【42】密教とロマン
【42】
2018.05.27
昨日、NHKの『こころの時代』という番組で、密教について放送されておりました。その番組を通じて、密教の視点より、色々と考えさせられるもの、また、強く共感するものを改めて感じる機会となりました。
大乗仏教の教えの根幹である万人に宿ります、仏の心、「仏性」というものについて。また、その可憐な花を咲かせるには、長い歳月や輪廻転生が必要なことについて。
仏様と一体となり、仏様をひたすら模倣し、三業(身、口、意)を三密にすること、または、仏様と相互的な関係性になる三密加持、入我我入、これは、ヒンドゥー教で説かれており、僕が日頃から心がけております「超作」と、酷似している内容でもあること。また、煩悩は悟りに導く為の、肥やしや燃料、糧となり、煩悩は、生きる為の意志でもあるという、肯定的な捉え方に、生命の包括的な要素を感じて、強く共感。それから、マンダラとは、仏様の神殿でもある(この為、下方には門が描かれている)ということを初めて知り、胸が高鳴りました。僕の感触としては、マンダラや仏様の神殿は、一人一人のなかにも、宿っているという観想も強く湧いてきました。
何よりも、密教が登場するまでの仏教は、「いかにして悟りをひらいていくのか」に主軸が置かれていましたが、密教の視点は、逆説的かつ、実践的な視点で、「悟りをひらいたあとに、何をすべきか」に力点が置かれていることに、改めて驚嘆しました。空海が日本の全国各地を回られて、利他行を実践し続けられたことは、まさに、これらの密教者のあるべき姿を示されているものだと、改めて、感動致しました。
それと、僕自身が命懸けで完成させました作品を、自らの意志で、命懸けで消失した経験がありまして、その蟠りが今でも消えずに残っておりましたが、それは、当時は、気が付かなかったですが、仏教思想の根幹であります「空」や「無常」の実践をしたんだということに、改めて気が付き、カタルシスが起きました。
僕自身は、かなり密教的な要素を色濃く持ち合わせていることについて、改めて認識する機会ともなりました。
また、改めて在家者の資質として親鸞が説かれていた「非僧非俗」についての認識と実践。これについてのテーマが強く心に留むことになりました。
いかにして非僧非俗を生きていくことが出来るのか。また、非僧非俗として生きていけたのなら、何をすべきかについて、今後も留意しながら、日々を歩んでいきたいと、思います。
いつでも天はひらかれておられます。
その恵みに気づけるのは、やはり、心の注意力によるものでしょう。
よくよく、心を空のように、澄ましながら物事を観じて、素直に、取り組んでいきたいと、思います。
今気が付きましたが、密教での三密加持と自然から学び、模倣し、一体となるということ、つまり、ロマン化することは、出所や大元は、一つであるように感じます。
と、なりますと、元々、ドイツロマン派は神秘主義を色濃く継承もしておりましたので、とても密教的でもある、ということになります。
僕がやはり、心惹かれるものは、やはりこのような系譜にあるようです。
今日は何よりも
愛する友の結婚式があります。
僕は、これから参列してきます。
花婿と花婿が
末永く、豊かに、しあわせに
暮らせていかれますように。
神様の祝福が
この世界に溢れますように。
愛は、永久です。
永久は、愛です。
愛は神です。
愛こそが神です。
愛がこの世界の深淵から深淵まで
泉のように溢れますように。




