第65話:名前は人を造らない 人が飛んだ航跡の中にそっと名前が残るだけです
ジェンメイの黄色いフラコンに絡んだ真っ黒な鎖を断ち切った、その瞬間──愛彩はまた、その意識を精神世界に飛ばされた。
「誰だお前は」
手入れの行き届かない顎髭、そして生え際の後退した髪、そんなメントルが彼女に不審な目を向ける。
「わたしは愛彩。愛に彩りと書いて、めあっていうんだ。変な名前だけど、そう名付けられたのだからしょうがない」
素直な返答に、そのメントルは暫し言葉を失ったようだった。
「お前は、自己肯定感が高いな」
愛彩は少し思案した。
「自分は、自分にとって1人しかいない。それを嫌ったりしたら、生きていけない」
今度はメントルが思案した。
「理想論だ」
「あなたは、自分が嫌い?」
「ああ、大嫌いだ」
「同感ね」
割って入ったのはローザだ。
「ハインリッヒ・ヘルツ。電波の存在を実証するという抜きん出た実績の価値を、自分では分からなかった人。業績を人に奪われた私としては、ちょっとしたシンパシーを感じるわ」
愛彩は腕組みし、首をひねった。
「でもこの人、ローザみたいに誰かを恨んではいなさそう」
「恨み……そんな無価値なものは私には要らない」
「何ですって?」
「ややこしくなるからローザは黙って。邪魔するとまた神様に叱られるかもしれない」
愛彩が神の名を口にするとローザは顔を顰めて口をつぐんだ。
「ヘルツさん、あなたは自分の研究に価値がないって、本当にそう思っている?」
「価値にあまり興味がないのだ。私はただ、この世の理を知りたかっただけ。だが私程度の人間にはそれは難し過ぎたらしい」
「凄いね。科学者っぽい」
すると、ヘルツは頭を押さえて苦しみだした。
「科学……者……なんだそれは……知っているようで、思い出せない……」
「簡単だよ。ヘルツさんのような人のことだよ」
「ああああ……」
もがき苦しむ姿に困惑した愛彩は縋るようにローザを見た。その顔が、どうしよう、と告げている。ローザはしばらくそっぽを向いていたが片目でチラリと愛彩を見て呟いた。
「呼び名よ」
賢い愛彩にはその一言で十分だった。
「ハインツ」
ハインリッヒの愛称を告げると、その身体から黒い靄が立ち昇り、そして霧散した。
「……私は何を……」
「帰ろう、ハインツ。プロトジェが待ってる」
愛彩の声に彼はゆっくり頷いた。
◇
気付けば愛彩は病室に戻っていた。
目の前ではフラコンが黄色く光り、プロトジェ・ハインツがその中から姿を現す。
そして浮遊しながら、横たわるジェンメイの顔に近付いた。
「起きなさい、私のプロトジェ」
ジェンメイがうっすらと瞼を持ち上げる。
病室にいた誰もが、その奇跡に驚き歓喜した。
◆
昏睡状態から目覚めたジェンメイには医療的なケアや検査が必要ということで、柚木は魔法少女たちを邪魔にならないよう病室から連れ出し、病棟内のオープンスペースに移動させた。
柚木は愛彩に、何があったのかを聴取する。その脇で友梨佳は購入していたミリタリー雑誌を広げた。舞はテーブルの向かいに座って自販機で買ったコーラに口をつける。
「友梨佳ちゃん、そういうの好きなんだ」
不意に舞が口にすると、友梨佳は少し不安そうな声を出した。
「へ、変か?」
「何で?」
「普通、女子はこういうのに興味持たねえだろ」
「友梨佳ちゃんそれ偏見だよ」
友梨佳はポカンとした顔で舞を見た。
「確かに」
「えー、家でそういうの見たりしてるなら、とっくにダニーが偏見だって教えてくれていても良さそうなのに」
「我輩は争いごとは嫌いなのである。戦の道具のことは好かんのである」
柚木の聴取に加わっていたダニーが振り向いて言い訳した。
