【13】人は食べるために生きていない
【13】
2018.04.16
「人はパンを食べるために生きているのではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」ということをイエス・キリストはおっしゃられました。僕の、好きな、聖句の一つです。人はとかく食べる為に、働くとか、食べる為に仕事をする、という感覚に陥りやすいと思います。ですが、実際のところは、愛する家族との団欒がそこにあったり、仕事を通じて多くの人々との交流や絆があったり、自身の夢を追いかけたりなどなど、そこには、そのような愛のドラマがあるはずです。つまり、愛の為に、働いているのではないでしょうか…。愛を実現する為に、パンを食べるのであって、パンを食べることが、元々の一番の大切なことではございません。同僚や友達との親睦を深めるために、食事があったり、お酒があったり、するのだと、思います。
また、「神の口から出る一つ一つの言葉」とは、言を現している、側面もあると思います。言とは、神様が人々に与える愛のレッスンである、出来事によるメッセージやその生命なども含まれていると、思います。たとえば、人生の師と呼べる方と、運命的な出会いをするとか、生涯のパートナーとなる配偶者に巡り逢う、などもそうだと、思います。これによって、僕達は、生きている、とも言えないではないでしょうか。また、言には、生き生きした神様の言霊がありますから、それによる、霊的な食事というものがあると、思います。パンを食べないことによって、神様の言霊や真理を食べることが出来るのです。
やはり、肉体の声だけに、支配されてしまいますと、本来の人間らしさや、至福の悦びというものが味わいづらくなってしまうと、思うのです。もっと内なる心の声や、さらに奥にある、良心の声、魂の声を主軸とすることが、実り多き人生になっていくポイントのように、僕は思います。
「お腹が減った」という声に、時には、振り回されないで、違う意志や生命、心の声を選択し、そちらを神の言葉として、「生きる」必要がある、ということだと、思うのです。「生きながら、死んだ者」になるのではなくて、「生きながら生きる者」その「生の躍動感」にこそ、人生での本当に漲ってくる源や活力があるのだと、僕は思います。




