オレと君の始まり
「――こちらをどうぞ」
皺だらけの手が、白いものを差し出してくる。
それは犬を模したぬいぐるみのようで、促されるまま柔らかなそれを受け取った。
「……どうか、貴女が幸福でありますように」
この人のものだろう。
仄かな温もりを感じるぬいぐるみは少し大きく、持ちやすいように抱え直す。
ぬいぐるみと共に目の前の人物を見上げたところで、何を思ったのか。
震える声でそう祈りの言葉を告げたその人に、私は何を言えば良いのかわからなくて。
「さようなら、ステラ様……」
「……さようなら」
苦しそうに告げられた別れの言葉を、私もただ繰り返した。
◇◇◆◆
――夢か現か。
誰かに呼ばれている。誰かに招かれている。
揺蕩う深い眠りの中で、誰かがオレを求めている。
そんな気がして、呼ばれるままに、招かれるままに、求められるままに。
暗く冷たいここから、明るく温かい何かへと手を伸ばす。
手なんて、まだあったのか。
久しく感じた指を動かす感覚に、自然と笑みが零れて。
己の指先は果たして本当に動いているのか。
何もわからないまま伸ばした指先に温かい何かが触れて――眩しい光に目を開ければ、そこには静かに眠る銀髪の少女がいた。
「……は?」
…………えーっと、ちょっと、待ってくれ? 一体何がどうなってんだ?
オレは、そう、オレは確かに一人で眠ったはずだ。
こんな少女が目の前にいるはずが無い。無い、んだが……目の前にいる、な……?
規則正しい呼吸をしている少女は夢や幻のものではなさそうだ。
それに、さっき零れた声はオレのものだったと思うが、何だか妙な違和感がある。
一体全体何がどうなってるんだと、少女の隣で横になっていたらしい体を起こそうと手を動かす。
だが、視界に映った白いフワフワの何かに、オレの体はピシリと固まった。
「は? あ? 手が、フワフワ……?」
オレはただ、体を起こすために手を使おうとしただけだ。
だがその手が、白くてフワフワで――まるで、ぬいぐるみのようで。
もしかして、と思ってしまった。
思ってしまったからには、オレはこの現実を確かめなければならない。
そう、理解が追い付かないまま、何故か己の意思通り動く白いフワフワな手を持ち上げる。
そして恐る恐る頭の辺りを触れてみれば、フワフワとした丸みを帯びた何かがあって。
「――い、一体どうなってんだぁ!?」
なんか頭に耳みてぇのがあんだけど!? なんかピコピコ動かせるんだけど!? オレの体、どうなっちゃってんの!?
あまりの状況にその場に飛び起き、わけもわからず頭を押さえたが、オレの頭は柔らかくなってしまっているらしい。
ぽふんと確かな弾力をもって押し返された手が、行き場を失くして宙を彷徨う。
呆然としながら手を握ってみれば、むぎゅっと白いフワフワの手が丸まって。
まぁなんてフワフワしてて可愛いお手てなんでしょう。ホントにこれオレの手なの? 夢じゃなく?
もういっそのこと夢であってほしい。
そう願っても事実、オレの手も体も真っ白で、フワフワで、ぬいぐるみのようで。
試しにその場で動いてみれば、フワフワの体はフワフワの手と同じく、オレの意思通りに動いていた。
マジでどうなってんのコレ。流石のオレもびっくりだぞ。
「……ん」
「ヤベッ」
真横で誰かが騒ぎ出せば起きてしまうのも当然だろう。
眠っていたはずの少女から零れた声に、咄嗟にフワフワな両手で口を押さえて息を潜める。
そのままそっと少女の方へと視線を向ければ、静かに開かれた紅い瞳と目が合った。ヤベッ。
「……ぬいぐるみが、動いてる」
「やっぱりオレぬいぐるみになってんだ!?」
ぽつりと呟かれた少女の言葉に、最早声を抑えることすら忘れて思い切り叫ぶ。
いや、薄々そうなんじゃないかって思ってたけどさ!? ホントにそうだとは思いたくないじゃん!!
「……あなた、だれ?」
「そうなるよなー」
あまりのことに騒いでしまったのもあって、もうすっかり目を覚ましたらしい。
慌てているオレを他所に、ゆっくりと起き上がった少女が首を傾げて問いかけてくる。
この少女からすれば寝て起きたらぬいぐるみが動いて喋ってたわけだからなぁ。
叫ばれたり怖がられたりせずに済んでいるだけ有難い話である。
しかし、その質問をされたところでオレ自身も良くわかっていない状況だ。
はてさてどう答えたものか。
とりあえずオレはその場に座り直し、こちらを不思議そうに見つめてくる少女を見上げた。
「えっとだな、オレの名前はロア。
気付いたらこのぬいぐるみになっててさ、嬢ちゃんなんか知らねぇか?
