26 異国官邸③
――この男が日本国の指導者だと?
エルマは眼前の男を奇怪な目で見つめる。
湧き上がる感情は困惑に近かった。
国の指導者というからには、もっと苛烈で威厳に満ちた人物を想像したのだが、目の前の男は想像の真逆に等しい。
身に着ける衣装は他者と変わらず、狭い部屋にひっそりと佇む姿は国家の指導者のイメージからかけ離れている。
どこかの屋敷で働く執事だと紹介された方がまだ納得できた。
「あ、あなたが……?」
一方、アリサは意を決し男に名前を問い掛けた。
対してその人物は
「申し遅れた。私が内閣総理大臣の大道です。お二人にお会いすることができ大変光栄に思います」
と返答し握手を求めた。
その気さくな立ち振る舞いに呆気にとられるアリサだが、ハッと我に返ると直ぐに返礼する。
「ご、ご無礼をお許しください! 私はアリサ。ルイファラリス帝国現皇帝ビルキシス・ルイ・アルダードの末娘、アリシア・ルイ・アリサと申します。この度は、帝国の手より私たちの命を救ってくださったこと、並びに日本国への亡命を認めてくださったこと、その多大なるご支援に深く感謝を申し上げます。この場をお借りし、改めて御礼を――」
「噂通り大変に律儀な方だ。ですが、長旅で疲れも溜まっておりましょう。さあ、こちらへ」
大道は部屋中央のソファーを示すと二人に座るよう勧めた。
アリサは断ろうとするが、自分が座らなければ大道も座らないのだと察し、浅くソファーに腰掛ける。
「君も座ったらどうかね?」
「い、いえ、このままで結構です。私がご一緒するわけには……」
「遠慮はいらない。それに立ったままでは手製の珈琲も味わえないからね」
直後、目の前の卓上に白いカップが並べられる。
アリサは思わず目を見張った。
なにせ、大道自らが珈琲を振る舞おうとしているのだから――
「安心なさい。毒なんて入っていないさ」
「そ、そのようなことは――」
アリサはエルマに目線で合図する。
すると、エルマは頷き返し、アリサの隣に腰を据えた。
「朝に飲むのは身体に毒だと言う人もいるが、なかなかやめられんよ。私の数少ない楽しみでもある。だが、愛用する前世界の珈琲豆も残り少ない。それだけが少し残念だ」
大道の発言に、アリサは言葉を詰まらせる。
こちらから質問して良いものか、逡巡するも答えは出ず、口を開いて閉じてを繰り返す。
けれど、そんなアリサの葛藤を見透かすように、大道は彼女の欲する回答を示した。
「……まずは最初に伝えておこう。単刀直入に言うが、我々はこの世界の住人ではない。我が国“日本”はここと異なる世界より迷い込んだ転移国家だということを理解してもらいたい」
「はえっ!?」
瞬間、アリサは短くも奇妙な声を漏らした。
自分の奇怪な行動に、自ら頬を赤くする。
日本国の指導者、内閣総理大臣。
そんな人物から何を伝えられるのかと身構えていたが、口から出た言葉は予想の斜め上、とんでもないものだった。
こちらの緊張を解こうと冗談を言っているのだろうか?
一瞬、その可能性を考慮するが、大道の目はどこまでも真剣で――
「今から約5年前、元の世界で謎の磁気嵐が観測されてね、気が付いたらこの世界に迷い込んでいたというわけだ。おいそれと打ち明けられる話ではないため長谷川君には黙ってもらっていた。悪く思わんでくれ」
大道は事の経緯を語って聞かせる。
ある日、未曾有の磁気嵐が日本列島全域で発生したこと。直後に空が歪み、気が付いたときには列島ごと別世界に転移していたこと。転移当初は国内も混乱を極め周辺諸国と局地的な軍事衝突が発生したこと。今は国民も落ち着きを取り戻し、前世界と何ら変わらない生活を送っていること。それでも外国人の出入国には未だに厳しい制限を設けていること、など……
大道は自らが煎れた珈琲を飲み干すまで、ゆっくりと時間を費やし、日本が経験した出来事を打ち明けた。
アリサは最初こそ驚愕の表情を浮かべていたが、次第に大道の話にのめり込む。
「……転移と呼べる現象によって国家が転移するなどにわかには信じられません。まして異世界の存在など――」
「君がそう思うのも無理はないだろう。未だに私も信じられないくらいだ」
アリサの発言に、大道が自嘲気味に笑う。けれど、直後にアリサが放った言葉に大道は目を丸くした。
「――ですがっ、私は大道総理のお言葉を信じたく思います」
国家が世界を移動する。そんなことは夢の中でしか有り得ない。
アリサからすれば、そう突き放すこともできただろう。
けれど、この世界の常識で“日本国”を説明するのは難しい。外界国でありならが四大国をしのぐ科学技術に、経済規模に、自衛隊の強さ。そのどれもが驚愕に値するレベルだった。
短い時間ながらも日本国と行動を共にし、曲がりなりにもこの国の実力を垣間見た。そして、その力はアリサの想像を遥かに超えていた。
「貴国と出会って以降、私の日常は驚きの連続。そのどれもがこの世界の常識では測れないものばかりでした。だからこそ、私は思うのです。疑うべきは大道総理の言葉ではなく、自分自身の固定化された観念、想像力なのだと――」
アリサは率直な気持ちを打ち明ける。
