↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
1/6

第1話『再会って、復讐』

 

 私は、『登校』に殺される。


 朝の八王子駅のホーム。

 その端で、私はうずくまっていた。

 バタン! と、大きな音を立てながら扉が閉まり、電車が定刻通りに発車する。

 私――瀬尾律をホームに残して。


「……クソ」


 私はうずくまりながら、呪うように呟いた。


 春になったはずなのに、まだ朝は肌寒い。

 ベリーショートによって露出する首筋や、スカートから伸びた素足に風が吹き付け、少し辛い。

 耳に付けている大量のピアスが、氷のように冷たかった。


「クソ……クソ……」


 忌々しい記憶が、無遠慮に頭の中で流れる。


 ――彼女たちの笑い声。

 便器の中に突っ込まれた弁当箱。

 机の上に書かれた落書き。

 髪を引っ張られたときの、あの痛み。


 心臓の鼓動がどんどん激しくなっていく。

 全身に倦怠感を覚え、ワンピース型の制服がやけに重い。


「……動けよ」


 私は、石のように固まった足を拳で殴る。


「動けッ!」


 もう一度、今度は少し強く殴る。

 太ももに鈍い痛みが走る。

 それでも、両足は動かない。


 ただ、登校するだけなのに。

 どうして、私にはできないんだ。

 うぜぇ。こんな自分が嫌になる。マジでキモい。


 ――と、その時。


「瀬尾ちゃん?」


 弱々しく、控えめな声が聞こえた。


「だ、大丈夫?」


 声の主が私に近寄り、優しく背中を擦ってくる。

 私は息を整えながら、ゆっくりと顔を上げた。


 私の近くにしゃがみながら、心配そうな表情で顔を覗き込んでくる、一人の少女。

 袖が余ったブレザーに、背中まで伸びた、ふんわりとした長い髪。

 そこには――矢野薫子がいた。


「なんで……てめぇが……」


 わけがわからなかった。

 どうして、こんなところに薫子がいる?


