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第1部 ハルカ 2

 久世は渋谷の円山町にあるウェブサイト制作会社に勤めている。10人ほどしかいない会社だが、クリエイティブディレクターとして制作のすべてをまかされていた。仕事はできるし、稼ぎも悪くない。37才、まだまだ独身を楽しんでいられる年だと思っているが、中年への歩みは陽が西に傾くにつれて伸びる影のように意外に速く忍び寄ってきた。学生時代の体型をそのまま維持しているつもりでも、やはり会社帰りの居酒屋で仕事仲間とビールを飲んでいるときなど、徐々に張り出してくる下腹をつい撫でてしまうのだ。そして、こめかみに白い髪を見つけては、忌々しげに引き抜く。これも致し方ない。避けられないこともある。

 老化現象があちらこちらに見えはじめたものの、37才という年齢よりはずっと若く見えるほうだった。おかげで、みっともなくて女も寄りつかないという中年にはならずにすんでいる。実際、社内のデザイナーの祥子はひと回りも年下だが、久世に気があるようなのだ。しかし久世のほうはというと、そんなことにはまったく気づかぬ素振り。営業の上田に「おい、久世。祥子だがな、おまえに気があるんじゃないか?」などとからかわれても、「そうか、おれもそろそろ四十郎だがな」と顎をさすり、とぼけるだけだ。久世と同い年の上田慎吾には妻も子供もいるのだが、あいつこそ所帯持ちのくせに祥子に気があるに違いない、と久世は睨んでいる。

 伊藤祥子は穏やかな性格で、仕事も丁寧で几帳面にこなす。顔立ちは整っているし、スタイルだって悪くない。だが初対面のひとには不愛想で冷たい女という印象を与えてしまう。それは人見知りのせいで、いつも伏し目がちでいることとなかなかほぐれることのない薄い唇のせいだ。何度か顔を合わせて打ち解けてみると、明るくてやさしい女だということはすぐにわかる。祥子なら若い男たちが手をあげて群がってきてもおかしくなかった。

 確かに祥子と付き合えば、それなりに楽しくうまくやっていけるだろうことは久世にも想像できた。ただ、心が動かないのだ。そんな中途半端な気持ちで付き合いはじめたりすると、あとで厄介なことになるに違いない、と久世はさきのことを考えてしまう。ただでも女という生物は付き合いにくいのに、10人しかいない社内で毎日顔を合わせなければならないのだ。面倒臭いことになるに決まっている。

 言い寄る女がいないわけでもなく、いまだ独身だからといって久世が女を避けているわけではない。これまでにも何人かと付き合ったこともあるが、どれも長続きしなかった。やはり、心が動かないのだ。それを女に見抜かれてしまう。結局ああだこうだと言われながらも去っていった女に解放されたような気分になり、かえってほっとするのだ。

 それが、久世圭介という男だった。

 そんな久世が暮らしているのは根津の不忍通り沿いにある12階建てマンションで、部屋はその11階。ベランダからは遠く東京ディズニーランドの花火を見ることができた。高層階から眺める景観は気分のいいものだが、地べたからずっと離れて暮らしていると精神衛生上悪いのではないだろうか、とも感じている。地に足が着いていないとは、こういうことではないのか。

 久世はなるべく家具というものを持たないようにしていた。ファッションに凝るほうではないし、食器なども最少限度必要なものしか持っていないので、服は備え付けのクローゼットで充分だし、食器棚など必要なかった。書斎にもなっているベッドルームにはコンピュータのためのデスクと椅子があるだけで、ベッド代わりにはダブルサイズのマットレスを直接床に敷いている。10畳ほどのリビング・ダイニングにはテーブルと椅子が2脚、あとはテレビやオーディオ機器を収めるラック以外ほとんど家具らしいものがなかった。書棚もない。本やCDは裸のまま壁際にうずたかく平積みされていた。

 はじめて久世の部屋に訪れた友人たちの最初の感想というのが、みんな大体同じだった。

「モデルルームでも、もうちょっと生活感があるぞ」

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