27.元凶
少女には、生まれた時から『力』が備わっていた。
人には見えない。見えない者たちを見て、干渉できる力が。
故に、それが俗に『魂』や『霊』と呼ばれるものだと理解するのに、そう時間はかからなかった。
故に『死』というものに疑問、興味を抱くまでに、そう時間はかからなかった。
人はなぜ死んでしまうのか。
そもそも死とは何だろうか。
それを周りに訊いてところで、返ってくるのは曖昧な答えばかり。ときには不謹慎だと怒られて頬や尻を叩かれた。
そして少女は考えた。そして少女は思いついた。
ならば、死んでしまった人に直接訊けばいいのではないか、と。
そして生き返らせることができたのならば、死と生で対比し、真の答えが出るのではないかと。
これが少女の、名もなき少女の、
陀宮奈々子の出発点である。
命を蘇らせるはずのこの法を、後に殺すために使ってしまうなど、幼き日の彼女は夢にも思っていなかった。
・・・
「……」
雨音で目が覚めた。
ここは人通りが少ない。あるのは老婆が趣味紛いで営んでいる煙草屋くらいで、来るのはよっぽど物好きなやつくらいだ。
……いや、極稀にだが、迷い込む者もいる。
例えば……そう。こんな雨の日、
「気味が悪い」と親や周りから嫌われ続けた『家出少女』が蹲っていたり、
家にいても暇だからとブラブラしていた『退屈少年』が歩いていたり、
生きる希望を失ってフラフラとしている『通り魔青年』がいたり、
その青年に会うために先回りをして、運命に鼻で笑ってしまう『怪異少女』がいたり、
そして今日。私はまた、運命に出会う。
そういうシナリオにしたのだから。
そして今日。私の運命は決まる。
そういうシナリオにしたのだから。
私はふぅ、と溜めていた息を吐くと、顔を上げる。
「……やっと見つけましたよ。陀宮さん」
そう息を切らす青年に、私は、
「遅かったね。近森君」
ニヤリと不敵に嗤って返した。
「……森近です」
そういつものように返し、陀宮さんの顔を見る。
セーラー服を着た彼女の顔にあるのは、依頼のときのような気味の悪い笑顔。まるでこの状況を楽しんでいるかのような、あの不逞で、非道徳的で、残酷な笑顔だ。
僕は軒下に座り込んでいる彼女のところへ歩んでいき、問う。
「……『一条生花』さんは?」
「死んだ。言っったじゃん、心臓発作だって」
「『門崎三葉』さんは?」
「さあ? 『体』を与える契約は昔したけど、後は私の知るところじゃないし。ああでも、君をあのアパートまで運んだのは彼女だよ。運ばせたのは私だけど」
「四水沙希も、神代未零も、全部……」
「そう、私が見せた『幻』……というより『怪異』といった方が近いかな? どうだった? うまく作れてっ、」
「っ――――――」
言葉を遮り、胸倉を掴む。しかし心は驚くほどに冷たく、良くも悪くも澄んでいる。
迷いがない。
「真剣に答えてください。陀宮さん」
笑う彼女に前置きし、僕は問う。
「率直に聞きます。始音を…………遠野始音を殺したのはあなたですか?」
あの夢の中で僕は見た。
振り返ったあの先。
横断歩道の真ん中にいたコロの姿を。
それを見て嬉しそうに涙を流して走っていく始音を。
そして対岸の歩道。
飛び出す始音を見て、
嬉しそうに笑う彼女、『陀宮奈々子』の姿を。
「あなたは言った。きっかけさえあれば姿を現すと。炭酸飲料が振動で泡立つのと同じように」
そう。確かに彼女はあの横断歩道でそう僕に例えた。
「あなたはあのとき、そのきっかけを与えた」
しかしそれを聞いた彼女はクスッと笑みを零し、
「未練、とも言わなかったっけ? コロちゃんは遠野始音に未練たらたらだった。だから姿を現した、ともいえる。相変わらず君は一直線に答えを求めに行こうとするなぁ。だから『探偵』じゃなくて『探偵助手』止まりなの」
いつから探偵助手になったというのだ。そもそもあなたも探偵ではないだろう。どこからともなく仕事を増やして来て。連れ回されるこっちはいい迷惑だ。
「それはごめんね」
そう彼女は薄く笑みを浮かべ、目を閉じる。また人の心を勝手に読んで。こうしていては、いつまで経っても話が進まない。彼女はいつもそうやって話を逸らして自分のペースにしてしまうのだ。
