第67話:夜逃げと夜明け、そして「元・主人公」への餞別
グランド・レックスという「災厄」を乗り越えたガザの街は、今や熱病に浮かされたような活気に満ちていた。
瓦礫は片付けられ、街道には新しい石畳が敷かれ、あちこちでドワーフの槌音が響く。
復興特需――それは人々の絶望を強引に希望へと塗り替える、金と汗の喧騒だった。
だが、その喧騒を背に、街の片隅でせっせと荷物を馬車に積み込む一団がいた。
「ねぇアレイン、本当にいいの? バッシュさんたちに挨拶くらいしていかないで?」
カイトが心配そうに、重い木箱を抱えるアレインの背中に声をかける。
「おいおいカイト。あいつらは今、復興の英雄様として引っ張りだこなんだぞ。そんな忙しい時に『今から帰りまーす、送別会やってくださーい』なんて、俺の空気読みレベルはそこまで低くねーんだわ」
「そういう社交辞令の話じゃなくて……もっと、こう、仲間としての絆というか……」
カイトの言葉を遮るように、アレインは無理やり荷物を馬車の奥へ押し込んだ。
「いいから早く荷物まとめろ! もたもたしてたら置いてっちまうぞ?」
「もう!! そんなに急がないでよ!」
膨れっ面で作業を再開するカイト。
その様子を、馬車を引くヴェルナが呆れたような目で見つめていた。
『……相変わらず、素直じゃない面倒くさい男よね。まぁ、そこがいいののだけれど』
ヴェルナの背にちょこんと乗った小さな碧い竜――ブルーナも、翼を畳んで頷く。
「野暮な別れを嫌う、あ奴らしい引き際じゃのぅ。湿っぽいのは妾も好かぬ」
「結局さ、みんなと別れるのが寂しいから、黙って行こうとしてるだけでしょ?」
カイトの鋭い指摘に、ブルーナが追い打ちをかける。
「うむ、図星じゃな」
『そこが可愛いのよ。カイト、あなたはまだ「乙女心」ってものがわかっていないわね』
馬と竜にまで揶揄われているとは露知らず、アレインは額の汗を拭いながら叫んだ。
「おおい! いつまで会議やってんだよ! 荷物を積めっつーの! 腕がパンパンなんだよ!」
「はいはい、わかりましたー」
投げやりな返事と共に、ガザの朝日はまだ昇りきっていない薄暗い空の下、アレインたちの「夜逃げ」にも似た旅立ちの準備は整った。
翌朝、午前五時。
街がまだ微睡みの中にある時間、アレインは御者台に座り、手綱を握った。
「忘れ物はねえな?」
返事の代わりに、馬車の中からブルーナの「むにゃ……」という寝言が聞こえてくる。まだ夢の中らしい。
「……無いよー。でも、本当にいいのかなぁ……」
カイトが未練がましく街の方を振り返ったその時。
「よし、じゃあ行くか。ヴェルナ、頼むわ」
『ええ、行くわね』
ヴェルナが蹄を一歩踏み出そうとした、その瞬間だった。
「あら? こんな朝早くから夜逃げかしら? 宿代でも滞納したの?」
静寂を切り裂くような、聞き覚えのある高飛車な声。
アレインがぎょっとして振り返ると、そこには豪華な、そして見慣れた面々が勢揃いしていた。
『鉄の絆』のバッシュ、ロルフ、ガザル、エルザ。
そして『銀の翼』のフェリス、カトリーヌ、シェリー。
アレインは引きつった笑いを浮かべ、頬をポリポリと掻いた。
「……なんだよお前ら。朝っぱらから集団でラジオ体操か? ハンコなら押してやんねーぞ」
「ラジ……タイソウ? よくわからんが」
バッシュが首を傾げ、一歩前へ出る。
「お前の見送りに来たんだ」
「みんな、来てくれたんですね!」
カイトが馬車から飛び出し、嬉しそうに駆け寄る。
「カイト君から、メルキアに帰ると聞いてね。挨拶だけでもさせてもらおうと来たよ」
ロルフが優しく笑い、エルザもそれに続く。
「何も言わないでさよならなんて酷いじゃない、アレインくん」
「そうだぜ。水臭えことしてんじゃねえよ」
ガザルが大きな手でアレインの肩を叩こうとするが、アレインはそれをひらりと避けた。
「ふん! 私は朝の散歩をしてたら、たまたま道端に不法投棄されてる馬車があったから通りかかっただけよ!」
そっぽを向いて鼻を鳴らすフェリス。相変わらずのツンデレぶりに、シェリーが横から茶化す。
「はぁ……フェリス、素直じゃないんだから。昨日からずっとソワソワしてたクセにー」
「ちょ、シェリー!!」
「フェリスはともかく、私は正真正銘、お前に礼を言いに来たぞ」
カトリーヌが真剣な眼差しでアレインを見つめる。
アレインは深く、深いため息をついて天を仰いだ。
「はぁ……余計なことしやがって……カイト、お前か」
「何よ、そんなに私たちと会うのが嫌だったわけ?」
フェリスの声が、少しだけ不安げに揺れる。
「フェリスさん、違いますよ。アレインはみんなと別れるのが寂しいから、黙って行こうとしただけなんです」
