デート前夜
金曜の終業時間前になると事務所に矢島さんがやってきた。そういえば私がニッキと出かけるって話をこそこそしてたっけな。
「レイデンを迎えに来たんでしょ?」
「ああ? なんだ、もうバレちまったのか」
彼は気まずそうに頭を掻いた。
「誰にでも手を出すんですね」
「誰にもってわけじゃないぞ。俺にだって好みがある」
「あの人、すごく真面目なのは知ってるでしょ? セフレの一人になんてして欲しくないんですけど」
「そんなんじゃないよ。心配するな」
矢島さんとこんな会話ができるのも、もちろん失恋の薬のお陰だ。薬を飲んでもレイデンのことはまだ特別な存在として感じられた。彼が私のことを『大切な友達』と呼んだのもこんな感覚だったのかな?
「今日は二人で観劇でもするんですか?」
「いいや、どうしてだ?」
「いつもより気合入ってるでしょ? 二割り増しぐらいの格好良さですよ」
「そうか? 俺は普段から格好いいだろ?」
事務所のドアが開いてニッキが勢いよく入ってきた。
「なんだ、キュウタがまた来てやがる」
「お前こそな」
「俺はハルカを迎えに来てやったんだよ」
ニッキが口をとがらせて矢島さんを睨んだ。
「ちょっと、ニッキ、こっちに来てよ」
この二人、顔を合わせればいつもこうだ。口論に発展する前に彼をキッチンに引っ張り込んだ。
「なんだよ?」
「明日はデートだから今週末は遊びに行けないの。連絡するの忘れてた。せっかく来てくれたのにごめんね」
「ええ? 相手は誰だ?」
「図書館で会った貴族の御曹司」
「個人講義してくれる奴か? ジジイなんだろ?」
「違うって。インテリでイケメンで超格好いいんだよ」
「なんでこそこそ隠れて俺に言うんだ?」
「矢島さんとレイデンにはまだ知られたくないんだ。うまく行くかどうかもわからないでしょ? 今のところは、あなたと付き合ってるってことで収まってるし」
「そうみたいだな。俺は構わねえけどよ。それにしても、よくデートなんてする気になったな」
「うん、いい加減に気持ちを切り替えないとね」
薬に頼ったなんて言うのは恥ずかしいので黙っておこう。
デートの事をニッキに告げたら、なんだか心がわくわくしてきた。こんな気持ちになれたのは何ヶ月ぶりかな。
「ハルカ達は先に出てくれていいですよ」
オフィスに戻るとレイデンが声をかけてくれた。
「ううん、明日は用があるから行けないの。だからあなたが先に帰って」
「そうですか。それではそうさせてもらいます」
帰り支度を終えていたレイデンは矢島さんを振り返った。私にバレてしまったのだから、堂々と一緒に帰るつもりらしい。
ところが矢島さんは立ち上がろうとはせず、「またな、レイデン。気を付けて家に帰れよ」と、すました顔で別れの挨拶をした。すかさず、ニッキの方にちらっと目をやる。
「え? あ、はい。では、失礼します」
レイデンは彼の意図をすぐに理解したようだ。ぺこりと頭を下げてそそくさと出て行った。
矢島さんはニッキに彼とのことを知られたくないのだ。バレたら最後、しつこくからかわれるのは目に見えている。ここは穏便に済ませたいんだろう。
「なんだ、ニッキ。せっかく迎えに来たのに無駄足か。残念だったな」
そのくせ、ニッキには容赦ない。
「うるせえな。ここまで来たんだからこの村で飲んでくよ。ハルカ、今晩は空いてんだろ? 付き合え」
「うん、いいよ」
デートは昼からだし、ちょっとぐらいなら飲んでもいいかな。
「構ってもらえてよかったな」
「うるせえな。早く出ていけ」
ニッキが矢島さんを睨みつけた。
「そうだな。待たせちゃまずいからな」
「誰をだよ?」
「デートの相手だ」
「お前はいくつになるまで遊び歩く気だ」
「俺の勝手だろ?」
「クソ真面目なレイデンでも見習ったらどうなんだよ?」
「お前こそ、あいつに礼儀作法を教えてもらえ」
「もういいから、矢島さん、行ってください。デートのお相手を待たせちゃかわいそうでしょ」
私はドアを開けて矢島さんを押し出した。
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身支度と戸締りをすませてニッキと外に出た。陽ざしの強い夏日だったので、まだ石畳が熱を持っている。
「前に行った店でいいよな?」
そう言いながら斜め前を歩くニッキの背中が妙に大きく見えた。今日のニッキはいつもより格好いいな。何が違うんだろう?