「陀宮さん。いい加減に」
我慢の限界が近づいてきた僕は、彼女の胸倉を強引に引き寄せ、睨み付ける。
が、問い詰める前に、
「私がやった」
陀宮さんはそう言って、嘲るように笑った。
そして答えに硬直する僕に向って、彼女は念を押すようにもう一度、
「私が遠野始音を殺した」
「っ、」
その答えを聞いた瞬間、僕は彼女を地面に組み敷き、懐からナイフを取り出し、切っ先を彼女の首に当てる。彼女からもらったあのナイフだ。
「……君は、君が思っているほど冷静じゃないよ」
彼女にそう指摘される。それには僕も今気が付いた。きっと、僕の顔は怒りに歪み、体は今にも彼女を殺しそうになっているのだろう。
「まるで……一年前のあのときみたいだね」
なんて、彼女は首元のナイフに臆せず、笑みを絶やさない。
「……何でですか……」
「ん? 理由?」
そう見透かして、僕が何も言わなくても彼女は先に言ってくる。
なぜ、どうして、
雨に濡れたせいだろうか。それとも走って疲れたせいだろうか。自室にいたときよりも気持ちは微かに落ち着いていて、その空いた隙間に疑問が渦巻いている。
ずっと考えていたが、彼女がそんな行動をとった理由が分からなかった。
始音と何かあったのだろうか。
それともコロの魂から何か願いのようなものを汲み取ったのか。
あるいはただの気まぐれか。
陀宮さんはハッと鼻で嘲笑すると、
「……………………なんてことない。ただの醜悪な嫉妬よ」
そう、目を逸らした。
「……え?」
それに僕は思わず抜けた声を出してしまう。
彼女は今なんと言ったのか。雨のせいで聞き間違えたというわけじゃないだろう。
呆ける僕に、陀宮さんは告げる。
「私はね。それだけ君に病んでたんだ。森近優真君」
その表情は寂しそうで、悲しそうで……浮かんでいる薄い嘲笑は……そう、まるで彼女自身に向けて浮かべているようで、
「……」
訳が分からなくなった。
……何だよそれ
何だよ……何だよそれは!
なんでそんな顔をするんだ!
なんでそんな顔をするんだよ!
「……!」
気が付けば、僕は自身の手に爪が食い込むほどナイフを握る手に力を入れ、歯が折れるのではないかというほど食いしばっていた。
そして胸倉を掴んでいた手を離し、今度は花の茎の様に細い彼女の首を掴み、
「――――――」
思い切りナイフを振りかぶる。
それを陀宮さんはまっすぐに見つめてくる。その瞳は一点の曇りなく澄んでいて、
僕は……
僕は…………
「―――――――――――――――――――――――――――――――ズルいですよ!」
その震えた弱々しい叫びは、雨音に掻き消される。
全身の力が抜け落ち、ナイフを握っている手は振り下ろされることなく、だらりと地面に垂れる。
頬を雫が伝うが、それが涙なのか雨水なのか、僕にはもう分からない。
刺せるわけ、ないじゃないですか……
「……また殺さないの、君は?」
「……」
そう問うてくる陀宮さんに、僕は何もする気は起きなかった。
心から、大切なものも全て抜け落ちてしまったかのように。僕の中にはぽっかりと穴が開いたような虚無感だけが残った。
ふざけるな、と声はする。
お前の始音に対する気持ちはその程度かと、怒る気持ちは紛れもなく僕の胸に存在している。
自分の最も大切な人を殺され、許せる者などいるわけがない。
……でも、
それでも、
僕はもう……動けないのだ。
簡単ではない。
だからといって決して許せるわけがない。
でも、それでも……
……思い出す。
『飴いる?』
灰色の空。天気予報など見ていなかったので傘など持ってきていない。
びしょ濡れの服で蹲っていたところに話しかけてくれたその人は、まるで抜け殻のようになっていた僕に言ってくれた。
『その傷は私が癒してあげる』
初めて陀宮さんに会ったとき、彼女はポケットからチュッパチャップスのイチゴ味を取り出し、そう言ってくれた。そのとき彼女がどういった気持でそう言ったのかは分からない。
掌で踊っているバカなやつめと思っていたのかもしれない。
だけどそのときの笑顔は……初めて見た彼女のその笑顔は、木漏れ日の様に温かかったのを僕は覚えている。