「……どうして……ここにいる?」


 私はもう一度、薫子に向けて訊いた。

 薫子は目を伏せ、一瞬、逡巡した様子だったが、すぐに質問に答えた。


「ど、どうしようか迷ったんだけど……、ちゃんとお礼言わなきゃと思って……、それでね、瀬尾ちゃんに会いに来たんだ」


 えへへ……と、照れ隠しのように、薫子は笑った。

 にへらとした、その笑顔を見たとき、体が軽くなったような気がした。


 薫子のさらに向こう、天井から吊り下げられたアナログ時計が目に入る。

 時刻は午前八時五十分。

 朝のホームルームが終わり、既に一時間目が始まる時間となっていた。


   ◇◆


「瀬尾ちゃん、本当にもう大丈夫?」


「……ああ。もう、平気」


「つ、辛かったら言ってねっ! わたしが何とかするからっ!」


「ああ……」


 返事が不満だったのか。

 薫子はズイッと私の方へ体を寄せ、


「ほ、ほんとだからねっ! ちゃんと教えてねっ!」


 と、言ってきた。


 わんぱくな子犬のような明るさの、薫子。

 私の記憶の中では、もっと大人しいイメージだった。

 二人っきりで話すと、のびのび話すことができるのだろうか。


「……わーったよ」


 私は、ハァとため息をつき、めんどくさそうに返事をした。

 薫子は満足そうに頷く。

 そして再び、にへらと、気の抜けた笑顔を向けてきた。


 満開の桜の木に囲まれた公園。

 そこへ続く、細い階段。

 その最上段に、私と薫子は並んで座っている。


 八王子駅のホームで薫子と再会した後、私の案内で、高台にあるこの公園まで来た。

 一刻も早く、あの駅のホームから抜け出したかったから。


「ここ、良い公園だね」


 そんなことを言いながら、薫子が上へ手を伸ばし、舞い散る桜の花びらを掴み取ろうとする。

 しかし、花びらはするりと薫子の手を避け、地面へ落ちた。


「……ここは私の安全地帯だ」


 ふと、私は呟いた。


「安全地帯? お母さんがよく聞く、あれ?」


「ちげぇよ。バンドじゃねぇ。言葉通りの意味だ」


「……誰からも、傷つかない場所」


「ああ、そうだ。――私はここでしか、上手く呼吸することができねぇ」


 学校に行けない。

 電車に乗れないから、駅にもいられない。

 息が詰まるから、家にもいたくない。

 だから私は、この公園に来る。

 ここなら静かで人も少なく、安全だ。


 欠点があるとすれば、それは、公園からの景色。


 街の向こうに見える、山並み。

 それは途切れる事なく、左右にひたすらに伸びていき、この辺一帯をぐるりと取り囲んでいる。

 八王子市に引っ越したとき、盆地を初めて見た私はこう思った。

 ――牢獄みたい、と。


 でも、そんなものは目を瞑ればいい。

 重要なのは、絶対に他者から傷つけられない安全な場所だということだ。


「瀬尾ちゃんはここで、何をするの?」


 と、薫子が無邪気に訊いてきた。


「……別に、何もしねぇ」


「何も?」


「ああ、何も」


 何もしない。

 時間が過ぎるのを待つ。

 私は、檻に閉じ込められている。

 あの頃から、一歩も進めていない。


 ――半年前のあの日、私はいじめの現場を目撃した。

 いじめられていたのは、薫子だった。


 その時、私にとって彼女はただのクラスメイトで、話したことも無かった。

 でも、いじめられるほど悪い奴じゃない。

 私はそう思った。

 だから、私は間に入って薫子を助けた。


 それからだった。

 いじめの矛先が、私に向いたのは。

 物を隠され、制服を汚され、髪を切られた。

 そして、二年生へ進級すると同時に、私は八王子市の私立校へと転校した。

 しかし、転校してから一度も登校できていない。

 行こうと思うと、足がすくんでしまう。

 そして電車を見送り、私は逃げるように、この公園へやって来る。


「無様だよな」


 と、自らを嘲笑するように、言った。


 私は薫子に全ての責任を押し付けたりしない。

 厄介なことに首突っ込んだのは、私だ。

 全部、私の責任だ。

 ……そう思い込むことが、私なりの現実逃避だった。


 沈黙。

 チラリと横に座る薫子の方を見る。

 彼女は何を言うべきなのかわからず、黙り込んでいた。


 木々のざわめきが私たちを覆う。

 ……ああ、そうだな。

 こんなことを薫子に言っても、しょうがない。

 そう思い、自分の発言を後悔したその時。


「――だ、だったら!」


 と、決心したように、薫子は突然立ち上がった。


「わたしが! 瀬尾ちゃんを幸せにする!」


「……はぁ?」


「毎日! ――は、無理だけど……、でもっ! なるべくこっちに来るよっ! 出席日数なら、なんとかなるしっ! ここでもっと沢山話そうよ! 遊ぼうよ!」


 薫子がいまだ通っている新宿区の高校からここまで、一時間以上かかる。

 それをわざわざ学校を休んでまで来るなんて……


「なんでてめぇが――」


「わたし、瀬尾ちゃんに救われたからっ!」


 必死になった薫子が、言葉を被せてきた。


「大きな恩があるからっ! 仁義を通さないといけないからっ! だからっ!」


「んなことすんな」


 思わず、叱責するような言い方になった。


「で、でもっ!」


「しゃしゃり出てくんな。殺すぞ」


 薫子が息を呑んだのが、すぐにわかった。


「勝手に会いに来て、幸せにするとか言って、余計なことすんなよ。マジで」


 いじめから救った少女が会いに来てくれたというのに。

 彼女を傷つけたくないのに。

 こんなこと、言いたくない。


「――私、怖いんだよ。幸せになるのが」


 もし、彼女が会いにやって来て、幸せになったら。

 もしまた、幸せが崩壊するようなことが起きたら。


「私はきっと、今度こそ、立ち直ることができねぇ」


 だったら、不幸のままでいたい。


 うつむき、足元にあるぺしゃんこになった桜の花びらを見つめる。

 薫子と目を合わせることができない。勇気が出ない。

 時が止まったような沈黙が、しばらく流れた。


「……うっ」


 突然、漏れ出たような声が聞こえた。

 目の前のコンクリートに水滴が落ちる。

 顔を上げると、薫子が泣き出していた。


「な⁉ はぁ⁉」


 私は思わず、驚きの声を上げた。

 なんでこいつが泣き出す⁉


「ひっく……うぅ~……」


 ポロポロと、大粒の涙が薫子の瞼から溢れ落ちた。

 薫子は鼻を啜りながら、スカートのポケットをまさぐる。

 しかし、ピタリと動きを止め、


「……ハンカチ、忘れたぁ」


 と、小さな子供のように、困った顔を向けてきた。


「何やってんだよ……」


 まったく、絶妙に緊張感が続かねぇやつだ。

 私は自分のハンカチを取り出し、薫子に渡した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。