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Drused Race  作者: 鈴生
グランプリ
38/38

38. 誘餌

 ガレージに来たというのに、結局リュカは機体(マシン)に触らず帰って行った。どうにも彼氏からディナーに誘われていたらしい。

「ごめん!初戦勝ったから祝勝会しようって言われてたの忘れてた!今度こそやるから!」

 それだけ言って彼女はバタバタと出て行ってしまった。残されたのは呆れ返った私だけだった。それでも、一人で黙々と作業をした方が楽なのも事実で、他のレーサーが帰った後も私は機体を弄り続けていた。

 深刻なダメージは無かったものの、やはり妨害のときに使ったダブルスチールが少し傷んでいた。次に損傷が激しかったのはエンジンとコックピットを繋ぐチューブの接続部分だった。流石にあの落下はやりすぎだったらしい。かといって止める気は更々ないが。

 今できる範囲で整備(メンテ)をして、塗装を塗り直すことにした。レース中には気付かなかったが、岩肌に擦ってしまっていたのか地面と接する面が全体的に汚れて剥げていた。

 細部まで色の具合とバランスを加味しながら、塗り直しが終わった頃には、空に月が昇っていた。肺から深く息を吐き出す。少し熱中しすぎてしまった。ツールケースを片づけていると、どこからか足音が聞こえてきた。誰だろうか。他には誰もいないはずなのに。


 荒々しく砂利を踏みつける音が近づいてきて、私の背後で止まった。月明かりに照らされて、その影が目の前に伸びていた。男だ。咄嗟に立ち上がって振り返る。

「…何か用ですか」

「あぁん??んなもんあるに決まってんだろうが!!!」

 レースの前後に絡んできた男たちのどちらかだ。見分けが付かない。片手にはラム酒の瓶が握られていた。酔っぱらっている。

 瓶を振り回し、殴りかかろうとしてくるので仰け反って避ける。

「…どういうつもりですか!」

「おまえのせいで!!!俺らのノアが!!潰れた!!!お前のせいだ!!!」

 会話が成立しない。それに、引っかかったのは彼らの運転技術の問題だ。妨害を仕掛けた私たちに非は無い。

「それはあなたたちの問題です、責任転嫁されるんですか?レーサーなのに?」

 私の言葉にカッとなったように、千鳥足のまま私の方に突進してくる。このままでは避け切れない。背後に置いてあったツールケースを思い切り蹴り倒す。そのままケースの上に乗って男を見下す形になった。

 予想もしていない動きだったのか、男は地面に無様に倒れ込んでいた。まるで芋虫のようだった。立ち上がろうとしても立ち上がれていない。

「お前のせいだ…!!リュカ…!」

「リュカ??」

 まさか彼女を私と勘違いしているのだろうか。あんなに容姿が違うのに、酔っぱらうと人間はここまで判断力が落ちるのか。

「私はリュカじゃないですけど」

 見下したまま告げる。するとなぜか、男は急に厭らしい目付きになって、こちらを見上げてきた。立ち上がろうとする様子はない。

「はは、じゃあ、お前がセイカか、」

 控え室(ロッカールーム)で見たような、にやついた笑みが顔全体に広がる。

「リュカと、寝てんだろ?」

 眉間に皺が寄る。何を言っているのだろう。そんなわけはない。そもそも彼女と食事を共にしたことすらない。それに、彼女には彼氏もいる上、私も恋愛に興味がない。レースと機体と賭博さえあれば人生はそれで満足だ。それなのに、どういう意味だろう。

「夜に相性がいいからあ、組んでんだろお?」

 呂律が少し怪しい。のっそりと男はふらつきながら立ち上がって、私と同じ高さから視線を合わせてきた。彼の方が、私よりも背が高い。ツールケースに乗る私と、彼の目がぶれながらも視線が絡む。月明かりの元で照らされていても、その目はアルコールに酔わされて、濁って淀んでいた。