「友梨佳ちゃん、好きなのはやっぱり飛行機?」
「そうだな。写真集とかポスターとか、集めてんだ。最近は資料集なんかにも手を出してんだけど、難しいからよ、英語と数学の勉強に力入れてんだ」
「わあ、凄いねそれ!」
「数学にはちょっとトラウマがあったもんだから勉強サボっててさ。ちょっと後悔してる。でももうちょい数学ができるようになったら、流体力学のことも少しは分かるようになるってダニーが言うから少しやる気出てきたんだ」
「舞君も数学には力を入れ給え。数学こそ科学の基礎なのだ」
今度はワーヌがこちらを向いた。
「えへへ、そうだね……ところで友梨佳ちゃんはどんな飛行機が好きなの?」
数学が嫌いというわけではないが、少し苦手意識を感じている舞は話題を変える。
「最近のならラファールなんかが好きだな。でも最高にロマンが詰まっていて好きなのはグラマンX-29っていう試作機だぜ。……ああそうだ、柚木さん?」
「何でしょう?」
聴取途中に声をかけられた柚木だが、嫌な顔一つせず応対した。
「ちょっと試したいことがあるんだ。変身の許可をくれよ」
「退院日が明日なのは事務手続き上の問題で、デショーンが現れたら出撃して良いということになっています。許可を出すのに問題はありません」
「よっしゃ。ちょっとダニーを借りるぜ。マジカルフロー・シーケンス・イニシャライズ!」
友梨佳が緑のフラコンを掲げると、ダニーが飛んできた。
《いきなり何なのであるか?変身シーケンスレディ、イニシャライズ》
v²/2+p/ρ+gz=const.
フラコンにダニーが吸い込まれ、ベルヌーイの定理が表示される。そしてフラコンから1滴の雫が垂らされ、あたりにグレープフルーツの爽やかな香りが漂った。
光が収まると、そこにいるのはもう、魔法少女ヴォルテックユリカだ。
《シーケンスコンプリート。ヴォルテックユリカ、スタンディングバイ》
そして彼女はそそくさと洗面所に駆けて行って鏡で自分の姿を確かめると、酷いニヤニヤ顔で戻って来た。
「へっへっへ、どうやらうまくいったぜ」
「?……あっ、翼の形が変わってる!」
舞が指摘すると、友梨佳はそれはもうこれ以上ないほどのドヤ顔になった。
「これがX-29の前進翼だ、格好良いだろ?入院中、これができるようにずっとイメージトレーニングしてたんだ。舞ちゃんの背中のハンドルがヒントになったんだぜ。ありがとうなあ」
「そっかあ。良かったね、友梨佳ちゃん」
「じゃあ早速テスト飛行を……何だよダニー、そりゃねえぜ。何、大丈夫だって」
友梨佳は何やらダニーと揉めている様子で窓を開ける。そして、ジェットエンジンが青白い魔法光を噴き出した。
「伴地先輩、危ない」
「行くぜーっ!」
愛彩の警告も聞こえなかったように窓辺から離陸する友梨佳。だが……
「おっ、おわっ、ちょ、ちょ……うわああああっ!!」
不安定な軌道を描き、凄まじい勢いで急降下していく。
「友梨佳ちゃん!」
慌てた舞が窓に駆け寄った。愛彩はマイペースに懸念を示す。
「前進翼は、人間には扱えない。コンピューターがサポートしないとだめ。前に本で読んだ。ここ、7階だけど、伴地先輩大丈夫かな?」
激しく墜落した友梨佳は、魔法少女の身体保護があったにもかかわらず大ケガを負った。それ自体は愛彩がクイック・リジェネレイションで治療したのだが、例によって透析に繋ぐ必要が生じて入院は2日延長となり、彼女は医師からのお説教を延々と聞かされるハメになったのだった。
【タイトルのネタ元】
松井優征の漫画「暗殺教室」(2012〜2016年)
殺せんせーのセリフ「名前は人を造らない 人が歩いた足跡の中にそっと名前が残るだけです」




