36. 初戦・中
控え室で待ち受けていたのは、予想通り叱責だった。知らぬ存ぜぬを貫き通してほぼ水掛け論になりかけていた時に、にやついた笑みを浮かべた男性2人に声を掛けられた。
「へえ、ここでスズメバチが女王の座を巡って争いか」
「お前らはレースに出るまでもねえだろうな」
けらけらと2人で同じ全く笑い方をして、彼らは控え室を出て行った。その言葉はまだ残っていた他のレーサーたちにも聞かれていたようで、一斉にこちらに注目が集まる。私とリュカの間を気まずい沈黙が満たす。
小声で謝罪される。
「…ごめん、ウチが言い過ぎた」
「いい、気にすんな」
不戦勝の理由は私も気になっていた。疑問に思うことはたくさんある。他のレーサーの目を憚って、リュカの体裁を気遣って、言わなかったこともある。運営とレーサーの癒着なんて、聞いたことがない。いくらドルーズドだと言っても、私たちは賭け事の対象だ。そこに賭場の親方が関与しているのを、観客は許すだろうか。ここではずっと今まで、こんなことが罷り通っていたのだろうか。こんなの、出来レースじゃないか。
それに、一番気になっているのはそれを許してきたイズモとスサミだ。少なくとも、彼らはこんな不公平な状況を喜んで飲む人間じゃない。この前の運転と、今までの付き合いと、娘のリュカを見れば分かることだった。
私たちがグランプリに出場することが決定してからというもの、彼らからの連絡は途絶えている。この状況について聞く術はない。
今考えても栓無きことだ。頭を振って、思考を追い出す。目の前のレースに集中しなければ。先ほどの口喧嘩にも満たない言い争いでしょげているのか、のっそりとした動きで支度をするリュカに声を掛ける。
「リュカ」
茶色いショートヘアがぱっと散って、こちらを勢いよく振り返る。表情には、明らかに不安が浮かんでいた。このままレースになんて臨めない。
「さっきの男たち、すげえムカつかない?」
不安げな表情が、怪訝なものに変わっていく。そこに畳み掛ける。しっかりしろ、主運転手。お前は私の目で、頭脳で、全てだろう。
「あいつらから、潰さねえ?」
表情が徐々に変わっていく。すぼめられていた唇の両端が、ゆっくりと持ち上がる。眉間に寄っていた皺が無くなっていく。細められていた両目が大きく開かれて、目尻を吊り上げてまた細められた。
「乗った!」
左手を突き出される。
「ちゃんとついて来てよ?副運転手。」
その手を掴んで、あらん限りの力で握り返してやった。
「やってやるよ、主運転手。」
彼女の華奢な手に、筋が浮かぶ。痛いほどの力を籠められた。
控え室には、もう誰も残っていなかった。