「おれならあ、もっと、いいゆめ、みせてやれるぜえ」

 酒臭い息がかかる。酒瓶を握っていない手が、こちらに伸ばされていた。不愉快だ。本当に殴り飛ばしてやりたかった。それでも、何とかして自分を押さえつける。こんなやつのせいで、私たちは失格になるわけにはいかない。

「はっ」

 逃げ出したい気持ちでいっぱいだったが、それを封じ込めて鼻で笑う。その手に触れられてなるものか。唾を飲み込む。一瞬だけ強く目を瞑り、しかと彼の薄汚い目を見返す。

「てめえが、満足、させられるのかよ、私を」

 一言、一言、区切りながら、ゆっくりとケースから降りて、着ていた黒のツナギのジッパーに手を掛ける。下に着ているのはタンクトップだけだ。暑かったのでそれ以外着ていない。

 ジッパーを胸のあたりまで下す。私だって女だ。悲しいことに、自分の性が武器になることくらい、知っていた。ジッパーを下した手を、緩く握って、襟元まで持っていく。視線がそこに注視されているのを感じた。

 吐き気がするくらいじっとりした視線を向けてくる、その男の目を、覗き込むようにして見つめる。こちらに注意が向いているのを、確認するためだった。襟元に掛けた手を、焦らすように解いて、襟を少しずつずらす。首筋をつう、と汗が伝うのが分かった。

 少しだけ顎を上げて、首筋と鎖骨を見せつける。息を吸って、瞼を下ろす。今日のレースの興奮を思い出す。他のレーサーでは味わえない、あの連帯感。どこまでも行けそうなほど、軽い機体。機体は機嫌を損ねることなく、リュカの意志をはっきりと伝えてくれる。メインハンドルが重くなることはあっても、引っかかりを覚えることは、一度としてなかった。瞼を持ち上げる。唇を湿らせる。ここで急いではならない。息をほう、と吐き出す。

「あんなに、興奮させてくれるレーサーに、なれんのかって、聞いてんだよ」

 こちらに視線を釘づけにしていた男が、私の目を見て、ぎょっとした。腰を抜かしたのか、またみっともなく地面に這いつくばる。

 月の光に照らされた私の目は、きっと爛々と輝いていたことだろう。口の両端は、わざとらしく吊り上げてあった。空いていた片手を、ポケットに入れる。そういえば、小型のスパナを一本しまい忘れていた。ツールケースに空きがあると思ったら、そういうことか。おもむろにそれを取り出して、一気に頭の上まで振り上げる。

「うわあああああ」

 情けない声を上げながら、這いずるようにして男は逃げて行った。まだ何もしていない。それにしても、舐めてもらっては困る。私だってスズメバチなのだ。

 軽く溜息をついてから、ツールケースにスパナをしまい直す。それでもまだ隙間が空いている。他に何をしまい忘れているのだろう。

 そこでふと思い出した。帰り際に、リュカが家で使うから貸してほしい、といってノギスを持っていったのだった。基本的に使うことはないので、無くても困らないツールだ。次のレースのときに回収しよう。


 そうして次のレースの前の控え室で彼女と会った時に、あの男たちがどうなったかを聞いた。どうやら棄権したらしい。機体がおしゃかになったらしいから仕方あるまい。それと、どうやら片割れが人的異常(レーサートラブル)を申告したらしい。詳細は言わなかったそうだ。

「こわいねー」

 ノギスを渡されながら、妙に棒読みでリュカが言った。違和感を覚える。ノギスの端に、茶色い汚れが付着していた。

「…何したのこれで」

「…ちょっとねー」

 なんだか猛烈に嫌な予感がした。

「…何もしてねえだろうな…?」

 視線が急に合わなくなった。作られたような笑顔が鼻につく。何度も瞬きしながら、妙に調子っぱずれな声で言われる。

「してないよー?」

 答える気がないということはよく分かったので、もう追求しないことにした。これ以上聞いたところで何も得られないだろう。私もこの前のことは黙っておいた。聞かれなかったので言う必要も無いだろう。あんな虫けらよりも、私たちが集中しなければいけないのは、このあとのレースだ。


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