第68話:泥を啜った記憶の残り香
アレイン一行はメルキアへの帰路についていた。
街道の夜は突き刺さるように冷え込む。
パチパチと爆ぜる焚き火の音だけが、周囲の静寂をより一層際立たせていた。
アレインは浅い眠りの中で、古い、酷く煤けた記憶の断片を見ていた。
「アレイン、逃げろ! 振り返るな、早く行け!!」
「でも、父ちゃんと母ちゃんはどうするんだよ! 一緒に行こうよ!!」
「いいから! 走って、アレイン! あなただけでも生き延びなさい!!」
視界が不気味に赤く染まる。
爆ぜる木材の音。
逃げ惑う人々の悲鳴。肺が焼けるような煙の臭い。
わけも分からず、ただ泥にまみれて、燃える村の外へ走り出す子供のアレイン。
「……悪いな。恨むんなら、お前の所のクソ領主を恨むんだな。あいつが余計な意地を張らなきゃ、こんな『掃除』もしなくて済んだんだよ」
背後から聞こえる、両親の最期の声――。
それは肉が焼ける嫌な音と混ざり合い、幼い少年の鼓膜に一生消えない傷を刻み込んだ。
「……ッ!!」
アレインは跳ね起きるように目を覚ました。
全身が嫌な汗でじっとりと濡れている。
心臓が早鐘のように鳴り、喉の奥が異常に乾いていた。
「……クソっ。よりによって、あんなクソったれな夢見ちまうとはな……」
荒い息を整えながら、アレインは額に手を当てた。
(……悪いな、相棒。俺の記憶が、お前の眠りを邪魔しちまったみたいだ)
脳内に直接響く、馴染み深い声。
この体に同居する「もう一人のアレイン」――この世界の元々の持ち主であり、現代日本人の自分が入り込む前の、「アレイン」本人の声だ。
「別にいいさ。魂も記憶も共有してんだ、いまさら隠し事もクソもねーだろ」
ボソリと呟いた気配に気づき、隣で毛布にくるまっていたカイトが薄目を開けた。
「う……ん。アレイン、どうしたの? トイレ? それとも夜食?」
「なんでもねぇよ。ちょっと野良猫が盛ってただけだ。気にせず寝てろ、バカ」
「そっか……。じゃあ、おやすみ……」
カイトはそれ以上追求することなく、再び深い眠りへと落ちていく。
アレインは焚き火に薪をくべ、火を大きくしてから意識を内面へと沈めていった。
カイトや、馬車の陰で眠るブルーナとヴェルナを起こさないよう、心の中だけで対話を再開する。
「……目が覚めちまった。なぁ相棒、せっかくだ。お前の話、もっと詳しく聞かせてくれよ」
(つってもなぁ。お前にも俺の記憶は共有されてるだろ)
「共有されてるっても何となくだし、モザイクがかかってんだよ。お前がブレイブと出会って、なんであんな冒険者になったのか……改めて、当事者の口から聞いておきたいんだ」
内なるアレインは、少しの間をおいて、自嘲気味に鼻を鳴らした。
(言っとくが、お前が期待してるような過去編みたいなカッコいいもんじゃねーぞ? つまんねー中世ファンタジーの底に溜まった、ドロドロの残りカスみたいな話だ)
「それでもいいさ。地球で『明日の学校だりー』とか言ってた俺の平凡な人生より、よっぽどパンチが効いてんだろ。暇つぶしに語ってくれよ」
(……はぁ、しゃあねえな。あまりにつまらなさすぎて、途中で寝ちまっても知らねえぞ)
そう前置きして、彼は暗い過去を語り始めた。
『俺の村は、セントガルドにある『平和』だけが取り柄の、見るものも何もない田舎村だった。だがある日、その平和はあっけなく、安物の花火みたいに燃え上がったんだ』
『襲ってきたのは、隣の領地の兵士たちだ。理由は……笑っちまうぜ。貴族同士の、くだらねー意地の張り合いだ。どっちが上か下か、そんなミジンコみたいな爵位の争いの中で、俺の土地の領主が川の水を止めた』
『そのせいで、下流にある隣の領地は干上がり、農民は飢えた。話し合いは平行線。どっちのクソ領主も「ごめんなさい」が言えねーガキのまま大人になっちまった。結果、隣の領主がキレて兵を挙げた。その戦火に真っ先に巻き込まれたのが、俺の故郷だった』