多分これ、お前さんのぬいぐるみなんだろ?」
このぬいぐるみと一緒に寝ていたのだから、きっとこの少女が持ち主なはず。
そう見当をつけて聞いてみたのだが、少女は数秒沈黙した後、緩く首を振った。
「……わからない。
それ、昨日もらったの。誕生日祝いって言ってたけど、それ以外は知らない」
「マジかぁ……」
どうやら昨日はこの少女の誕生日だったようだ。
そしてこのぬいぐるみは誕生日プレゼントだったと。
そんな大事なぬいぐるみに知らない誰かが入り込んでるとか、どんな状況だよ。
もうね、オレのせいとかじゃないと思うけど、申し訳なさがすごいよね。
よりによってそんな特別な物に入り込まなくても良くない?
これは早い所どうにかしてやらねばなるまい。
問題はどうすれば良いのかだが……このフワフワな体でもオレの本質は変わらないらしい。
試しに魔力を操ってみれば、以前と変わらない感覚がして、つい安堵の息が漏れる。
これで魔法まで使えなくなってたらどうしようかと思ったわ。
ちょいと違和感はあるが、これぐらいならすぐ慣れるだろう。
早速魔力を操りぬいぐるみの体を調べてみるが、特にぬいぐるみ自体には仕掛けの類は施されていないようだ。
しかし、このぬいぐるみと少女には何らかの魔力的な繋がりがあるらしい。
うっすらと見えた魔力の繋がりに、オレは少女へと手を差し出した。
「嬢ちゃん、ちょいと手を貸してくれるか?」
「手……?」
オレが何をしているかわからないのだろう。
不思議そうな顔のまま差し出された少女の手に、自分の白い手を重ねる。
重なった温もりを通してそっと魔力を流してみれば、オレと少女の手を取り巻くように魔法の痕跡が浮かび上がった。
「これは……?」
「あー……魂が結び付いてるっぽいな。こりゃあすぐにどうにかできるもんじゃなさそうか……」
淡い光となって可視化された魔法の痕跡は、弱々しくはあるが確かにオレと少女を繋いでいる。
ちらっと少女の様子を窺うが、少女はただ目の前の光を見つめているだけで、これが一体なんの光かは理解していないようだ。
不意に視線が合い、首を傾げる少女にオレは空いている片手を緩く振った。
――恐らく、この少女が無意識に魔法を使ったのだろう。
無意識に虚空へと呼びかけて、無意識にこのぬいぐるみを媒体にしてしまって。
それにオレが呼ばれ、応えた結果、こうしてぬいぐるみになってしまったのだろう。
偶然とはいえ、無意識に他人の魂を掴むなんざ、なんつう才能の持ち主なんだか。
しかしまぁ、掴んだのがオレの魂だったとは、運が良いんだか悪いんだか。
一歩間違っていれば良くないものを招き入れていただろう。
それこそ自分の命を脅かすような、そんな存在を招き入れていたかもしれない。
そう考えるとオレで良かったかもなー。
別にオレを捕まえたからって嬢ちゃんを害するつもりはないし、肉体を得たからって何かしようとも思わないし。
自分で言うのもなんだが、割と善人なんでねオレ。嬢ちゃんにとっちゃアタリの部類でしょ。
まぁ、これも何かの縁だろう。
せめてこの少女がまた無意識に別の存在を招いてしまわないように、色々教えてやるとしよう。
どうせ暇な時間しかないオレだ。たまには誰かと一緒に居る時間があっても良いじゃん、ねぇ?
「そういや嬢ちゃん、名前はなんつーんだ?」
「……ステラ、だったと思う」
どうやらこの少女にも色々とあるらしい。
魔力を止めて光を消しながら尋ねれば、少女は戸惑いがちにそう答える。
だったと思うだなんて随分と気になる発言だが、本人がそう名乗ったならそれで良いだろう。
「よしステラ、悪いがしばらくこのぬいぐるみを借りてても良いか?
元のぬいぐるみに戻そうにも今はどうにもできそうになくてよ」
事実、オレの魂は少女とぬいぐるみに縫い付けられていて、オレ自身ではどうしようもない状態だ。
だからどうにもできないと本当のことを告げて、少女――ステラへと問いかける。
そんなオレにステラはただ紅い瞳をパチパチと瞬かせ、静かに頷いた。
「好きにして良いよ。もらってもどうしたら良いかわからなかったから」
「おう、じゃあよろしくな! ステラ!」
「……よろしく、ロア」
まだ重なっていた手に力を入れて、ステラの細い手を握ってやれば、オレがしたいことが伝わったんだろう。
そっと戸惑いがちに握り返された手に、オレは口元を緩める。
――そうしてオレとステラの奇妙な共同生活が始まったのだった。
五話まで毎日更新、その後は毎週金曜に更新していこうと思っています。
よろしくお願いします。




