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第十二回


 秋風が吹いて景気とりたてて変らず。懸念されていた中村座の噂も別段立つことなく過ぎていた。しかし予告どおり並木五瓶一座が江戸に到着すると十郎兵衛は中村座を離れ同時にこの長屋からも姿を消した。上方歌舞伎の師走初めの興行の噂がどこからか流れ、果して春朗のもとへ今は閉じる都座の芝居小屋から十郎兵衛の報せが届いた。春朗の日常は変わり約束どおり宣伝絵を描くため隠密の行動が始まった。

 公認歌舞伎小屋としての控櫓都座は今は本櫓中村座が興行を行なっているあいだは開かない。しかし使用許可は一体誰が取ったものなのか、増して上方歌舞伎が上演される手筈についてもまさかお上が設営したものとも思われない。春朗は空の都座の桟敷席の中央に立ち絵筆を動かしながら稽古役者の顔を見守った。十郎兵衛の熱い期待が半紙の上に広がっていた。描くのは似顔画、贔屓画にあらずと言った彼の言葉が思い出されてくる。春朗は目を凝らして役者の特徴を写し取りながら凄まじい勢いで次々と描きまくった。足元は次第に描き損じて捨てられた半紙で埋まっていった。

 嘗て「(なか)()」というこの画法は自分が勝川派に籍を置いていたころを顧みても一度もなかった。役者絵の世界においても大方は「見立(みたて)」という画法に拠っていたからである。「見立(みたて)」は画風が一様でただ形式のみを基調としていた。そこにおいては役者の仕草や表情に特段の個性はなく錦絵として売り出す版元の色刷りの出来栄えだけにその個性の違いが存在していたのである。

 傍で見守る十郎兵衛は満足げに春朗の絵を眺めながら()(もの)の筋書きや興行の意気込みを語りつづけていた。そして彼は「役者の似顔に端麗さはいらねえ、真に迫る表情を描いてくれ」と何度も言った。

 通うこと数日。互いの経歴を詳しく知らず怪しくも結びついたこの因縁に春朗は不可思議を覚えつつも空の桟敷席の中央に立って何百枚もの似顔絵を描きつづけた。そしてようやく主要な役者の似絵を完成させた。

 界隈の木々が色づき始めた頃、完成した似顔絵を受け取った十郎兵衛は礼を述べながら「例の話だがお上の手が入った」と意味ありげに伝えた。春朗が訝しがると中村座に折からの調べ役人数名が過日舞台に踏み込み突然公演の中止を申し渡したというのである。演じていた演し(だ もの)が仇討ちの筋書きでそれは体制批判の風刺が込められ余りにも不都合なりと判断した理由によるものらしかった。「中村座は潰れるのですか?」と春朗が問えば「時間の問題よ」と嘲るように微笑した。春朗はこの筋書きが十郎兵衛には既に以前より予知していたかのように思えた。彼の企てなのか。いずれにしても彼の洞察力には驚きを隠せなかった。やはり中村座とのあいだで何かあることは否めない。しかし春朗は敢えてそのことについては聞かなかった。

「本櫓はこれにて全滅休業だ。やがて控櫓としてこの都座をはじめ他に河原崎座、桐座の幕開きは余儀なくされるさ。年改まれば三座揃っての正月興行の幕開けは間違いなしだ」

 十郎兵衛は春朗の役者似絵を再び取り出して握りしめながら、「これを試みに先ずは一足先に上方歌舞伎の興行だよ」

 と満足げにつぶやいた。

 これが春朗が見た十郎兵衛の最後の姿だった。


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