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えーと、お母さんか、今までの世界か、どっちを選べ…って、もうすでに前提からしてよくわかんないです。ママ。それ、そもそも選べるようなもんなの?ねぇ。
う、うう、絶対にこの雰囲気なら「わからないっていう言葉は許さない」って言いそうだし、混乱してるからって泣いてる暇もなさそうだし…。
生活、って。学校に行けなくなるってことでしょう、か。明日からみよちゃんたちと遊べないって、そういうこと?宿題がないってことはマシだけど、でもそれって勉強から逃げられるわけではないんだよね?多分。お母さんの性格から行くと。
つまり、そのあたりから踏まえて、おばあちゃんちとか学校とか、そういうところがなくなる…のかな?
じゃあ、お母さんは?
私がこっちを選ばなかったら、お母さんにはもう、会えなくなるの?
「ゆき」
フラットな、何の感情もこもってないお母さんの声に、いつのまにか下を向いていた顔を上げました。………まじまじ見るとお母さん、目の色が微妙に違いますけど。なんというか、……なぁ、今まで黒くなかったかな、お母さんの目って。どうして今はそんなに赤いのさ。
目の中の白い部分じゃなくて、黒いはずの部分が赤くなってるお母さんの光彩に、その変化に、不思議なことに背中を押された気がしました。
自分でも感心するくらい、落ち着いた声でお母さんに確認します。
「…今までの生活を選べば、ママに会えなくなる?本は?」
本!?そこかよ!っていう突っ込みは弟から入った脇腹の手刀で理解して受け流しておいて、大事なことなのでお母さんの目を見たまま答えを待ちます。
いやいやいやいや活字、大事じゃない?絶対に、お母さんにとっても。
「そうね、そうなります。本については……これは、どうにかしましょう。質は約束できないけど。次、月」
ほら、やっぱり。げっ、ていう顔を一瞬だけどお母さんもしましたよ。忘れてたんだな、あの反応は。
「……僕は、ママのそばを選びます」
弟は予想通り。っていうか、あの子がお母さん以外を選んだらそっちの方がびっくりだわ。ありえないっつーの。
「ふむ。では後で詳細を詰めます。次、はな」
「パパは?!ご飯はどーなるの?!」
…なんていうか、自分に素直な突っ込みをどうもありがとう、という気分です、おねぇちゃんは。うーん、でも、気になるよね、やっぱり、そこ。
「……ん、良し。あなた達があちらを選ぶのなら当然、向こうにあの人を残します。あなた達の生活は今まで通り。ただ、私がいなくなるだけ」
「はぁっ?!…………おねぇちゃんは?」
長い長い沈黙の後で、妹が私に振ってきました。やれやれ、この流れ的に答えだってわかってるだろうに。言葉でも念押ししたいんだろうか、この子。
「ゆき」
と思っていたらお母さんから答えてやれと促されました。どうでもいいけどお母さんが余裕もなく切羽詰ってるときって大概、恐ろしく高飛車な態度になります。動きもゆったりとして最小限、目だけで会話とか当たり前のように飛ばしてきますよ。
魔王ならぬ魔女として、実はひそかに私の学校では呼ばれてるくらいです。暗黙の了解で誰も自分の親には言わないみたいですけど。私と、それから弟のクラスでは確実に魔女と言えばお母さんのことですね。
どうして女王じゃないかっていうと、一言でいうと『邪悪そう』だから。
いや、いいんですけど。
「…そうだね。ママ、かな」
そんなことを考えてると返事が遅れました。きちんと妹と視線を合わせて伝えます。一応、『お前もお母さんを選べよ』って目で伝えたつもりですけど。通じてるかな?
