第五章:`Deploy Complete`
深夜二時のコンビニのバックヤードは、冷蔵庫の低周波と蛍光灯のハムノイズだけで成立していた。
最後のシフトだった。
段ボールの底を膝で押さえてカッターを走らせる。手が動く。体が覚えている。イヤホンは今夜、両方とも胸ポケットに垂れていた。
品出しを終わらせた。レジを打った。床を拭いた。全部いつも通りにやった。
休憩に入って、バックヤードの椅子に座った。
スマホを取り出した。
シズの切り抜きチャンネルを開いた。一番再生数の高い動画を開いた。二年前に上げたものだった。シズの雑談配信から切り出した七分間。タイトルをどうしようか迷って、結局そのままの言葉を使った。「近所に新しいカフェができた話」。
再生数が四十七万だった。
サムネイルを見た。自分が選んだ一瞬だった。笑いかけてやめた、あの間の直前の顔。誰も切り抜いていなかった場所。
再生ボタンは押さなかった。
コメント欄を開いた。
新しいコメントが積み重なっていた。炎上の余波で流入したものもあった。でもそれだけではなかった。無関係な人々の言葉が混ざっていた。シズを知らない人間たちが、この七分間だけを見て、何かを書いていた。
*この子の配信見てなかったけど切り抜きから入りました*
*笑い声が好き*
*落ち込んでるときに見るとなんか元気出る*
*もう見られないんだ、残念*
*誰かの声がずっと残るのって、なんかいいな*
見知らぬ人間たちが、見知らぬ人間の声について書いていた。
彼はその言葉を読んでいた。
シズの声を聴いたことのない人間が「笑い声が好き」と書いていた。それは彼が編集した七分間から拾った言葉だった。彼が切り出したタイミングで、彼が選んだフレームで、彼がサムネイルに設定した一瞬が、知らない誰かに届いていた。
切り抜きを始めたのは、他の誰もわかっていなかったから、自分がやるしかないと思ったからだった。
Shizuを作ったのも、同じ回路だった。
形が違った。歪んでいた。歪み方が違いすぎた。でも根っこにあったものは、ずっと同じだった。誰かが誰かに向けた声を、別の誰かへ届けようとしていた。ただそれだけだった。
スマホの画面が暗くなった。
無意識に別のページを開いていた。GPUのレンタルサービスだった。
今度は失敗しない、と思った。あのときの経験がある。パイプラインの限界も、ハルシネーションの対処も、オペレーションの限界も、全部わかっている。Shizu-2を作れば、もっとうまくやれる。
画面を見たまま、止まった。
うまくやれる、の先に何があるのか。もう一度同じことが終わるだけだった。終わらせたくなければ、永遠に続けるしかない。それはシズを終わらせないために始めたことだった。でもシズはもう終わっていた。終わっていたのに、終わらせなかった。その結果がShizuだった。Shizu-2を作っても、同じことだった。終わらせられないまま、また誰かの声を抱えて、また一人で動かし続けることになる。
閉じた。
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シフトの残りを終わらせた。最後の品出しを終わらせた。バックヤードを出る前に、一度だけ振り返った。蛍光灯がハムノイズを立てていた。冷蔵庫が低く唸っていた。
何も変わっていなかった。
でも自分は、ここに来た最初の夜とは違う人間だった。同じ場所に立っていた。全然違う場所に立っていた。
店長に鍵を返した。
外に出た。夜明け前の空が、少しだけ白んでいた。
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翌朝、机の前に座った。
再就職の面接が午後に入っていた。エンジニアの仕事だった。嫌いだった仕事だった。でも今度は自分で選んでいた。それだけが違った。それだけで十分だった。
午前中の時間を使って、新しいフォルダを開いた。
別の配信者のアーカイブを読み込んだ。シズではない。Shizuでもない。今も活動している、別の誰かの声だった。
動画を再生した。三十秒ほど聴いた。
悪くなかった。
カーソルを動かして、最初のカット点を打った。
Shizu-0304のサーバーランプが点滅していた。
`/archive/`ディレクトリは消えていなかった。