「僕は……僕はあなたを……」
殺せない……
一年と少し前の雨の日。
通り魔になりかかっていた僕。
それを助けてくれたのは、救ってくれたのは、他でもない。この人なのだから。
僕はこの人に、救われてしまった。
ああ、もうすでに手遅れだったのだ。
泣きそうな声で僕は言った。
もう、何もできない。
もう、何も……できない。
生きていく気力さえも……もう……
「それはマズいんじゃない? 私より病んでるじゃん」
そう彼女は飄々としゃべって僕の下から抜け出すと、
「うわぁ、びしょびしょな上に汚れだらけ……」
服を払って僕を一瞥し、
「せっかくの蘇生も失敗に終わったし、もう散々よ。まったく、誰のためにやったと思ってるの?」
彼女は落胆したようにため息を吐き、僕の隣に腰を下ろす。
「最後のチャンスをあげる、森近君……」
そして真剣な眼差しで僕を見て、
「私を殺しなさい」
「!?」
そう僕のナイフを握っている腕を持ち上げ、彼女は刃を自分の首に当てる。
刃はぴたりと首に当てられており、少しでも動かせば頸動脈を掻き切るだろう。
「なっ……何をやってるんですか!?」
それに僕は慌てて手を離そうとするが、その手を彼女は上から握り、ナイフを離させまいとしてくる。
死が首元に迫っているにも関わらず、陀宮さんはニヤリといつもの不敵な笑みを浮かべ、
「見たら分かるでしょ? 私を殺させようとしてるの」
そう、特に何の動揺もせずに言い切る。
意味が……分からない。
なぜ彼女が自ら死のうとする。
なぜだ。殺せないと僕の中で結果が出たのに、なぜあなたはそんなことをするんですか!
「陀宮さん! どうして!?」
「どうして? 自殺志願者を前にそんなくだらないことを聞くの?」
そう彼女は僕の手を握る力を強めると、静かに囁いた。
「死にたいからに、決まってるじゃん」
歪んだ愉悦を含んだその声は、死人が発したかの様で、冷たく僕の背を逆撫でた。
しかし彼女の顔はどこか寂し気だった。
少女は問うてくる。
「君は、親に気持ちが悪いと言われ続けて、愛されなかった子供の気持ちが分かる?」
と、
「君なら、どうしようもない寂しさの中、手を差し伸べられたときの気持ちが分かるでしょ?」
と、
「君は、初恋が失恋で終わったという経験はある?」
と、
そして、
「君は、償おうとして拒絶された者の気持ちが分かる?」
と。
それに僕は、
そう彼女自身への憐れみを浮かべる彼女を見て、
僕は、
僕は……
「っ、」
堪忍袋の緒が切れた。
「ふざけんじゃねえぞてめえっっっ!!」
「っ!?」
いきなりのことに驚いて、少女は目を丸くする。
しかし僕は構わず彼女を突き飛ばす。その際首を少しだけ刃が霞めるが、皮が切れただけで血はそこまで出ていない。
突き飛ばされた少女は水たまりの上に倒れる。珍しく戸惑っているようだ。なぜこんなことになったのか、本気で分かっていないようだ。
心の中で「ざまあみろ」と吐き捨てて僕は立ち上がると、再び彼女の胸倉を掴む。それは始めの逃がさないようにするためのものではなく、怒りからくる衝動的なものだった。そして僕は肺一杯に息を吸い込んでから、
「あんたの都合で勝手に決めんなっっ!!」
ゼロ距離で叫んでやった。鼓膜をぶち壊すつもりで。
しかしそれでも叫び足りない。
この人はひどい勘違いをしている。
自分が中心で世界が回っていると思っているみたいだ。そうに違いない。だからあんなことを、人の気も知らずぬけぬけと言えるのだ。
「そっちこそ、僕のこと知ってんかよ! まったく理解してないだろが!」
分からないだろうな! 大切な人を目の前で失う気持ちがあんたには分からないだろう!
「それなのに勝手に人に自分の都合を押し付けるな! 自分だけが辛いとでも思ってるのかあんたは!」
悲劇のヒロインか? ふざけるな! 人の気も知らないで、ポンポンポンポン自分のことを出してくるな!
自分のことを理解できるかだって? 相手のことも理解しようとしないでふざけたことぬかしてんじゃねえよクズ!
「なら僕だって理解しない。絶対に理解してやらない!
