第1部 ハルカ 8
久世が会社のデスクで熱心に中池遥の画像を検索している。
デザイナーにまかせたプレゼン用サイトのデザイン、動作の最終チェックも問題なく終わった。今日はもう他にやらなければならないこともないし、早く帰れそうだ。あとは上田の誘いだけだな。プレゼンの前日になると企画意図やらデザインコンセプトに関してすり合わせをしておこうと言い訳のような前置きをつけ加え、「あとで、ちょっと行かんか。社員食堂」と上田が右手に見えないグラスを傾けながらやって来るのである。
10人しかいない会社に社員食堂などあるはずもない。社員食堂というのは会社がある渋谷、円山町の行きつけの居酒屋のことだ。
プレゼンのすり合わせなど店に入って5分も経たないうちに終わってしまい、すぐに上田が久世の仕事をねぎらうような酒になる。そして久世も上田にねぎらいの杯を勧める。同い年のふたりは高校までサッカーをやっていて大学ではサーフィンという共通の話題があるので、そのうち青春時代のサッカーやサーフィンの昔話になり、映画や小説、音楽の話になり、最後は右目で右手のビールを口に運びつつ、左目で左手の腕時計を気にしつつ、ぎりぎり終電に乗ることになる。
いつものことだ。上田が誘いに来たらひさしぶりに飲んで帰るかと思いながら、久世はもっといい画像はないか探していた。
「中池遥って、可愛いですよね」
久世は、死ぬほど驚いた。
いつの間にか祥子が後に立っていたのだ。久世のデスクはすべてガラス張りになった南側の外壁を背にしているので後に誰かいるなど滅多にない。いつの間にどこからやって来たのだ。ビルの谷間から西に傾きはじめた冬の透き通った陽射しが背中を暖めてくれていると思っていたのに、そこには逆光でややシルエットになった伊藤祥子がいた。
「びっくりさせるなよ」
ほんとうに心臓の鼓動が自分でもわかるほど驚いた。もしかすると、軽く飛び上がっていたかもしれない。いつでもプレゼン用サイトのウィンドウに切り替えられるよう準備していたのだが、まったくもって油断していた。
「すみません」
予想以上に久世を驚かせてしまったので、祥子のほうこそ慌てた。
「いや、ちょっと、打ち合わせで代理店のひとと話してたとき、中池遥っていいね。オーラがあるよねって話になって」もちろん咄嗟のまずい言い訳だったが、もう遅い。「どんな女の子かと思って」
24インチワイドディスプレイには、上下にスクロールさせないと全部入りきれないほど大きな中池遥の画像が出ていた。しかもウィンドウの中の中池遥は水着姿でちょっとしなを作ってこちらに笑いかけているのだ。その下にはまだ4、5枚画像が隠れている。もしや、これらを捜しているときからずっと後にいたのでは。久世はしどろもどろである。
「今、人気急上昇ですもんね」
祥子は意地悪にも見えそうな笑みを浮かべている。
「そ、そうなのか?」
おそらく後でずっと息を潜め、中池遥の画像を検索していたのを見ていたに違いない。
「2、3話しか見てませんけど、コミック原作のドラマが評判よかったみたいですね。もう終わっちゃいましたけど」
「へえ」
「若いひとはみんな、遥、遥って言ってますよ」
「ふうん」
そんなに人気があるアイドルだとは全然知らなかった。なんだか自分の恋人を横取りされたような気さえした。
「いや、あの、久世さんが若くないってことじゃないですけど」
「・・・」
「久世さん、好きなんでしょ。こういうタイプ」
祥子はどうやら自分がちょっと優位に立っているのを感じ取ったようだ。
久世はまるで祥子に浮気の相手でも見つけられたようにどぎまぎしている。なぜかそんな気持ちになってしまう自分に腹を立てた。
「まあ、可愛いけど、10代のお嬢ちゃんだからな」
どうも久世は祥子を苦手とするところがあった。思いやりのあるいい女なんだが、祥子といるとなんとなく母親に付き添われているような気になるのだ。すべて見透かされているようなのだ。たった今この中池遥の画像を見られたときも、絶対ばれないように隠してあった個人所有の秘蔵本を母親に見つけられたような気分だった。巧妙に隠したつもりでいるほど、そのときの羞恥、屈辱、失望、罪悪感と言ったら。
「これ、明日のプレゼンの企画書と見積書なんですけど、上田さんが1部渡しといてくれって」
ちゃんと仕事しなさいよってことか。「ああ、ありがとう」
「上田は?」
「出先から直帰だそうです」
祥子は久世を振り返りもせず、すたすたと行ってしまった。
まさか水着姿の中池遥にやきもちを焼いているんじゃないだろうな。なぜかちょっと機嫌を損ねた祥子が自分の席に戻ったあと、久世はもう一度背後を確かめた。中池遥の画像のウィンドウをひとつずつ閉じていった。