『……川の水を止めた方も、それに対して村を焼いた方も、どっちも救いようのないクソ野郎だろ?』
内なるアレインの声は、淡々としているがゆえに冷え切っていた。
『天涯孤独になったガキには、金を稼ぐ術も、真っ当に生きる知恵もなかった。だが、運が良いのか悪いのか、そのクソ領主同士の泥仕合――「私戦」は数年にわたって長く続いたんだ。おかげで俺は……戦場に転がってる「物言わぬ死体」から、装備や金を剥いで生きる方法を覚えた』
『当然、同業者よろしく同じような境遇の連中が当時山ほどいてよ。死体から剥ぎ取る獲物の取り合いは日常茶飯事だった。泥を啜り、血を浴び、死体と添い寝する毎日。今考えれば、どっかの貴族に奴隷として売られてた方が、まだマシな人生だったかもしれねぇ』
『……当時の俺は知らなかったが、ガキの奴隷は養子目的や労働力として引き取られるケースも多いらしいからな。もっとも、あの状況じゃ両親みたいにその場でぶち殺されてた可能性の方が圧倒的に高かったけどよ』
アレイン(現代人)は、焚き火を見つめながら想像した。
小さな子供が、死臭漂う戦場を這いずり、冷たくなった人間から金目のものを剥ぎ取る光景を。
『そんなドロ沼の生活は、ある日突然、終わっちまった。あまりに酷い私戦が王様の耳に入ったらしくてな、介入が行われたんだ。結果、両方の領主は「貴族の資格なし」として領地没収。さらに、見せしめとして死刑。……その話を風の噂で聞いた時、俺の心の中は空っぽになっちまった』
『「いつか、あいつらを殺してやる」。その恨みだけを糧にして生き延びてきたのに……。恨むべき相手が、俺の手の届かない場所で勝手に消えちまった。ゴールを見失った俺の心には、底の抜けた穴だけが残ったんだ』
『それからの俺は、ただの「追い剥ぎ」に成り下がった。街道を通る金持ちそうな貴族や商人を脅し、金を巻き上げる。最初は面白かったぜ。ガキだと舐めてかかってきた奴らをぶち転がして、情けなく命乞いをする姿を見るのはな。果たせなかったクソ領主への恨みを、ぶつけてるみたいでよ』
『だが、そんなもんはただの八つ当たりだ。心に空いた穴は塞がらねぇし、金を手に入れても喜びはすぐに砂みたいに指の間から零れ落ちた。そんなクソみたいな生活を二年以上続けて……「跳ねっ返りのガキの悪戯」で済むうちに、真っ当に生きようかと考え始めた時に会ったんだ』
『……あの、クソジジイと、ブレイブに』
内なるアレインの話が、そこで一度途切れた。
焚き火の火がいつの間にか小さくなり、夜明けの冷たい気配が東の空にうっすらと漂い始めていた。
「……天涯孤独になって、死体漁りに追い剥ぎか。確かにパンチ効いてんな、相棒。俺のぬるま湯みたいな前世が申し訳なくなるレベルだわ」
アレインは独り言ち、小さく笑った。
自分の中にある、泥と血と虚無の記憶。それが今の「アレイン」という歪な存在の根幹なのだ。
「で? その後どうしたんだよ。追い剥ぎやってたガキが、 そのクソジジイと金髪野郎に、どうやって『更生』させられたんだよ。まさか説法でも解かれたわけじゃねえんだろ?」
アレインが尋ねると、意識の奥底で相棒がわずかに気まずそうに、あるいは懐かしそうに笑った気配がした。
(……そんなに興味を惹く話かよ、これ)
「ああ、気になるね。なんせ一蓮托生の相棒の過去だ。お前の歩いてきた道を知っとかないと、この先も上手くやってけねーだろ?」
ニヤリと笑うアレインに対し、内なるアレインは観念したように息をつく。
(へっ……そうかい。じゃあ、続きを聞かせてやるよ。俺がどうやって泥沼から這い上がって、お前にこの体を明け渡すまでの道程を歩み始めたかをな……)
夜明けの風が火を煽り、アレインの瞳を赤く照らす。
過去を語る相棒の気配は、これまでになく饒舌で、どこか懐かしんでいるようにも感じられた。




