言い、私はハンカチで髪をポンポンと軽く叩き、水分を吸わせていく。
薫子はきっと、ハンカチを持っているのだろう。
でも、私はわざと自分のハンカチで彼女の体を拭いた。
――そうしたかった。
くしゅんっ、と、薫子が可愛げのあるくしゃみをした。
「あの雨の中にいたから、体が冷えたんだろ」
「だって、律ちゃんに会いたかったから」
「……ばーか」
「うぅ、酷いよ」
「そもそも、なんで私の電話に出なかったんだよ」
「え、電話してくれてたの?」
「あ? 気が付かなかったのか?」
薫子がスカートのポケットからスマホを取り出し、画面をタップする。
しかし、スマホは反応しない。
「あれ?」
首を傾げながら、薫子は側面にある電源ボタンを押す。
すると、画面には空になった充電池と充電コードのマークが表示された。
「あ、充電切れだった。……えへへ」
「こんの、馬鹿っ!」
「ひぃっ!」
無性にムカついたので、私はゴシゴシと強い力で薫子の髪を拭いた。
「痛い! 痛いよ! 律ちゃん! ごめんなさい! ごめんなさい!」
「次から気を付けるか⁉」
「うんっ! 次から気を付ける! 絶対! 神に祈って気を付ける! ……くっしゅん」
「ったく。ほら、これ」
と、私はパーカーを脱ぎ、薫子へ差し出した。
「着とけ、風邪ひくぞ。それに、濡れたブレザーを着続けるのも嫌だろ」
「……」
薫子は黙ったまま、パーカーを見つめ続ける。
「んだよ。私のは嫌かよ」
「ううんっ! 着る! 絶対に着るっ!」
そう言い、薫子はパーカーへ飛びついた。
なんなんだ、こいつ。
これ、普通のパーカーだぞ?
薫子は濡れて重くなったブレザーを脱ぎ、パーカーを羽織る。
薫子にはだいぶ大きなサイズらしく、すっぽりと被せられたような印象となった。
「子供が親の服を着せられたみてぇだな」
「そ、それはちょっと酷いよ!」
「ああ、わりぃわりぃ」
「わたしだってこの身長、気にしてるんだよ……。――でも」
まるで服自体を抱きしめるように、薫子は両腕を胸の前で組み、
「この律ちゃんの匂いに包まれている感じ、好き」
と、言った。
「……そーかよ」
「でも、律ちゃんは寒くないの?」
「私は元々暑がりだし――」
「あ、律ちゃん見て!」
「聞けよ」
薫子は公衆トイレの出入り口へ近づき、とある方向を指差す。
追いかけ、指差された方を向くと――遠くの雲が切れ、合間から光が差し込んでいた。
「このまま晴れるかもな」
「虹が見れるかもね」
「ガキ」
「律ちゃんのおばば」
切れ目は広がっていき、街並みを優しい光が照らしていく。
その様子をしばらく眺めていると、「よいしょ」と、薫子が私の前に背を向けてしゃがみ込んできた。
こちらへ見上げて振り返り、チラチラと物欲しそうな目を向けてくる。
「んだよ」
「い、いや、別に……」
「いいから、言えよ」
「……パーカー、あったかいけど……でも、まだちょっと肌寒いなーと思って……それで……」
「――ハァ、ちゃんと言え。このまま帰るぞ」
「わ、わかったから! 帰らないで!」
縋るように、薫子が私の服を掴んできた。
「ったく。ほら、さっさと言え」
「えっとね……まだ肌寒いから……抱きしめて、あっためてほしいなーって……」
「……」
私は驚きのあまり、何も言うことができなかった。
「あ! ご、ごめんっ! 嫌だよね! 忘れて良いから! ちょっと言ってみたかっただけで! えへへ……」
と、誤魔化すように、薫子は笑った。
一瞬、逡巡したが、私はすぐに決めた。
「……雨が降っている間だけだぞ」
そう言い、私は薫子のすぐ後ろにしゃがみ込む。
そして、薫子の前に腕を回し、包み込むように抱きしめた。
回した手に、濡れて冷えたシャツが当たる。
一枚向こうから、彼女の微かな体温を感じ取ることができた。
私の心臓の鼓動が薫子へ伝わってしまわないかと、それだけが心配だった。
「これで満足か?」
「――うん。暖かい」
「あんまり、私が幸せにされるっていう感じはしねぇけどな」
「確かに……人を助けた時の優越感で幸せになるってことにする?」
「お前、図太くなったな」
「えっ、そ、そう?」
「私が転校する前はもっと、おどおどしてた」
「……それじゃあ、律ちゃんのおかげかも」
「私?」
「自分じゃあ、よくわからないけど……この公園で律ちゃんに会うようになってから、わたし、元気なんだ。あの学校に居ても、苦しくない」
また、律ちゃんに助けられちゃった。
と、薫子は振り返り、いつもの笑顔を向けてくれた。
――変わっているのは、私だけじゃなかった。
その事実がとても嬉しく、いとおしかった。
「気持ちだけじゃなくて、体も軽くなったような気もする」
「それは単純に痩せただけだろ。もっと身長縮んじまうな」
「律ちゃんのノンデリ」
「薫子の保健室登校」
「律ちゃんの不登校」
私たちはお互いに向き合い、そして笑った。
声に出して笑ったのは、本当に久しぶりだった。
いじめてきたクソども。見ているか。
私は、私たちは――こんなにも幸せなんだ。
ざまーみやがれ。
空から降り注ぐ光が増していく。
山並みの稜線が光り、際立って見える。
ここに来たばかりの頃は、盆地が牢獄に見えた。
でも、今は違う。
優しく包み込んでくれる、そういう景色なのだと気が付いた。
私は薫子を抱きしめながら、雨雲が流れていくのをしばらく眺める。
そして、私は思った。
きっと、薫子がいてくれるところが、世界で一番怖くない場所なのだ、と。
〈完〉




