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【35】太陽は眩しいもの

【35】


2018.05.18


たまに、色々なものが見えるときがあります。それに、意識を合わせると、その世界に四六時中ピンとが合ってしまうので、合わせては、いないのですが(合わせ続けたことが、過去にありまして、えらいことになった経験があります)、そのような時があります。そこで、体験上感じることは、やっぱり、人間側が見えて良いものと見えちゃいけないものって、あると思ったのです。太陽が眩し過ぎて、実体を見続けることが出来ないのと、同じように。


さらに掘り下げていきますと「今、自分に必要な能力を身に付ける」また「今を精力的に生きていくには、エネルギーをフォーカスする」このようなことが、あるのかも知れません。目には見えない世界を見続けることを、やり過ぎてしまいますと、現実世界のレッスンがおろそかになってしまうのです。幻想の虜になってしまい過ぎると、心や魂が連れ去られてしまう、現実世界との乖離(かいり)ということが、起きてくるのです。そうなりますと「本当の自分自身を見失う」このようなことが起きてしまいます。


本当の自分自身を見失えば、自分自身が生まれてきました目標や、使命も忘れてしまうことが起きまして「生きるよろこび」というものや「生き甲斐」が、感じ取れなくなってしまいます。そうなりますと、躍動感を持った人生というものが無くなり、オバケやゾンビで象徴されているような、生命状態になってしまうのです。旧約聖書に登場します、預言者エゼキエルは「生きながら、死んだ者に、なってはいけません」と預言をされていました。また「神は生きる」存在であると、唱えられていたのです。


この世界を、駆け回っている天使の幼子達のように、産まれてきた喜びを、噛み締めて、躍動感を持って、日々を生きていけたのなら、それこそが、充実した生涯となるのでは、ないでしょうか。生涯現役で、生きていくことこそが、本当の本来の人間らしさであると、僕は感じております。


「人間らしさ」を悲観的、否定的に使われているケースが頻繁にあると、思うのですが、僕は、そのように「人間」を卑下することは、好みません。「人間」を卑下するということは、僕達を産んで下さったご先祖様や、もっと辿れば、神様さえも卑下することに、なるからです。つまり、自分自身を自虐する者は、神様をも、卑下し、おとしめようとしている者になってしまうことを、忘れてはなりません。結局、自分自身の全てを、先ずは愛せていないと、人様や自然、神様の全てやありのままを、無償に愛することは、出来ないと、僕は、思います。やはり、仏教で言えば、自他不二であり、シャンカラの説いた、不二一元論であり、キリスト教の聖句であれば「汝を愛するように、隣人を愛せよ」これこそが、普遍の(ことわり)であり、いつなんどきにもあり、人類に託されております、根幹のテーマでもあると、僕は思います。


今日も、一人でも多くの方が、天使や根源の神様のよろこびに気付き、ありのままの自分自身を愛せますように。自然体や無償の力が、回復していかれますように。生き甲斐のある楽しい人生へ!

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