「カイト! お前、何言ってんの!? 俺が寂しいとかあるわけねーだろ! 俺はハードボイルドな男だぞ? 哀愁とかゼロだわ!」
必死に否定するアレイン。
だが、そのあまりに余裕のない様子に、バッシュが堪えきれずに吹き出した。
「ははは! なんだ。飄々とした食えない男だと思っていたが、案外、涙もろい奴だったんだな」
「ふん、何よ。意外に女々しい男なのね、あんた」
フェリスもくすくすと笑い始め、その場にいた全員からドッと笑いがこぼれる。
笑い声が静まり、早朝の涼しい風が吹き抜ける。
バッシュが、これまでに見せたことのないほど真剣な顔で、アレインを見つめた。
「アレイン……お前のおかげで、俺は本当に大事なものが何なのかを理解できた。お前がいなければ、俺はただの『偽物』になっていただろう。……ありがとう」
真っ直ぐな感謝の言葉。
アレインは居心地が悪そうに視線を逸らし、鼻を鳴らす。
「……俺はなんもしてねーよ。ただ、あの下衆ガミの野郎への嫌がらせに、お前を利用しただけだっての」
「それでもだ。俺はお前のおかげで、大事な仲間を失わずに済んだ。それだけは事実だ」
「勝手に恩を感じてんじゃねーよ、迷惑だぜ」
「まったく、素直じゃないんだから」
カイトのツッコミに、アレインは「うるせーよ!」と返し、話を逸らすようにフェリスを見た。
「そういやフェリス。お前、ギルドの職員と組んで俺たちに仕掛けた嫌がらせの件、あれ大丈夫なのかよ。バレたらクビどころか豚箱だろ」
フェリスは一瞬だけ気まずそうにしたが、すぐに不敵な笑みを取り戻した。
「ふん! あんたに心配されなくたって大丈夫よ。シェリー、説明してあげて」
「職員のおじさん、お金没収されて捕まるくらいなら減給で済ませてくれってギルドに泣きついたみたいでね。結局、『事務的なミス』ってことで処理されたんだよ」
「おかげでこちらもお咎めなしだ。……胸を張れることではないがな」
カトリーヌが苦笑する。
「へっ、そうかよ。これからは真っ当に生きるこったな。次に会った時に悪事働いてたら、今度は容赦なく通報すんぞ」
「あんたに言われなくても、もうあんな真似しないわよ……」
フェリスは小さな声で、「……それに、あなたと対等になりたいもの」と呟いた。
「ああん? なんだって?」
「うるさいバカ!! デリカシーなし!! さっさと行け!!」
急に顔を真っ赤にして叫ぶフェリスに、アレインは呆れ顔だ。
「なんだよ、しおらしくなったと思ったら急にキレやがって……情緒不安定かよ。生理前か?」
――パァァァン!!
乾いた音が響き、アレインの頬にフェリスの平手打ちがクリーンヒットする。
「おーいってぇ!! 物理攻撃力上がってんじゃねーよ、あのアマ!!」
頬を押さえて悶絶するアレインの姿に、バッシュが笑いながら近づいてきた。
「アレイン、復興が終わったら……『鉄の絆』もメルキアに行こうと考えているんだが、構わないか?」
「あ? 来るもの拒まねえのがメルキアだ、勝手に来ればいいだろ」
「いや、そうじゃない。……あの『管理者』との勝負。俺も協力させてもらいたいんだ。今度は守るためじゃなく、友の隣に立つために」
カイトがパッと顔を輝かせる。
「アレイン良かったね、仲間が増えるよ!」
「……バッシュ。恩返しのために言ってるんなら、やめとけ。お前にはお前の人生があるだろ」
アレインの釘刺しに、バッシュは不敵にニヤリと笑ってみせた。
「自分のためだよ。あの下衆ガミには、俺も特大の『貸し』があるからな。外野から盛大に嫌がらせをしてやるつもりさ」
「……言うようになったじゃねえか、元・主人公」
アレインも、不敵な笑みを返した。
「私も、禊が済んだらメルキアに行っていいかしら? ……ダメって言っても、行くけど」
フェリスが少しだけ上目遣いで、アレインを伺う。
「どいつもこいつも、俺の許可証がないと入国できねーのかよ? 勝手に来やがれ、バーロー!」
その言葉を聞いた瞬間、フェリスの表情が華やいだ。
「そう。……じゃあ、絶対行くわ。もう決めたから。覚悟しなさいよね!」
「へいへい、勝手にどうぞ」
いよいよ、別れの時が来た。
アレインは手綱を軽く振る。
「じゃあな」
「さようなら! 今度はメルキアで会いましょう!」
カイトが大きく手を振る。
馬車がゆっくりと動き出し、ガザの街が遠ざかっていく。
バッシュたち『鉄の絆』が、誇り高く腕を組み、その背中を見送る。
カトリーヌたちが微笑み、フェリスがいつまでも何かを叫びながら手を振っていた。
――バッシュ編、完。
戦士は盾を持ち直し、ペテン師は再び街道を行く
アレインの頬に残る痛みを伴う「餞別」と、心強い「元・主人公」との約束。
メルキアへと向かう馬車は、朝日を浴びて、次なる舞台へと走り出した。




