【44】6月の雨の音
【44】
2018.06.10
「僕の心のなかに、神様の御心が溢れますように。神様と僕の心がひとつになれますように」
「自然体とは、等身等大で、心や命を伝い、あらゆる対象とひとつになること。また、対象とは無限定であること」
瞑想と観想のなかで、今日はこのような言葉が想起されました。6月の雨の音がシンシンと僕の心のなかに、降り落ちてきて、その静寂の源流と、ひとつになる感覚が芽生えました。
久しぶりにゆったりと、祈りと礼拝の時間を自分自身に与えることが出来まして、とても良かったです。雨は恵みと慈しみを育み、生命に潤いを与えます。僕達は、このような神様の涙のなかで、生かされて生きている、仕合わせな存在なのでしょう。
僕達の胸の琴線が震えるときに、神様の胸の琴線に触れるものです。お祈りや礼拝は、そのぐらいの真心と切願と愛を持って行うことが、どうやら肝心なようです。
個であるアートマンは、同時に、全であるブラフマンと一体です。梵我一如。これらを修得していくこと、神様と人間の心のズレを、擦り合わせていくことが人生なのかも知れません。最終段階は、神人合一。
その際には、人生の中で、起きる出来事がこの地球学校での教材ともなり、また、神様の御言葉になりますので、耳を澄ませていきたいところです。神様の御言葉は、今のなかに、また、歴史の出来事のなかに隠されておいでです。その神様の御経綸と御心を感じとることが、神秘家の役目でもありましょう。
神様は、問題が起きたとしても、いつでも大事を小事にして下さっておいでです。必要以上な事は、起きません。必要なことだけが、一人一人の人生のなかに、また、人類史のなかに、起きてきます。一般的に悲劇と見られるような大惨事は、どちらかといえば、人災であり、人のカルマによって、起きてしまっていることが多いと、僕は思います。また、長い歴史的な観点からすれば、カルマを解消しながら、必ず、だんだんと良い方向に向かっていっていることにも、気付く必要があります。大きな視点や大局から、時には、見る必要も、あることでしょう。問題として起きるということは、無表業だったものが表業していっておりますので、すでに、解決に向かっているものでもあります。神様は、愛する子である人類に、乗り越えられない試練を与えないからです。必ず、試練は、通過出来ます。そういう意味では、安心して、出来ることから行っていき、問題に対処していけば良いと、僕は思います。問題が大きいと感じるならば、対処出来る範囲まで、小分けにしていけば、時間はかかっても、必ず、解決出来ることでしょう。
物事が起きるということは、その物事を消化吸収出来る、乗り越えられる器と時期になった、ということだと、僕は、思えてなりません。現状が神様からの最大のプレゼントです。現状を大切にし、現状にある過去と未来の恵みを、素直に喜び、しっかりと受けとって、僕は、生きていきたいと、思います。
6月に咲く、紫陽花や木槿のように。




