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Drused Race  作者: 鈴生
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66. 心酔

 細い目から覗く、氷のように冷たい視線を浴びながら、恐る恐る口を開こうと試みる。ここで軽薄な言葉を口にするのは間違いだと、本能で悟った。

 口を開きかけて、閉じる。何と言うべきか、わからなかった。唇を軽く嚙む。左手を握りしめる。右手は動かせなかった。

 スサミの目を見ていて、ふと思い出した。ドルーズドに本格的に身を投じる前に、イズモに言われた言葉だ。

「…目が、同じ…」

 彼の目が一瞬見開かれて、また細められる。視線の温度は変わらない。どことなく切羽詰まったような、焦りを感じる様な声で問われる。

「誰に、いつ、言われた?」

「ドルーズドに入る前、イズモさんに。」

 目を見て真っ直ぐに告げる。彼から視線を逸らしたら、何か大切なものを聞きそびれる様な気がしてならなかった。

 イズモの言葉を、一度として忘れたことはない。自分の顔は好きではないのに、自分の瞳だけは鏡で確認できるのも、彼の言葉のせいだろう。遠くに感じていた父の影が、いつかそこに見出せるような、そんな気がずっとしていたのだ。

 私の答えを聞いた途端、スサミの顔が強張った。これ以上ないほどに項垂れて、周りの喧騒に掻き消されてしまいそうな声で、何か言ったのが聞こえた。

「…すまん、セイカ…」

「…何がですか?」

 彼が謝罪する理由は、何も思い当たらなかった。

「…俺たちの問題に、娘であるお前ですら巻き込んでいることだ…」

 はっきりと喋りつづけていた彼の声が、小さく掠れていた。聞き取りにくい。耳を澄ませる。

 項垂れたまま、きつく目を瞑って、スサミは目を開いた。テーブルの真上にある暖色の照明が、彼の目元に影を作っていた。


「さっき、イズモとトカラが組んだと、言っただろう。」

 ゆっくりと瞬きをして、言葉が続けられる。

「あれで、俺たちの歯車は、完全に狂った。」

 聞き手である私が、口を挟むような余地なんて、そこにはなかった。

「イズモとトカラは、最高に相性がよかった。あれは、稀代のバディだった。あいつらが組んだのは、レース史上では最高で、俺たちにとっては最悪の、選択だった。」

 脳裏に疑問が浮かぶ。父が副運転手(ツイン)を務めるそのバディが最高に相性が良かったというのならば、なぜ父はその後一人で主運転手(メイナー)として名を馳せることになるのだろう。

 丁寧な手つきで箸を持ち上げ、叩き胡瓜の最後の一切れを口に含んだ彼に、その疑問をぶつける。聞くタイミングは、今しかないと思った。

「それだと、おかしくないですか。そのまま行けば、父は一人で主運転手として有名にはならないはずです。」

「…言っただろう、あれが、最悪の選択だった、と。」

 外れた視線は、交わらなかった。


「トカラは、イズモに心酔した。…どうしてだと思う、セイカ。お前なら、どう考える。」

 初めてスサミから質問を投げかけられる。どうして、と言われても分からなかった。もしかしたら、スサミ自身もわからない問いなのかもしれない。その答えを知りたくて、父の血を引いた私に問いかけているのかもしれない。

 彼は、答えを急ぐ様子はなかった。自由な左手と、不自由な右手の間を、視線が彷徨う。左手で前髪を掻き上げるようにして、思考に没頭する。父の、あの不器用さ。亡くなった主運転手との、折り合いの悪さ。趣味がなく、自分の中に溜め込んだものを全てギャンブルにぶつける、要領の悪さ。三つ年上の、よく可愛がってくれる同期のレーサー。ずっと同じポジションで、同じように悩みを相談してきた、まるで、兄のような、レーサー。その彼が、初めて、主運転手と、なる。自分の、バディとして。

 ごくり、と喉が鳴った。父の心理が、私には、いっそ恐ろしいほど容易に想像できてしまった。目を固く瞑って、他の可能性を考える。折り合いの悪かった元主運転手と比べて、運転しやすかったから。気心のしれたレーサーとの運転で、やりやすかったから。

 それでも、思いつくどの理由の説得力も、最初の想像には遥か足元にも及ばなかった。背筋に寒気がした。自分の想像が、完全に正しいとは、思わなかった。思いたくもなかった。それでもきっと、これが限りなく正解に近いのだろうと、なんとなくわかった。

 考えたことを、口に出す。スサミは、黙ってそれを聞いていた。


 しばらく、私も彼も沈黙していた。周りの喧騒だけが、がやがやと聞こえ続けていた。なんだか、何か口にするのも、手を動かすのも、憚られるように感じられた。今は、スサミの独壇場だ。彼の許可が無ければ、彼が動き始めなければ、私は何もすることができない。

 深呼吸を一つして、スサミはこちらを向いた。嫌な予感がするほどに、その細い瞼から覗く瞳は真っ直ぐに澄んでいて、何も映っていないガラス玉のようだった。

「流石だ、………()()()。」

 絶句するしかなかった。これが、正解だというのか。これが、正解を告げる言葉だというのか。あまりにも、残酷ではないか。口元が、わなないて仕方なかった。自分が泣きたいのか、怒りたいのか、それすらも曖昧になった。反射的に握りしめた左手が、小刻みに震えていた。息が細くしか吐けなかった。その呼気ですら震えていた。


 それを全て無視して、冷淡に、スサミは過去を語り続けた。

「イズモに心酔したトカラがやったのは、イズモの運転を真似ることだった。イズモの運転は荒くてな。当時、何度か試走のためにレース以外であいつと組んだことがあったが、レース用の機体(マシン)で乗り物酔いしそうになったのはあいつの運転だけだ。それを、トカラは真似た。」

 彼の語りを聞いていても、身体が動かせなかった。トカラが、イズモを真似たのは知っている。リュカに以前聞いたからだ。でも、これから先の展開を聞くのが、恐ろしかった。

「トカラの、主運転手としての技術は、そんじょそこらのレーサーの比ではなかった。長いこと副運転手として下積みをしてきたからだろうな。副運転手に出す指示も的確でな。それでいて、イズモのように攻めた運転をする。それについて来させる技術と、カリスマ性が、主運転手としてのトカラには、あった。」

 硬直したまま、手も足も動かせない私をよそにして、スサミは、独白を続ける。

「それでも、トカラが求めたのは、イズモとのバディだ。あの二人は、言葉もなく連携をして見せたからな。ああ、それに、」

 そう言って、ジョッキを呷る。中身が一気に減ったのが見えた。

「イズモも、トカラの副運転手として求めた。トカラが主運転手として腕を上げ始めても、自分の副運転手として縛り続けた。言葉もなく、意志疎通ができるバディとして、な。」


 そこで、彼が初めて極めて自嘲的な笑みを浮かべた。

「俺は……ハッ、蚊帳の外だったけどな。時々トカラの副運転手として、あるいはイズモの副運転手として運転するくらいだ。俺の本来のバディとは何の問題もなかったからな。あいつらを、止める暇なんて、ありやしなかった。」

 ジョッキをまた呷る。中身が全てなくなり、氷がぶつかる音がした。

「止めたところで、どうにもならなかっただろうがな。今思えば。」

 彼の目の、イズモに対する、あの諦観の眼差しは、ここに起因している。それが、嫌というほどわかった。


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