疑うべきは己の常識……
その真っ直ぐで芯の通った考えを前に
「……帝国は本当に惜しい人を逃してしまった」
大道はそう述べた。
続けて大道はアリサの処遇を話し始める。
アリサ以上に今度はエルマが緊張気味に耳を澄ますが、大道が示した内容は二つだった。
一つ、今後も日本がアリサを保護する代わりに帝国に関する情報を可能な範囲で開示すること。
一つ、今後の日本と帝国の戦争、その結末を見届けること。
どちらかと言えば、両方依頼に近かった。厳しい要求も想定していただけに、アリサは大きく呆け、疑問を口にする。
「……ほ、本当にそれだけでよろしいのですか?」
「我々が望むことは以上だ。何か不満かな?」
「い、いえ、不満などあろうはずがありません。格別なる御厚意は感謝しても仕切れない程です。ですが、戦時中という現状を鑑みれば、もっと我々を利用する方法もあったのではと……」
「そうかもしれない。されど“民主主義、憲政の邪道を許さず”と言ってね、そんなことをしたら私が国民に怒られてしまうよ」
大道はクツクツと笑った。
そのさっぱりとした態度に、蒼い瞳が大きく揺れる。
きっと他の帝国人が見れば、大道が提案する内容は極めて甘いものに映っただろう。これだから外界国は常識を知らんのだと、鼻で笑われたに違いない。
けれど、アリサはその対応に強者の余裕を感じ取った。
だからだろうか、彼女は自然と覚悟を決める。
上擦る声を必死に押さえ、大道を真っ直ぐに見据え、
「一つだけ、失礼を承知でお尋ねしたいことがあります」
「何かね?」
「今後の日本国の歩みについて――」
そう口にすると、アリサはゆっくりと先を続けた。
総理大臣との会合を終え、アリサたちは官邸を出ようと正面玄関に移動していた。
そこで専用車に乗り込み、今度こそ都内のホテルに移動する予定だった。
大道との会談は僅かな時間だったが、体感時間は永久にも感じられ、今もなおアリサの手は震えている。
「――!? 姫様っ」
突然、エルマの声がエントランスに響き渡った。
もう少しで車に乗り込めるというところで、アリサが床に座り込んでしまったのだ。
エルマは即座に駆け寄ると目線を同位置まで下げる。
「如何なさいました!? 会談前から変だとは思っていましたが、やはりどこかお身体の調子が悪いのでは!?」
エルマは慌てる。
対してアリサは俯きながら小さく首を振った。
「違うのです。安心したら気が抜けてしまって……」
「安心?」
アリサは束縛から解放されたように呼吸を整える。
「とても怖かった。ずっとずっと不安でした…………」
「……何が、でしょうか?」
「あの帝国を赤子同然に押し退けた日本国です。今でこそ覇権主義が世界の行く末を覆っていますが、四大国の均衡によって平和を謳歌した時代があったのも事実。でも、今は四大国に並ぶ、いいえ、もしかしたらそれ以上の国家が現れた。その事実が気掛かりでなりませんでした――」
アリサは気持ちを発露する。
エルマは彼女の身体を支えながら、その一言一句に耳を澄ます。
「これほど高度な科学技術を持つ国です。その力は絶大。日本国が四大国以上の野望を抱いてもおかしくない。帝国がそうであるように、この国が世界の盟主となることを望んでも不思議ではないと思っていました。でも、もしそうなったとき、きっと世界には今以上の混沌が待っていることでしょう。かつてない災禍が多くの人々に降り掛かるかもしれない。そう思うだけで、私は――」
けれど、大道はそれを否定した。覇権主義の風潮に追随することを明確に拒絶した。
日本国が望むことは一つ、永き平和であると断言し、帝国との戦争を自衛、延いては覇権主義への抵抗と言い切った。
「ですが、それは……」
「詭弁かもしれない? 指導者が変わり方針が反転するかもしれない? それは十分に理解しています」
アリサの言葉は次第に熱を帯びる。
「でもエルマ、私は彼の言葉にこの国の意志を垣間見た気がしました。だからこそ、私はその言葉に賭けてみようと思うのです。もしかしたらこの国なら、日本国なら、覇権主義の風潮を、この世界の歩みを変えられるかもしれない――」
「世界の流れを変える……本当にそんなことが…………」
「だからこそ我々も協力するのです! エルマ、あなたは付いて来てくれますか!?」
アリサの問いに、エルマの瞳が揺れる。
刹那、彼女は小さく首を振った。
その意外な動作に、アリサは意表を突かれ不安な表情を覗かせる。
「そのようなことを問われるとは心外です」
「エルマ……?」
「私はアリシア・ルイ・アリサ様の付き人エルマです。例え姫様が皇族の地位を追われてもその事実は変わりません。どこへ行こうともお伴させていただきます」
その言葉に、アリサはエルマに抱き付く。
「ありがとう! そしてごめんなさいっ、いつもいつも迷惑ばかり掛けて――」
「何を仰いますか。私こそ姫様の御心に気付くことができず申し訳ありません。未熟な従者ですが、せめて姫様の苦労の一端を引き受けたく思います」
エルマは主君の細い身体を受け止める。
僅かな時間、異国の官邸には誰かのすすり泣く声が響いていた。
次回「暗躍残香」




