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28.エピローグ

 生き地獄、という言葉は好きじゃない。

 それは地獄を体験していない人の表現だ。

 いや、違う。

 死んだ日常を体験したことのない人の言葉だ。

 灰色だ。文字通りすべてが色褪せて見える。人の顔も、建物の形も、全て同じように見える。ただの風景にしか見えない。

 だから見ても仕方がない。

 地獄? ならまだ地獄の方が良い。

 何の意味もない世界。何の意味も存在しない世界。

 僕にはもう、世界がそんな風にしか見えない。



 『あの女』と別れた雨の日、

 そして始音に似た『アレ』を燃やした日以降、

 僕の日常は完全に死んだ。



 僕の中の全てが奪われ、

 与えられたもの全てが偽りだと知らされた。

 かといってその嘘つきを断罪しようという気も起きない。

 僕という人間は、一体何がしたいのか。

 何がしたかったのか。

 今何を思って生きているのか。

 いや、僕は生きているのだろうか。

 そんなことを延々と考えて、

 延々と考えて、考えて、

 考えに考えて、

 そして…………考え疲れた。

 死んだように毎日を、ただ淡々と消化していた。

 体が意識と切り離されて、勝手に動く。


 起きて、食って、排泄()して、食って、寝て、

 起きて、食って、排泄して、食って、寝て、

 起きて、食って、排泄して、…………

 

 あとはぼーっとテレビを眺め続けるだけ。内容は頭に入ってこなかった。ただ、何か音がないと狂ってしまいそうだった。液晶内では賑やかなバライティー番組をしているようだが、僕の耳にはザラザラと鼓膜を擦るノイズ以外の何ものにも聞こえなかった。



 そんな、灰色の夏の、終わり……



「……」

 紅く色付いた桜の街道を、僕『森近(もりちか)(ゆう)()』は歩く。

 目的は出勤……ではない。

 格好はジーンズに適当に白いシャツを着て、上から灰色のパーカーを羽織っている。髪型は特にセットせず、とりあえず寝癖だけ直したストレート。ちなみに歳は十九歳でギリギリ未成年。

 一言で言うなら『地味な男』だ。

 もとからあまりファッションに興味がなく、服は親が送ってくれるものを適当に掴んできている。が、このジーンズというのは僕の選んだものではない。いや、ある場所に向かう際には選んできているのだが。

 これは今から行く元出勤先の元上司に「ここで働くならジーンズにしなさい」と言われたからである。その名残が忌々しいことに体に染みついてしまっている。

 勤務していたのは三百六十五と七日目と……何日だったか。

 勤務内容は古本屋の店番だった。低賃金だ。しかしご飯が出てきた。それが唯一で最大の助けだったのをよく覚えている。一人暮らしの僕は正直大家さんにお金を納めるだけで精いっぱいなのだ。その部分だけは本当に惜しい。

 歩いて約二十分。

 都会というには田舎臭いが活気のあるアーケードに着く。

 その中を少し進んでから左折。すると一気に空気が変わり、別世界……いや、戦前にタイムスリップしたかのように、人気がなく寂れた狭い路地に入る。

 そのさらに奥に。



『古書店』



 木の看板に筆でそれだけ書かれた、まるで昭和の八百屋かどこかの駄菓子屋のような店。看板が無ければとても本を売っている店に思えない。

「……」

 なぜ、またここに来たのか。

「……」

 自分でも、分からない。



 ガラガラガラ、と戸を開く。



「おは……」

 挨拶をしそうになって、口を噤む。

 古紙と、かび臭さと、埃臭さが混じったところへ入っていく。

 と、



「いらっしゃい、優真君」



 目の前のカウンター内に、一人の女性が立っていた。

 驚く僕に、彼女は複雑そうに笑う。その笑顔をしばらく茫然と見て、それからようやく、ギコチナク僕は挨拶を返した。

「……お久しぶりです。塚井さん」




「……」

「……」

 二階のダイニングに案内され、あの机に僕と塚井さんは対面して座っている。あの『少女』は居ないようだ。

 互いに会話はない。僕は塚井さんが入れてくれたコーヒーカップをずっと眺めている。何を話せばいいのか。そもそも何かを話さなくてはいけないのか。自分でも分からず、ただ縋るようにコーヒーを眺めることしかできなかった。

と、塚井さんも同じように俯いている。彼女も何か話したいことがあるのだろうか。しかし今更何を?

