第16話 番外編 ――届かぬ名
小国の離宮は、ひどく静かだった。
王権を退いたレオンハルトは、北方の寒冷な地へ移されている。
名目は「療養」。
実際は、隔離。
窓の外には灰色の空。
遠くに見える海は凪いでいる。
かつて玉座に座っていた男は、今は質素な机の前にいる。
その机に、一通の新聞が置かれていた。
帝国の情勢を伝える紙面。
視線が、自然と止まる。
“帝国財政統括官セラフィーナ、民衆支持率上昇”
“皇帝カイゼルとの正式婚約、発表”
喉がわずかに動く。
彼女の名が、堂々と刻まれている。
隠れることなく。
後ろに立つこともなく。
「……婚約」
小さく呟く。
あの日、自分が破棄したその言葉。
彼女は今、別の男の隣に立っている。
新聞は続ける。
“統括官の提案により、穀物価格安定”
“帝都で祝賀祭開催”
写真には、並び立つ二人の姿。
カイゼルは堂々と。
セラフィーナは凛と。
その表情は、穏やかだった。
王国で見たことのない、静かな笑み。
レオンハルトは目を閉じる。
思い出すのは、舞踏会の夜。
断罪の言葉。
冷えた視線。
そして——
“責任は負いかねます”
あのとき。
あの一言が、すべてだった。
取り戻せると思っていた。
王命を出せば。
謝罪すれば。
国のためと告げれば。
だが。
彼女は、選んだ。
必要とされた場所を。
評価された隣を。
机の上の新聞を、ゆっくりと畳む。
「……よかったのだろう」
誰に向けた言葉でもない。
自分の胸の奥へ。
王国は立て直しつつある。
だがそれは、彼の功績ではない。
彼は歴史の端へ退いた存在。
そして。
彼女は歴史の中心へ立つ。
風が窓を叩く。
遠くの帝都では、祝砲が鳴っている頃だろう。
届かない音。
届かない距離。
レオンハルトは立ち上がり、窓辺に立つ。
灰色の海を見つめる。
ようやく、理解する。
断罪されたのは、彼女ではなかった。
自分だったのだと。
そして。
もう二度と、その名を呼ぶことはない。
セラフィーナ。
遠い帝国の空の下で、
彼女は今日も、選ばれ続けている。