親に愛されなかった子の気持ち? そんなの知る訳ないだろ? 平穏に生きたかったなら隠せばよかっただけだろ? 認めてもらいたかったならそれ相応の努力をしたのか? あんたは何か行動を起こしたのか? どうせしてないだろうな、あんたの気性じゃ。
どうしようもない寂しさの中、手を差し伸べられたときの気持ち? ああ分かるさ! でもそれを理由にするな! それを理由に死のうとするな! それは助けた人の気持ちを全て無駄だったと決めつける行為だ。それを平気でするあんたが理解できないし、理解する気もない!
初恋が失恋で終わった? ハッ! それをよく訊けたな! そんなのあるに決まってるだろ! バカにし過ぎだ!
償おうとして拒絶された者の気持ち? そんなこと人生で腐るほど」
「もういいっ!!」
僕がそこまで喚き散らしたところで、彼女は悲鳴じみた声をあげて僕を突き飛ばす。口を動かすのに夢中になっていた僕は、それに抵抗できず、手を離して尻餅をついてしまう。
打った腰を抑えながら、僕は彼女を見る。
……雨ではないだろう。
陀宮さんは地面にへたり込み、スカートの裾を強く握って…………泣いていた。
まるで仮面が剥がれたかのように、その顔には今までの不敵さはまったくなく、涙と雨でぐしゃぐしゃに歪んでいた。
「もう……やめてよぉ……」
「……」
その姿は年相応の、
怪異も異能もない、
ただの一人の少女だった。
簡単に手折れてしまいそうな、か弱く、か細い少女だった。
「だって……だって、――――――とられたくなかったからぁ!」
少女は叫ぶ。
今までその小さな身に、心に、ため込んできたものを全て吐き出す。
「他の人にあなたをとられたくなかった! もう一度、あの町であなたを見たとき、私がどれだけ嬉しかったか、あなたには分からない! もう諦めかけていたときに再開して、私がどれだけ狂ってしまったか、分からないでしょ! あのときから私の頭の中はあなたでいっぱいなの! もうあなたのことしか考えられないの! あなたしかないの! でも殺したのはちゃんと悪いと思ってる! 私だって変わってしまったあなたを見て、自分がどれだけ重い罪を犯したのか実感した。だから未完成だった『蘇生の法』まで使って彼女を生き返らせようとしたのに、それすらも踏み躙られて、最後にそんなこと言われて…………もうどうしたらいいか分かんないのよっ!!」
少女は頭を抱えて喚く。
その内容は目も当てられないほど倫理観が欠落していて、被害者の都合もなく、どうしようもないくらい子供じみていた。
だが、これが彼女の本質。
全ての鎧が剥がれ落ちた本当の姿なのだろう。
「あなたと過ごした一年ちょっとは、本当に楽しかった。それは嘘じゃない。でもずっと悩んでた! 本当にこれでいいかって……本当のことを言わなくちゃって。でもあなたの顔を見ると嫌われるかもって思って、決意が揺らいで……気づいたら一年も経ってて…………」
「……」
その口から発せられる身勝手な言葉に、怒りを覚えないわけではない。
しかしそれよりも先に……いや、怒りが一周して、憐れみが僕の中に満ちた。
彼女は言っていた。『誰からも愛されなかった』と。
きっと、誰も彼女を叱って、正してくれる人がいなかったのだろう。
皆が皆、彼女を異物と遠ざけて、
そして彼女もまた干渉せずに殻に閉じこもってしまったのだ。
「もう、辛いよ。辛いのよ、こんなの…………」
胸の内を全て吐き、衰弱しきった彼女を見て、僕は……
「だからせめて最後は森近君、あなたに――――」
混乱する彼女に近寄り、僕は、
そっと、抱きしめた。
「ぁ……」
その瞬間、彼女は小さく声を漏らし、ぴたりと硬直する。そして少しすると、彼女の全身から力が抜け落ちていくのが腕に伝わってくる。
彼女の体は、少し力を入れただけで簡単に折れてしまいそうだ。腕の中にいる少女をそれほどに弱々しく、脆い。
僕はそんな彼女に確固な意思を持って、告げる。
「僕は……一生あなたを許さない」
絶対に、と。
「何があっても許すことなんてできない」
「……」
そう言われた彼女は、まだ少し茫然とした顔のまま天を仰ぎ、そして……
「…………ありがとう」
その声を発したのは仮面か、本質か。どっちの彼女のものだったのだろうか。
その日、雨は一日中降り続いていた。




