表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/50

【13】人は食べるために生きていない

【13】


2018.04.16


「人はパンを食べるために生きているのではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」ということをイエス・キリストはおっしゃられました。僕の、好きな、聖句の一つです。人はとかく食べる為に、働くとか、食べる為に仕事をする、という感覚に陥りやすいと思います。ですが、実際のところは、愛する家族との団欒(だんらん)がそこにあったり、仕事を通じて多くの人々との交流や絆があったり、自身の夢を追いかけたりなどなど、そこには、そのような愛のドラマがあるはずです。つまり、愛の為に、働いているのではないでしょうか…。愛を実現する為に、パンを食べるのであって、パンを食べることが、元々の一番の大切なことではございません。同僚や友達との親睦を深めるために、食事があったり、お酒があったり、するのだと、思います。


また、「神の口から出る一つ一つの言葉」とは、(ロゴス)を現している、側面もあると思います。言とは、神様が人々に与える愛のレッスンである、出来事によるメッセージやその生命なども含まれていると、思います。たとえば、人生の師と呼べる方と、運命的な出会いをするとか、生涯のパートナーとなる配偶者に巡り逢う、などもそうだと、思います。これによって、僕達は、生きている、とも言えないではないでしょうか。また、言には、生き生きした神様の言霊がありますから、それによる、霊的な食事というものがあると、思います。パンを食べないことによって、神様の言霊や真理を食べることが出来るのです。


やはり、肉体の声だけに、支配されてしまいますと、本来の人間らしさや、至福の悦びというものが味わいづらくなってしまうと、思うのです。もっと内なる心の声や、さらに奥にある、良心の声、魂の声を主軸とすることが、実り多き人生になっていくポイントのように、僕は思います。


「お腹が減った」という声に、時には、振り回されないで、違う意志や生命、心の声を選択し、そちらを神の言葉として、「生きる」必要がある、ということだと、思うのです。「生きながら、死んだ者」になるのではなくて、「生きながら生きる者」その「生の躍動感」にこそ、人生での本当に(みなぎ)ってくる源や活力があるのだと、僕は思います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