第26話:人間がなぜ怯えるか分かった
「なゼ、お前たちがここにいるネ?」
喫茶店に入店してきたのはアジア系の外国人とみられる一行だった。その中にいたジェンメイに答えたのは紅明だ。
「パラ水泳の応援よ。あなたこそ、どうしてここに?あなたが好きな偏見は、ここにはないわよ」
「偏見?ワタシが好きなのは合理ヨ」
そんなやり取りに、誠一郎が隣のテーブルから身を乗り出した。
「知り合いの子かな?」
誠一郎がヒョイと首を出したので舞は思わず身を竦めた。
(うーん、やっぱり怖い……でもダメ。これは偏見、これは偏見、これは偏見……)
念仏のように内心で唱える舞をよそに、紅明が説明する。
「エスパーンダ真美こと、デショーン事案の現場に出没する自称秘密結社バイアースの幹部、ジェンメイです。施恩さんのクラスメートですが、得体が知れません」
「ああ、そうだったのですね。学校からお知らせが来ていましたよ。何でも、バイアースの幹部といっても悪事に手を染めた証拠はないので先入観は持たないように、ということでした。
ジェンメイさん、施恩がお世話になります。私は施恩の父、道峰誠一郎です。これからも施恩と仲良くしてくれると嬉しいです」
相変わらず丁寧な口調だが、その容貌は恐ろしいままだ。ジェンメイは狼狽した様子で1歩下がった。
そこに黒服の男、田岑が巨体に似合わない素早さで割り込み、ジェンメイの前に立ち塞がる。そして、凄まじい威圧感で見下ろした。
「Alamak! Die liao, die liao!(やばい、殺される、殺される!)」
シンガポールからの留学生であるジェンメイは、シンガポール・イングリッシュ剥き出しで同行者と抱き合い怯えた声を上げた。
田岑は、舞が出会って初めて口を開いた。
「こ、殺さん。お、お、お前がバ、バイアースの幹部というなら、誠一郎様にゆび、ゆび、指一本触れさせるわけにはいかん、いかんだけだ」
重度の吃音だ。
(田岑さん、どもるのが恥ずかしくて、これまで話をしなかったのかな……)
例によって舞は、状況の核心とはズレたところに注目していた。
「止めなさい、田岑さん。怖がらせていますよ?」
誠一郎が制止したが、田岑は抵抗した。
「し、し、しかし、バ、バイアースはお、お、お嬢様のて、敵、敵です」
「Aiyoh!(ギャー!)」
サングラス越しに田岑に睨まれたジェンメイは絶叫した。
「構いません。こんなところで騒ぎを起こすものではありませんよ?」
誠一郎が重ねて静止したので、田岑はようやく元の席に戻る。ジェンメイはその場にヘナヘナと座り込んだ。
「ナ、何なのヨ……」
「ご迷惑をおかけし申し訳ありません、ジェンメイさん。お詫びと言ってはなんですが、ここの会計は持たせてください。ご不快かも知れませんが、このあたりには他にこういったお店はないそうですから、せめてなるべく離れた席をお使いいただければ」
誠一郎が詫びたが、ジェンメイは意外な反応を示した。
「構わないネ」
そう言うと、舞たちの席とは通路を挟んだ隣の席につく。
「折角の機会だかラ、敵情視察させてもらうヨ」
◆
ジェンメイとその連れは英語で会話していたので、舞にはその内容はさっぱり分からなかった。
舞は小声で紅明に問いかける。
「何を話しているんだろう?」
「さあ。私、英語は苦手なの」
「意外。紅明ちゃん、頭良さそうなのに」
「勝手な想像ね。数学と理科と体育以外の成績は酷いものよ」
「すごい、リケジョだ!」
「その認識もどうなのよ……」
そこに、誠一郎と話していたアルが顔を覗かせた。
「紅明は『出題者の意図』を読み取るのが少し苦手なんだ。でも、そんな下らない能力が学力と関連付けられるのは、この国の教育の欠陥の一つだよ」
(本当にそうなのかな?)
舞は疑問に思った。しかし、それを口にして言い合いになるのも嫌だったので、話題を変えようとする。
「それより、どうしてエースパンダはここに来たのかな?偶然?」
「エースパンダじゃなくてエスパーンダでしょう。聞いてみればいいじゃない。――ねえ、ジェンさん。どうしてあなた、ここにいるのよ?私たちはパラ水泳に出る施恩の応援に来たのだけれど」
「国際交流ヨ。シンガポールの選手もその大会に出場するかラ、手伝いに来たネ」
「偏見を広めるバイアースの幹部が、障害者スポーツの国際交流だなんて、殊勝な心掛けをするじゃない?」
「偏見?ワタシが広めているのは合理ヨ。それに、同胞が助け合うのは当たり前ネ」
(国際交流……パラスポーツ……エースパーダ真美って、本当に偏見側の人なのかな?)
紅明とジェンメイのやり取りに、舞は戸惑いを覚えた。そんな彼女の耳が、ふと、店の一角でヒソヒソと話し合う中年女性グループの声を捉える。
「……よく分からないけれど、外国人ですって」
「怪しいね。このあたりも治安が悪くなってきたのかな」
「それに、障害者なんて私たちの税金で暮らしているくせに、スポーツだなんて」
「本当よねえ。国は障害者だの、外国人だのにばっかりお金を使って」
(嫌な話してる……「ばっかり」って、何のこと?)
彼女は不快に思うと同時に、お金持ちの家のお嬢様である施恩、いつもはシンガポールに暮らすはずのジェンメイの知り合いが、どうして税金で暮らしていることになっているのかよく分からなかった。
そんな疑問をはっきりと口にしたのはジェンメイだ。
「チョットいいカ?日本っテ、障害者は仕事やスポーツができなイ、遅れた国なのカ?」
突然外国人に話しかけられた中年女性たちは慌て始めた。
「えっ、ちょっ……」
「私たち、別に……」
だが、その1人が顔を真っ赤にして立ち上がる。
「話しかけてこないで!警察呼ぶわよ!」
「チョット聞いただけデ、どうして警察呼ぶネ?」
「ちょっと、もう、キモい!外国人も、障害者も、本当にキモい!」
呆気にとられて様子を見ていた舞は、その女性の頭上の空気が、一瞬、ブロックノイズのようにブレたのを見た……気がした。
(お母さんが時々言っている疲れ目って、こういうのかな?)
またしても注意散漫な舞。一方、女性はますますエスカレートした。
「障害者が私たちの税金で贅沢しているって、マックス(最近流行しているSNSのことだ)でみんな言ってるじゃない!私たちの生活が苦しいのに、障害者がスポーツなんて、ズル、ズル、ズルズルズルルルルルルルルルルルルル……」
(って、デショーンだ!)
女性の体がムクムクと大きくなり始めたのを見た舞は立ち上がった――が、それより先に動いたのはジェンメイだった。LEDライトのようなものをデショーン化しかけた女性に向け「黒い光」を放ったのだ。
「大会の邪魔ネ」
女性はその場から跡形もなく消え去った。ジェンメイは驚くシンガポール人の同行者に2言3言何かを告げると、デショーン化した女性と一緒にいたグループが騒ぐのをよそに、舞と紅明に向かってこう言い放った。
「さっきのデショーンハ、向こうに見えル橋のあたりノ河原に転送したヨ。大会が中止にでもなったら困るかラ、さっさと片付けてくれないカ?」




