28 帝国悲願①
ルイファラリス帝国、帝都ルイファリア、ディアナ屋敷。
朝の木漏れ日が広い室内に降り注ぐ。
その光を一身に浴びる天上人、帝国皇女“ディゼット・ルイ・ディアナ”は窓辺近くに腰を下ろし、御付きの者に髪の手入れをさせていた。
「良い朝ね。まるで神が帝国の勝利を祝福しているかのよう。あなたもそう思うでしょ? サーベラ――」
と、彼女は扉の前に佇む女性に語り掛ける。
対してサーベラは軽く頭を下げると、深緑の瞳をディアナに向けた。
「……まさしく帝国の繁栄は神の思し召し。その帝国を統べる皇族の方々には頭が上がりませぬ」
ディアナとの謁見を求めたのはサーベラだった。本来、皇族に対面するには相応の手続きを要し、相応の場所が用意されるが、この日、サーベラはどういうわけかディアナの屋敷に通された。
最初こそ訝しく身構えていたが、実際に会ってみて納得する。
今のディアナは相当に機嫌が良い。
きっと謁見の申し出が早く受理されたのも、帝都屋敷に通されたのも、彼女の気分が招いた結果なのだろう。
「嫌ね。私の前で他の皇族に気を遣うなんて。あなたらしくないわ」
「……と、申しますと?」
「私には頭が上がらない、ではなくて?」
ピクリ、とサーベラの眉が吊り上がる。
それを面白そうに観察する彼女は、まるで意地悪な天女だった。
「それで? 今日はどんな用件かしら?」
やがてディアナは謁見を求めた理由を尋ねる。
サーベラは一呼吸後、本題を切り出した。
「公国討伐について、お伺いしたいことがございます」
「今更公国がどうしたと言うの?」
「港湾都市マルクセルでの会談内容は既にご報告した通りですが、驚くことに公国は帝国との交渉相手に第三国を指定してきました。無論、これが奴らの策略である可能性は否定できません。ですが、あの誇り高き公国がこのようなやり方を取るのは異例です。追い込まれたが故の狂気の行動か、或いは帝国を欺くための罠か」
サーベラは先日の会談を思い浮かべる。
帝国の前に忽然と現れ、会合を主導したのは“カモシダ”という外界国の外交官であり、それをアイリッシュ・リストゼラも、リリナス・エストランテも、その他の要人もさも当然のように受け入れていた。
かつて世界の盟主とまで謳われたアルミナ大公国。その要人たちの奇怪な言動。あの会談で見せた彼らの姿勢が全て欺瞞だとは思えない。
「加えて北―東大陸間の要所、エイセル島が陥落したという噂があります。会談の席で同島の奪還を主張されたのです。事の真偽を確かめるため、現在軍部に掛け合っていますが――」
「事実よ」
ディアナは言葉を重ねるように「事実」と告げた。
サーベラは目を細め、声の抑揚を落とす。
「エイセルが落ちたと仰るのですか?」
「ええ。大したものね。反撃に転じる力なんてもうほとんど残っていないでしょうに。仮にも東大陸の盟主といったところかしら?」
「なぜ公表しないのです――?」
「今更その程度のことを表沙汰にして何になるというの? 我が帝国軍は東大陸に侵攻し、公国領の奥深くにまで進軍している。あと少しで公都に迫る勢いよ。エイセル島一つが落ちたからと言って大局を覆せるはずもない。そうではなくて?」
突き放す物言いに、サーベラは口を噤んだ。
確かにその通りではある。もう少しでアルミナは落ちる。
永きに渡って東大陸を支配した超大国が帝国の手によって滅ぼされる。
世界を統べる。
それが帝国の覇道であり、阻める者など存在しない。いるはずもない。
「それで? 公国が表に据えてきた国とはどこの国かしら?」
「……ニホン国という外界国でございます」
「まぁ! 外界国を帝国との会談の場に? 何て品のないことかしら。アルミナも地に堕ちたものね」
ディアナは驚いた顔を浮かべた。
まるで初めて耳にする国名だと言わんばかりの反応だった。
一方、サーベラは
「覚えておられませんか? ここ帝都にて、外交官二名を外務局本邸に呼出し殺害、同時に軍を動員し大使館を焼き払った一件を。その焼き討ちの対象となった大使館の所有国、それがニホン国です。ディアナ殿下が覚えておられないはずはありません。あのとき、アリサ姫が保護されている大使館を襲うよう命令され、軍を動かしたのはディアナ殿下ご自身なのですから――」
と言い放った。
アリサ。その名を遡上に載せることに躊躇いはあったが構わず口にする。
案の定、ディアナは髪を梳く手をピタリと止めた。
端から見ても感情が揺れ動く様が見て取れる。が、彼女は憤慨するでもなく、逆に笑い声を漏らした。
不気味な程に、今の彼女は機嫌がいい。
「……これで全てが繋がったわね」
「……」
「サーベラ、あなたも気付いているはずよ? ニホンなる国は大使館でアリサを保護し、匿い、逃亡の手助けを図った。そして直後には帝国の交渉相手としてもう一度現れた。十中八九、これはニホン国を利用した公国の罠よ。アリサはきっと公国と通じていたのよ。今頃、東大陸にでも逃亡しているかもしれないわ。なんて卑怯で汚い女なのかしら」
それもこれも、公国が陥落すれば全てが判明する。あの子の行方も何もかも――
そうディアナは断言する。
「しかしながら、我々との交渉にわざわざニホン国を据える意図とは?」
「さあ? どうかしら? 俗な者たちの考えなど知らないわ」
そう言って、ディアナは公国の意図を吐き捨てる。
帝国の優位性は変わらない。
その絶対の真理が彼女の自信を支えている。
「ふふ、なんて素晴らしい日かしら。直に東大陸が帝国の手に落ちる。そうすれば、私は本当の名前を手にすることが――」
ディアナは陽の光に向かって手を伸ばす。
それはまるで目に見えない何かを掴み取ろうとするかのようで――
そんなディアナを前にして、サーベラは瞑目した。
次回「帝国悲願②」




