【21】最近の主なテーマ
【21】
2018.04.25
僕は、今、どんなことをテーマとして、主に取り組んでいるのかと、言いますと、先日友人から言われた「マメさ」や「根から明るく生きること」、「摂取不捨」を感得することなどです。
「マメさ」につきましては、相手にも分かりやすく提示出来ることや、初めのうちは、「おせっかい」でも良しとすることが、ポイントになると、友人から言われました。周囲との繋がりを明確にすることや、自発的に声をかけたり、周囲を気遣うことなども、含まれているかと思います。
「根から明るく生きること」については、シンプルな内容なのですが、僕にとってみましたら、大変、やり甲斐のあるテーマであると、思っております。どんな事柄や状況におきましても、根から明るく生きることが出来ましたら、とっても素敵な人生となることでしょう!僕のなかでのポイントは、どんな事柄や状況におきましても、肯定的、積極的な意義を見出だして、心のなかで、良きに転じていくことがポイントになると、思っております。「七転八倒」するというよりも、「七転び八起き」の精神性を身に付けることです。また、孟子が唱えていた「性善説」によりますと、人間は元々、天から与えられた性質を持ち合わせておりますので、根は、明るいハズなのです。この「根」や「性」に立ち還り、明るさを取り戻していくことが、生涯学習としても、取り組める、一貫したテーマとなるとも、思っております。また、「根から明るく生きること」は「超楽観主義」と近似していると、思います。やはり、イエス・キリストが誕生して以来、喜びと恵みのGraceの時代に突入しておりますし、どんなことでも、恵みだと、捉えていくことは、とても重要な心の営みだと、僕は、思っております。苦しいことや悲しいことも、いつしかは、糧になったり、土台となったりしますので、恵みや喜び、慈悲に変わっていきますから、もしかしたならば、「苦しみ」というものは、本来は、無いのかも知れません。耐え忍ぶことは、ありましても、苦しみはないのかも…。
「摂取不捨」を感得することにおきましては、自分自身のどこかで「神様に見捨てられた」と感じているところがあるからです。この「見捨てられた」とする感覚を次第に、親和させていき、昇華し、生きたエネルギーに変える必要があると、僕は、思っています。「見捨てられた」と感じている分、まだ、その部分は、上手くエネルギーとしては、機能していないからです。阿弥陀様や神様は、決して、見捨てたりなさらずに、その御光や御手が、必ず、摂取して下さることを、信じ、託することが出来るのか、という、真に迫るテーマでもある思います。「摂取不捨」を感得するということは、信ずる心や信仰が確立していくことが、裏のテーマとして、あると思います。
以上この3つが、最近の僕のテーマとなっております。このテーマを文に起こしまして、改めて明確にすることによって、確かな実感と、深い安堵感を覚えます。やはり、漠然としたエネルギーに、秩序を与えて、可視化させたり、具現化した方が、現状の背中を押す、パワーに変わっていくものですね。それに気付けただけでも、思わぬ副産物としての収穫も、あったと、思います。
これからも、この3つのテーマを胸に、実践し、精進していきたいと、思っております。




