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そこは暗い闇の中

 *


 そこは暗い闇の中。


 夜の街を飾る煌びやかな照明の数々も、この深い黒を照らすことはできない。

 ビルとビルの間に辛うじてある狭い夜空。

 そこに点在する星々の光も、この空間を塗りつぶす闇には全く届かなかった。

 人の気配が遠い。

 大通りの喧騒も路地の入口から離れたこの場所では遥か彼方。

 周囲を囲む壁の向こうには誰かがいるかもしれないが、硬く冷たいコンクリがそれらの息遣いを完全に遮断していた。


 ここは深い闇の中。

 誰も助けになんか来ない。


「ぁ……はぁ……ぅぅ」


 弱々しく震える空気。限界を迎えた呼吸がコンマの距離で闇に吸い込まれる。

 もはや立つ気力すら削がれ、ミカンはビル壁にぶつかりようにもたれかかった。

 ねっとりと絡みつくような暗さで満たされた、狭い路地。

 その曲がり角から二つの灯りが現れた。

 ゆらゆら揺れる。近づいてくる。


「アウーチ!」

「大丈夫でガッツかウェイロー」


 手にした灯りが額をさするナマズ男の顔を露わにし、サイ男が相棒に寄り添う。


「イターイ。でも、おいかけっこは終わりなノーネ」


 ウェイローとジアングは壁を背にしゃがみ込むミカンにライトを向けた。


「ようやく見つけたノーネ。……アタチ、ずっと同じこと言ってるノーネ。それにしーてもヒューマン型エイリアーンとは珍しーイ」

「オデも初めて見たでガッツ」


 ふむふむと納得したようにウェイローは、びょ~んと伸びた一本髭を撫でる。


「なるほどネー。これであの〝ロージェス〟が動いたのも合点がいったノーネ。これーはエイリアン狩りをしているボスにプレゼントすれば出世は間違いないノーネ!」

「じゃあ奴らが来る前にさっさと連れて行くでガッツ」


 特製の虫取り網を構えたジアングが、怯えて動けないミカンににじり寄った。


「……なんか罪悪感がすごいでガッツ。これじゃまるでオデたちが悪者みたいでガッツ」

「なにやってるノーネジアング! みたいじゃなくてアタチらは宇宙海賊! とってもとってーもワルなノーネ!」

「はっ! そうでガッツ!」


 二人のやり取りが場違い感半端なかった。









                               「ぱぱ。」









 その声は、なんと言うか、

 奇妙で、本来出ない音を無理矢理絞り出したような、歪な音だった。


「ジアング、何か言ったノーネ?」

「おでじゃないでガッツ」


 互いに顔を見合わせる二人の宇宙人。


 発生源不明の、音。


 背後に、ナニかの気配。


 ウェイローは反射的にその方にライトを向けた。


 猫だった。


「なんでガッツこの生き物?」

「猫というこの惑星に生息する動物なノーネ。大丈夫。ちっこくて弱い生き物なノーネ」

「そうでガッツか。よかったでガッツ」

「でもおかしいノーネ。アタチの調べではニャーニャー鳴くはずなノーネ。なかなかラブリーな奴なノーネ。うひゃーひゃひゃひゃ!」

「ガツガツガツでガッツ!」


 二人の宇宙人は大袈裟に笑い合った。

 事実、ウェイローの前情報に間違いはなく、相棒のジアングもそれを心から信用している。


 だからこそ二人は大袈裟すぎるほどに笑った。


 徐々にこの場を侵食しつつある不穏な空気。

 その先端が自分たちの予感に触れたことを。


 それが杞憂だと確かめ合うように。


「ぱぱ。」


 聞き間違いでは、ない。


「ぱぱ。ぱぱ。」


 猫は、音を繰り返す。


「ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。」


 繰り返す。


 全てを、違う、音、で。

 高い音。低い音。曇った音。澄んだ音。ノイズの混じった音。

 その全、てに、そ、れぞれ別の意識が乗り移ってい、るよう、で………


 次の瞬間、ナニかが猫の腹を裂いて飛び出した。


 ソレはまるで巨大な蜘蛛だった。


 いや、蜘蛛のようだった。

 ウェイローたちはその異形に見下ろされる形となった。

 コンクリの地面に突き立つ巨大な八本の足と、牛くらいなら丸飲みできそうな食虫植物を思わせる大きな口。そこからひょろりと伸びた、恐らく舌だと思われる器官に密集した無数の目がギョロギョロと動き、茫然とする宇宙人二人を覗き込んだ。


 ウェイローの持つ端末から警報が鳴り響いた。

 警戒色を前面に出した、甲高い単調な音の繰り返し。


 赤く点滅する画面には、標的を示す点が二つあった。

 一つはミカンを表したもの。

 これはウェイローも確認していた。


 しかしもう一つは、たった今この瞬間に現れたのだ。


 つまりこの怪物もまた―――エイリアン。


「ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。」


 触手のように伸びた舌が、いまや背中に張り付いた皮と化した猫の頭部を撫でる。

 不思議とその行為には慈しみのようなものが感じられるが、


 ごぎっ!


 力余って、首があらぬ方向へ曲がった。


「ぱあああああああぱあああああああああああああぁぁぁぁあああぁぁ――――っ!」


 突如発生した、知覚域を超えたソプラノ。

 宇宙人二人はまるで耳に太い釘を打ち込まれたかのような激痛に、堪らず耳を押さえる。


「ええーい予想外のハプニングだけど関係ないノーネ! くらうノーネ! アタチが開発した戦艦の主砲並みの威力(当社比)を持ったハイメガ・レイガーン!」


 ウェイローはおもちゃみたいな銃を構え、怪物に向かって引き金を引いた。

 しかし、胡散臭いビーム(~~~ ←こんな)を受けてもエイリアンはダメージを受けた様子はなくピンピンしている。


「アンチョビーノ!? 効かなーいなんで!? ああ~触手に巻き付かれて……ジアング、助けるノーネ……(白目)」

「任せるでガッ……オデにも触手が! す、すごい力でガッツ………」


 ひょろがりのウェイローはともかく、力自慢がウリのジアングさえも敵わなかった。


「「あーれー」」


 二人は勢いよくぶん投げられ、狭い夜空の彼方に消えていった。


 おちゃらけムードが切り替わり、空間は一瞬にして闇が飲み込んだ。

 無数の瞳がぎょろりと動き、そこにいる獲物を捉えた。大きな口が歯茎を剥き出しにし、粘っこい笑みを浮かべる。

 意外にも綺麗に生え揃った歯は人間に近く、それが気味の悪さに拍車を掛けた。

 よほど腹が減っていたのか、歓喜するように無数の目から涎とも涙ともつかない液体を垂らし、滴り落ちたコンクリートの地面を溶解した。


「…………………っっっ」


 ミカンはへたり込んだまま、動けなかった。

 目まぐるしく変わる状況に頭も体も感情も付いてこない。


 漠然とした。

 それでいて無尽蔵に膨らんでいくナニかが幼い精神を押し潰していく。


「ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。

 ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。

 ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。

 ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。ぱぱ。」


 聞く者の意識に不安を植え付ける音が、目と鼻の先の距離まで近づいてきた。

 怯えるミカンは、ただこの危機的状況に身をやつしているだけ。


 ここは暗い闇の底。

 誰も助けになんて、こない。


「そこまでです」


 凛とした男の声が、この状況をまっすぐに駆け抜けた。

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