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ヴァンパイアを殲滅せよ  作者: 金糸雀
第1章 幹部編
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ACT20 ヴァンパイアですのよ?【水原 桜子】

 Tarantella――タランテラ


 毒蜘蛛に噛まれ、注ぎ込まれた毒を出さんと死ぬまで踊り狂う。云わば狂気を孕んだ舞曲。自分のすべて惜しまず出しきる、まるでリスト自身を表現するかの曲。

 客はあなたのリストを聴いてどう感じたかしら?

 ハイネがピアノを弾くリストを見てこう表現したそうですわ。


『あまりにも深い情熱の為に我を忘れ、象牙の鍵盤の上で猛り狂う。

 一面には甘い花々の香りが満ち、野生の荒々しさが木霊となって響き渡る。

 うっとりとした心地良さと苦悩が同時に訪れる。

 私はリストを愛しているにもかかわらず、私の魂は彼の音楽によって癒されることはない』


 わたくしも、そしておそらくは場に居合わせた誰もが微かな疑問を抱いていますわ。技巧と迫力を嫌というほど見せつけた今夜の麻生が、何を伝え何を与えたかったのか。多くの人間が抱えるであろう癒されぬ魂は、癒されぬままなのかと。

 でも最後の曲を聴いて納得するでしょうね。今までの7曲はむしろこの為にあったとさえ思うことでしょう。

 La Campanellaは鐘のを模した曲。美しく響く高いベルの音が、この一帯に籠もる熱気を――抑え切れぬ興奮と悪魔の狂気を消し去ってくれる事でしょう。


 さあ! 聴かせて結弦! 哀しくも美しい弔いの音楽を!


 でも結弦は動かず、両の目を手で覆ってしまいました。

 わたくしには解ってしまった。彼が限界を超えてしまったこと。

駄目よ。そんな、椅子の背を杖代わりに腰を上げたりなんかして。寄越されたマイクを手に取って、体に鞭打つようなそんな真似は駄目! 無理をしては駄目!


「お集まりの皆さま! いよいよ最終曲となりました。リストと言えばこの曲、そう、ラ・カンパネラ!」


 駄目ったら駄目! 無理は禁物とお医者様には言われたはずよ? 一定時間以上の心拍と血圧の上昇はもう片方の目にも影響を与える危険があると!

 カンパネラは決して荒々しい難曲ではないけど、とても気を使う曲。鐘の音を模した右パート、その激しい高低差の中で、高音の主旋律を美しく奏でる必要がある。かつ左パートは強すぎず、主題を殺さぬマイルドさが要求される。云わば些細な気の緩みがすべてを台無しにしてしまう、誤魔化しの一切きかない曲ですわ。いつものあなたならいざ知らず、今のあなたは――


「実はここでサプライズを用意しました。皆さま、お気づきですね? S席の彼女に!」


 ――え?


「この曲は是非彼女に演奏して頂きたいと思うのですが……如何でしょう? 水原桜子先生?」


 ――は?

 ――ちょ……ちょっと、何よそれ!! 何も聞いていませんわ!!!


 そんなわたくしの心の声は、結弦には聞こえない。ゆっくりと階段を降りる彼が、舞台下のフロアに立ちました。でもその眼はこのわたくしを見ていない。その視線はもっと前列の誰かに向けられているのです。

 その視線を追いわたくしは気づきました。中央よりのS席に、もう1人のわたくしが居る事に。


 麻生の手でエスコートされ、舞台上へといざなわれた女は、わたくしに生き写し。誰か、なんて愚問ですわ。背格好は同じでも、中身は違うもう1人の自分。あの日以来、男という生き物を一切拒絶し、心を閉ざしてしまったたった1人の妹。


「秋子。あなた……何故?」


 笑顔を崩さず、彼女の手を握る結弦。どうしたの? その子は秋子。ピアノなど弾けなくてよ?

 秋子も。サーヴァントになってしまった筈のあなたが、何故わたくしの振りなどしているの?


 白いドレスの裾が揺れ、ステップを擦る衣擦れの音が止んだとき秋子の眼の色が変わりました。


  ――秋子? あなた、もしかして!?


 あの日。

 彼女が思いの丈を結弦にぶつけた日。泣いて帰って来た秋子を私は抱きしめました。

 男は誰も信じないと言い張る秋子を寝かしつけ、わたくしは結弦の屋敷へ向かった。ほんとは抗議に行ったのだけれど、あなたの顔を見たら何も言えなくなってしまって……

 あなたは云ったわね。共に僕達の両親を送ろうと。

 貴方のノクターン。低音なのに、しっかりと芯が通った優しい音。わたくしの主旋律をサポートし包み込む、その時感じたのですわ。ああ、この人が愛しているのは秋子ではなくこの私だと。

 そう思ったときハッとしましたの。「結婚したいのは君だ」とその口からはっきり云われ、声が出なかった。

 慌てて彼の手を振りほどいて、ピアノに掛けてあったコートを掴んで。彼はそれを止めようとした。あっと彼が呻いて右眼を押さえたけれど、無我夢中だったわたくしは急いで部屋を出ました。運転席に座る柏木に合図を送り、家路に向かった車内でふと気がついたのです。コートの袖口についた赤い染みに。袖ベルトの金具のピンが、べっとりとした血で濡れていたことに。


 結弦の右眼の視力は戻らない。そう聞かされた時、わたくしは人間をやめる覚悟を決めたのですわ。すべてが遅かった、後戻りなど出来ないと。


 そんなわたくしの決意を知った秋子は家を出た。結弦の事は忘れてやり直したい、そうあの子は言ったけど。本当はずっと恨んでいたのではないかしら。自分を振った結弦のこと。そして姉が人間を捨てたのは自分自身のせい。ならばいっそ結弦もろともと。


 そうよ、秋子はいまサーヴァントなんですもの。

 親の佐伯はもういない。ならば生前の思い残しが行動を起こさせた!

 止めなければ! それが出来るのはこのわたくしだけ!


「ダメよ!!」


 必死に叫ぶ、わたくしの声に結弦が気付きました。眩しそうにこちらを見上げ、ふと彼女の手元に視線を落とし、その表情が変わったのです。


「君は誰だ!?」


 気付くのが遅すぎますわ結弦。

 ごらんなさい。すべての精力を使い果たした貴方だもの、女の力でも易々と組み伏せられる。


 悲鳴が上がる。カチャリと武器を構える音。ハンター達が舞台に狙いをつけています。


 わたくし、跳びましたわ。前の席に足を乗せ、一息に跳躍しましたの。ハンター達の頭上をフワリと飛びこえ、舞台の上にそっと足を降ろします。


 唖然とする観客たち。

 フフ……わたくし、ヴァンパイアですのよ? こんな動作は朝飯前……いいえ、ブレイクファストの前の前ですわ?

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