1-1 異界から、母に召喚されました
誰に言っているのか全くわからないままですがこんにちは。御園ゆき、です。
…混乱した時には、自己紹介から初めて、現在の状況を誰かに語ってみるようにすると落ち着きやすいよ、といつかママが言っていたのでそうすることにします。
あと、大事なことは頭の中でだけで呟くことだね、とも教えてくれたママには、微妙に感謝してます。微妙ですが。
っていうかお母さん、子供に何を教えてるんでしょうか。頭の中で語るときは丁寧語でね、って、もうそこから突っ込みどころ満載なわけですが。
つまるところ、私が今、何を言いたいかっていうと、です。
…どうやら、知らない場所に、母から連れてこられた。ん、でしょうか。ね。
あまりにも言葉が濁るのは、まったくもって状況がわかってないからです。
学校から帰ってきてランドセルを放り投げトイレを済ませて、さぁ遊びに行こうと体の向きを変えた時にお母さんから呼ばれた気がしたわけですよ。 で、振り向いたら、
私の、脇のすぐ後ろから、肘から先だけの腕が腰のあたりを狙って伸びてきてたんです。
何そのホラー。って思うでしょ?むしろ私としてはぶっちゃけ、とうとうお母さんがたまにぽつりと漏らすホラー展開が来たんだって思いましたよ。というか、素で「あ、終わったな、私の人生」って思いました。
十二年しか生きてないのに、短かったなあ、って。
で、その腕に手を取られて引っ張られて。息が詰まるような生温い海みたいな感覚に全身が包まれて、ふーん、最終的には息ができなくて死ぬのか、って思ったところで掴まれた方とは反対側の脇の下に、誰かの腕が回されてきて。
疑う暇もなく、お母さんだ、と確信しました。私の年では恥ずかしいことかもしれないけど、お母さんとお父さんから抱きしめられるこの感触を間違うはずがありません。ふふ、っていう、かなり独特なお母さんの含み笑いも聞こえましたし。
少しだけ遅れてふわりと届いたお母さんの匂いに安心して、ぎゅっと私からも抱き着いてみます。苦しかった反動で荒く息をついてると、お母さんも苦しかったのか何度か深呼吸の音がしました。それからぐいっと体を引きはがされます。
そこにいたのは、仕事に行くときのように事務服を着ているお母さん、でした。
黒地に細ストライプのベスト、膝丈のタイトスカートに白シャツ。普段通りの格好で、汗に濡れたのか額にびっしりと前髪が張り付いてますが、いつものお母さんです。
です、けれども。
目が、違いました。一瞬で私はそれを悟り、口を引き結びます。
こういう状況を知っています。第一級厳戒態勢、というのです。前に、お父さんに習いました。
この目をした時のお母さんに、下手に言葉を返したら危険です。誇張ではなく、危険なんです。
黙った私に、目だけで、いい子だと褒めたお母さんは端的に指示を出してきます。いわく、
「動くな。後で私が問うまで喋るな。いいな?」
……はいという返事すら、してはいけないようです。かすかに頷くと、それだけで私の理解度を読み取ってもらえました。
後ろでごとりという音がします。お母さんが私から目を離して違う何かをし始めたので、音のした方を見てみました。
…見なければよかった、とすぐに後悔しました。後悔だけは先にできないのよねぇ、と前に明るく教えてくれたお母さんの言葉が、そんな場合じゃないのに、頭の中をよぎります。
見たことのない部屋、見たことのない人たちが何人もいて、全員が怖い顔をしています。極めつけはその人たちがしている、変な服装。
ファンタジー系の映画とかで見る格好に近いようです。う、うん、しかも、端っこにいる人って…なんか、頭の横、というか上に犬みたいな耳が出てるんですけど。
ふぁさり、って音がしそうな勢いで、しっぽが一度だけ揺れましたけど。
みなかったことにしよう。
高速で、その結論を出しました。ちらりと合ったその人の視線が、私から全然動かなかったことがちょっとだけ怖かったのもあります。もしも私が食事になるのなら、あの人は私を食べてしまうのかもしれません。そのくらいガッチリとした視線でした。
私がお母さんの方に向きなおると同時に、弟が床から引き出されてきました。…言い間違いじゃないんです、床です。うん、これについては、私といえどもまだ突っ込めません。ええと、もう少しお待ちください。
ところで、私のお母さんという人は、体力的にも精神的にも本当にきついときには表情が消えます。これをお父さんに教えてもらってから何度か観察する機会があり、それをした結果、事実だと今では私にもわかってます。
だからきっと多分、今、まったくと言っていいほど無表情で抑揚のない喋り方をするお母さんは、全身の力と気力で弟を呼び出したんだと思います。
だって目線が、ぎらぎらしてきてますから。余計なことを何一つ言わずに弟を私のすぐそばに置くとすぐにまた私たちに背中を向けます。余談ですけどこの時に、いささかもめたせいで、しぃっ、って言われちゃいました。
うっすらと笑ったその顔と本気での殺気を感じて、弟も即座にどういう状況か悟ったようです。自分が不安なのか私をほっとさせたいのか知りませんけど手を握ってきたのでぎゅっと握り返しておきました。まぁね、一つしか違わないんですけどね。
ちなみにこいつのほうが身長が高いんです。体重もあります。地味にむかつく野郎です。
お母さんは肩で息をすると、今度は妹を呼び出し始めました。どうしてだか見られてる気がして目だけで後ろをうかがうと、さっきの犬耳の人が私を まだガン見しています。
うーわ、怖っ。っつか、怖くねぇすか?言い忘れてましたがこのケモノ耳、金目ですよ。金目でシェパード色した耳としっぽにですよ、ガン見されてるんです。
なんなんですか、これ。
特に私たちが手をつないでるのが気になるのか、私…というより弟と手をつないでるあたりに視線が固定されたままです。うううう、恋愛漫画で言うところの熱い視線とかならともかく、どう見ても、気に入らないときの食いつきようです。
真面目に、なんなんだろう。
そうこうしているうちに、無事に妹も床の上の変な落書きの中からお母さんに掴みあげられました。あ、今気が付きましたが、弟も妹も息を切らしてません。こっちに来る時のあの生温い海みたいな液体、苦しくなかったの?なんていうか、お母さんに掴まれて運ばれるときのさ。
まあいいです。とりあえず置いておきましょう。妹は非常に彼女らしく、お母さんの顔色を見るより先にぶーぶーと文句を言い始めました。三言以上は言えませんでしたけどね。このあたり、親に文句言うなんて躾に失敗したー、とかお母さんはぶつぶつ言いますけど。いやいやどっちかっていうと、小学校の低学年じゃ大人の顔色なんてうかがえない方が普通だと思うよ?うん。
「さて、状況を説明する暇はない。お前たちが出すのは答えのみ。私を選ぶか、今までの生活と世界を選ぶのか、今、この場で決めなさい」
で、この無茶ぶりですか。…突っ込みどころしかなくて、もう、ため息も出ませんね。
あああ、でもとにかく、考えないと。
……私が、一番上のおねぇちゃんなんだから。