「はな」
「………………じゃぁ、はなも、ママ、で」
「よろしい」
お母さんの確認に、おっそろしいほど渋々と妹がお母さんを選びました。
ああそうだ、こんなところで言い訳しますけど私たちの一人称がそれぞれの名前なのはお母さんからの要請です。実は本当に私たちの声が似通ってるらしくて、声だけでは誰が誰の発言だかわからなくなるんだそうです。…目を合わせて会話してる時なら不便はないんですけどね。
だから今は弟も僕って言いましたけど、家の中では一人称を「つき」で通してます。一人称が自分の名前とかそろそろ恥ずかしいんですけど、その辺りは声変りを私と月が済ませてから…いや、私は女の子なので露骨には変わりませんけど…まぁ、おいおいと変えていけばいいと結論は出てるんですよね。ずいぶんと前に。
「では、仮召喚を続ける。四番目、御園、あきら」
納得したのか、お母さんが宙に向かって宣言してから、今までと同じようにして、光ってる床の下に手を突っ込みました。
さて、今まで言ってませんでしたが、私たちがいるこの場所、小学校の教室を少し縮めたくらいの広さの床一杯に円を描いて、その円周に沿ってぐるりとびっしり、模様が描かれてるんですよ。で、円の中心に私たちがいるわけです。
えっと、私が読んだファンタジー系の小説で説明するなら円陣というか、あれだ、魔法陣のような感じなんです。
そして、そのびっしりと描かれた字というか模様が、ほんのり緑色に発光してるんです。きっと暗闇の中なら幻想的な光景になりますね。
……お母さんが時々している、怖いゲームに出てくるような映像効果で光ってる魔法陣。そこから出てきた私の弟妹。考えるとそれこそ怖い結論になりそうで、うん、今は棚上げしたいんです。だから状況把握のための脳内実況なのにあえて言わなかったわけですが。
あのね、お母さんはこの陣に躊躇なく手を突っ込むんですよ。それも怖くないですか?物理法則とかどこ行った?!って感じですよね。この形相のお母さんに聞くほどやばい真似はしたくないので口はつぐみますけど。きっと後から説明してくれると思うし。
弟と妹を呼び出したときのことを思い出すに、たぶん私もそうやって引きずり出されたんだろうと思います。膝下がいまだに陣の下、つまり床下に飲み込まれたままなことを考えると叫びだしそうになりますが、お母さんのすることならここは信頼してていいところでしょうから。動くなっていう指示にも従いますとも、もちろん。
お母さんは体を半分まで陣に入れて、見間違いかと思うほど短い間だけ顔をゆがめました。泣きそうな顔です。ほっとしたような、安心したような。
それからすぐに、苦しそうな顔になりました。眉を寄せて、小さな声でお父さんの名前を呼びます。息を荒くして、ぎり、と音がしそうなほどに歯を食いしばりました。
「足りないなら…」
がつっと音がして、私の太腿のすぐ横にお母さんの足が叩きつけられました。…えーと、お父さんを引き上げるための力が足りない、ということでしょうか、お母さん。
『手伝う?』
『断る』
目だけで聞いてみると、怒ったように瞬きをされます。うーん、時々、素で感心しますけどお母さん。どうやって瞬きだけで怒ってることを表現できるわけですか?ねぇ。
聞けばきっと、鏡の前で練習したのよぅ、大変だったのよう?って返ってくるでしょうから聞きませんけど。いったい何の練習ですか、それ。
ああ、話がそれました。とにかくもお母さん、簡単にこっちに来てくれないお父さんに意地になったみたいです。私には想像もつかないやり方で陣と床の境目に足をかけて、凶悪な顔になりました。はは、タイトスカートで足を開いたせいで太腿っていうかむしろパンツの境目近くまでスカートまくれてますよ、お母さん。
不便だよね、スカートって。
「この世界の陰の気でも足りんのなら、魔王の魔力でも持って来い!あきら!私を1人にする気かキサマ!!」
で、ついに、決して気が長い方ではないお母さんが(こんなに遠回しな言い方でわかりますでしょうか?日本語ってこういうとき便利だよね)、切れました。この場にいないお父さんに向かって怒鳴りつけます。
当たり前のようにそこから抵抗がなくなったことが笑えました。嘘です。どっちかっていうとドン引きです。絶対、私にはわからない理屈でお父さんうっすら笑ってるって、向こう側で。確信できる。
結論から言うと、私の想像は当たりました。他の人にはわからないらしいですけど、お母さんと私には見えます。糸目の奥でお父さん、笑ってました。
どうして怒鳴りつけられて笑えるんだかわかりませんけど。わかりませんけど。