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【15】ア・イ・サレテイル

【15】


2018.04.18


僕達は、愛されているという実感や体験が薄く、忘れていることが多いと思うのです。人間からの愛は時には、不安定かも知れませんが、神様や自然は100%僕達を常に常に常に、愛して下さっていることに、気付けるかどうか、その実感があるかどうかが、人生を謳歌することが出来るポイントだと、思うのです。どちらかといえば、神様が僕達に、「片想い」をして下さっているのです。僕達も、それに気が付いて、「両想い」になること、相互的になることが大事なように、思います。何事もそうだと思いますが、相互的であること、循環していくことが、永久や無限性を呼びよせる秘訣だと思うのです。たとえば、時に、雨が降れば、地上は潤い、その雨粒は、再び蒸発して、天へと還り、雲を創造し、再び、恵みの雨をもたらします。このような循環や相互性が、永久なのだと、僕は思います。


また、神様を感じるときは、何か、しようと、しなくても、良いのです。ただ、寝っころがって、ゆったりと、呼吸をするごとに、「神様から愛されている」「神様から無限に愛されている」と、マントラのように何度も何度も大事に大事に唱えて、その実感と体験をするだけで、神様の愛が自身の全身に沁み込んできて「な~んだ!最初から救われていたんだ!」と、気付くことが、出来ると思います。これが、僕は、静的、瞑想的な胎蔵界における、悟りだと、思います。対照的に、動的で祈祷的な金剛界における悟りは、超作によって、完成すると僕は、思います。前者は、愛されているという営み。後者は、愛したいという営みです。


このように、悟りとは、24時間、いついかなる状況であっても、天国のような至福のよろこびに溢れていることだと、思います。全てのことは、より良い方向に進んでいる為に、起きていると、分かれば、どんな出来事も、活かして、繋げていき、素直に喜べるように、なると思うのです。今までも、そしてこれからも、今、この瞬時も、天から愛され続けて、恵みを賜り続けていることを、明らかに悟ることが、「素直さ」だと、することが出来ます。素直さとは、清らかさでもあると、僕は思います。瑞々(みずみず)しいまでに、素直になれることが、「悟り」なのかも、知れませんね。


イエス・キリストが「幼子のようになりなさい。そうしましたら天国に行けます」とおっしゃられた、由縁が分かるような気が致します。僕達人間は、幼子のように、素直に生きて、互いに愛し合うことが、天命なのでしょうね。

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