 長い、長い沈黙の後、塚井さんはコーヒーを一口飲み、口を開いた。

「……奈々子(ななこ)ちゃんの事、やっぱり恨んどるよね」

「……」

 まだコーヒーに口を付けていないのに、口内に苦味が広がる。

 『陀宮(ななみや)奈々子』という少女。

 その名前で、フラッシュバックする。

「……許しているように、見えますか?」

 芯から冷えた言霊。無意識に僕は塚井さんを睨んでいた。それに彼女は再び視線を落とす。



 再生される記憶。

 陀宮奈々子。そう名乗る少女に、僕は酷い………いや、そんな簡素な言葉で片づけられないほど残虐な行為を受けた。


 最愛の人を殺され、

 それを隠され、

 一年間も彼女の嗜好に付き合わされた。命の危険も何度かあった。揚句彼女の自殺の手伝いをさせられそうになった。


 そんなあまりにも身勝手な彼女を、僕は許さない。

 許せるはずがない。

「……」

 ……同情はない。

 可哀想とは微塵も思わない。

 ただ、思い出す記憶の中には、あの時の記憶もある。


 叩きつけるような雨と、

 その中に蹲る彼女。


 あのときの彼女はボロボロだった。

 追い撃ちするところがないほど、身も心も衰弱していた。

 痛めつけるところがないほど、崩れ切っていた。

 恋故に自分の手を血に染め、

 その恋すらも、一瞬で失った少女。

 あの雨の中。僕は、しばらくすると抱きしめた彼女を離し、一人あの場所から去った。

「……森近君」

 沈み、暗い海に消え入りそうな声を背に受けても、振り返ることなく。

「……」

 哀れな奴だ、と思う。哀れな女だと。

 けれど切り捨てた。

 見捨てることにした。

 もう、関わることがないように、と。

 もう、関わりたくない。

「これで互いにおしまいです」

 口にした瞬間、何かが僕の中で沸き立ち始めた。それが怒りなのだと、僕はすぐに気が付いた。けれどそれを治めようとは思えなかった。

「僕は来年、大学を受験するつもりなんです」

 それは安直な出任せに近かった。少し考えては居たけれど、本当はここで言う気も、受験する気もなかった。

 しかし口は止まらない。口が、喉が、体が熱を持ち、勝手に動く。

「そうなんや」

 塚井さんは静かに相槌を打つ。

「ええ。はい。他県の大学です。なので……」

 なので、と。そこで言葉が少し詰まってしまう。なぜ言葉に詰まった? 僕は、迷っているのか? この期に及んで?

 ――――――いや、違う。

 ただ、あの女から逃げるような気がして、それが癪なだけだ。

 けれど、僕は逃げるわけじゃない。

 僕は息を吸い込み、再び口にする。

「――――――もうここに来ることはないと思います」

 もうここには来ない。あの少女にはもう二度と会わない。

 そうして僕は、幸せになって見せる。

「そうなんや」

 塚井さんは静かに相槌を打つ。

 僕は少し冷めた残りのコーヒーを一気の飲み干し、カップを置いて席を立つ。

「……ごちそうさまでした。コーヒー、すごく美味しかったです」

「……そう。ありがとうね。お粗末様でした」

 立ちあがった僕に、塚井さんはいつもと変わらない、優しい笑顔を浮かべる。

 無理をしていつものように笑っている。

 その笑顔に何も感じなかった、といえば嘘になる。しかし、それを分かった上で僕はきびすを返す。

「さようなら、塚井さん」

「うん……さようなら、優真君」

 今までありがとうね、と。

 消え入るような声だった。




 アーケードに戻ると、現実に戻ってきたような感覚を得る。まるで、さっきの出来事が全て夢か幻だったかのような、乾いた現実感。

 いつの間にか時間はお昼に差し掛かっており、アーケード内は人で溢れている。その流れの中に混じるように、僕は自宅へと足を向ける。

 流れる人の波には男性もいるが、女性が多いように思える。おそらくお昼の買い出しが主な目的だろう。

 女性といっても、ここを利用する人の年齢層は二十代からご高齢の方まで幅広い。しかし女子高生みたいな少し幼さを残した女性は、今まで見たことがなかった。

 故に、僕はすぐに視界の端に映ったソレを、見間違いだと判断できた。

 こんな時間に制服を着た女子高生が、ここに居るはずないのだから。

 チラリと映った顔に見覚えがあったのならなおのこと幻だ。

 その幻影はすぐに人の波に紛れてしまったが、僕の前から歩いてきていたように見えた。

 僕は構わず、そのまま足を進める。進めながら、しかし、脳が勝手にさっきの幻影の顔を思い出してしまう。

 向かって歩いていた幻影の少女。その顔には悲しみも、怒りも、哀れみもなく。

 ただ、いつものように―――――――――――




















さようなら・・・・・近森君・・・







 アーケードを抜けたと同時に、風に漂って、誰かの声が聞こえた気がした。

 その声音は、失礼なくらいに不敵で、不遜で、どうしようもなく捻くれていた。

が、なんとなく聞いたことがあるような気がした。

 だけど、知らない。



 僕は『森近 優真』なのだから。

 『近森』なんて人は知らない。



 だから、僕は足を止めない。他人なので振り返ることもない。

 …………でも、

 向こうも他人なら、何を言っても反応しないだろう。

 僕がそうだったように、風に乗ってきた声の主も、振り返らない。

 だからほんの少しだけ吐露する。

 時間はまだお昼なのに、胸の中は夕暮れのように鈍く黒い。

 だから、

 日が沈む前に、

 また日が昇るために、

 後腐れが無いように、

 ほんの―――――――一言だけ。





「―――――――――――――さようなら。大馬鹿上司」





 世界の端に転がる、

 小さな飴玉のような、

 苦くて、甘いお話は、

 静かに幕を閉じた。

                                     『完』


どうでしたか?


異世界とかバトル系以外に何か書きたいなと思って書いたのがこの作品になります。

私なりのバッドエンドを描いてみたのですが、少しハショリ過ぎたかもしれませんm(__)m


それでも読みに来てくださった皆々様ありがとうございました。


今後ももしかしたらちょくちょくこんな感じの話を書いていくかもしれないので、投稿した際は読みに来ていただけると幸いです。

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