『東の森の民』はエレスメイアでは特別な存在らしい。通りすがりの村人たちが彼を振り返る。頭を下げて挨拶する人もいた。
彼の一族はエレスメイアが建国される遥か以前からこの地で暮らしていた。それなのに放浪者の集団を快く迎え入れ、彼らがここに国を築くことを許したのだ。一説によると『東の森』の長が、後のエレスメイア初代王となる放浪者達のリーダーをひどく気に入ったのだという。
彼らはエレスメイアが『魔法世界』有数の大国となった今も、当時と変わらず深い森の奥で暮らし続けている。エレスメイアは受けた恩義を決して忘れることなく、『東の森』を同盟国として扱い、彼らの行いには一切干渉しないのだ。
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金曜日の店は混雑していた。レイデンにフラれてからは、一度もこの店には来ていない。顔見知りの村人たちが「ひさしぶりだね」と声をかけてくれる。
ニッキが飲み物を買いに行っている間に二人掛けの席を見つけて腰を下ろした。心が軽くなったせいか店の雰囲気がやけに華やかに感じられる。
人混みを押し分けて発泡酒のジャグを持ったニッキが戻ってきた。テーブルの反対側の席に着いたかと思うと、彼はいきなり私にぐいと顔を突き付けた。
「うわ、なんなの?」
「なんなの、じゃねえよ。さ、正直に話してもらおうか」
何のことだろう? 彼は少し腹を立てているように見えた。
「俺にバレねえとでも思ってたのか? お前、魔法を使っただろ?」
「魔法?」
「あの情けねえ男を忘れるのに魔法を使っただろって言ってんだ」
ああ、そのことか。
「なんでわかったの?」
「感じるんだよ。心をいじるのはリスクがでけえんだぜ。ヤベえ事したんじゃねえだろうなあ?」
彼にもレイデンのように常人には見えないものが見えるんだった。すっかり忘れてたな。
「それなら大丈夫だよ、『魔法院』の病院で失恋の薬を貰ったの」
「失恋の薬? そんなもんがあんのか?」
「うん、すごくよく効いたよ。ドレイクの血が入ってるんだって」
「『魔法院』の薬なら心配ないか。別人みたいにケロっとしてるし、俺の見てねえ間に、何かやらかしたのかと思ってびびっちまったよ」
ニッキは安心したらしく、グラスに酒を注いで一気に飲み干した。目を離している間に私に何かあったら、おばあちゃんに叱られちゃうんだろう。
「それで、そのジジイとデートする気になったってわけか」
「うん、そうなの」
デートの約束をしてからも色々あったことは黙っておこう。
「なあ、ハルカ。そいつはやめて、俺と付き合わねえか?」
「え? もう酔っちゃった?」
「いいや、まだ全然飲んでねえぞ」
「そんな事言われても明日はデートだし」
「まだそいつと付き合ってるわけじゃねえんだろ?」
「それはそうだけど……」
「じゃ、早いもん勝ちだ」
いつになく真剣な顔で見つめられて胸の鼓動が早くなってきた。気のせいじゃない。やっぱり今日のニッキは格好いい。きれいなだけじゃなくて、なんというか以前よりも男らしくなったような……。
彼とは友達以上の関係にはなれないものだと信じてたのに、私、どうしちゃったんだろう?




