68.グローリアの異変
「ありえまえせん!!」
ふたりの姿が完全に見えなくなると、サリーがこぶしを強く握り震えながら首を大きく横に振った。
「落ち着いてサリー。大きな声を上げては駄目よ」
グローリアが握りしめたサリーのこぶしをそっと両手で包みぽんぽんと宥めるように叩くと、サリーは肩を落とし眉を下げた。
「あ…申し訳ありません、グローリア様…」
「良いのよ。怒ってくれてありがとう。ドロシアも、守ってくれて助かったわ」
「いえ…守り切れたとは到底言えません…」
片方の手で泣きそうなサリーの手を握り、唇を引き結び肩を落とすドロシアの手をもう片方の手で握るとグローリアはにっこりと笑った。
「ふふふ、そんなことは無いわ。ふたりが側に居てくれてどれほど心強かったか」
「グローリア様……」
もしもグローリアひとりなら、じくじくと痛む腹と働かない頭に苛つきを押さえきれずもっと大ごとにしてしまっていたかもしれない。ふたりが庇ってくれたからこそグローリアはギリギリまで自分を保っていることができた。
グローリアは本当にギリギリだったのだ。
「グ、グローリア様?」
ふたりの手を握ったまま、グローリアは腰が抜けたようにすとんと床に座り込んでしまった。慌てたふたりがグローリアを支えようと腕を伸ばすが、グローリアは微笑み首をゆるく横に振った。
「大丈夫よ、少し、気が抜けてしまったみたいで」
「グローリア様、お顔が真っ青です!どうしましょう、誰か人を」
「良いの、大丈夫、少し休めば治まるわ」
頭は痛く多少ぐらぐらするが意識はいまだはっきりしている。胸は重く腹は痛いが耐えられぬほどではない。できれば横になりたいが、座っているだけでもいずれはきっと治まるはずだ。
「いけません、何かあっては」
「そうです!!私、誰かを呼んで」
「駄目よドロシア、サリー、これ以上の騒ぎは……」
「きゃっ!グローリア様!?」
「危ない!」
騒ぎは駄目よ、言い切る前にグローリアの体がゆっくりと傾いだ。慌ててドロシアがグローリアを抱き留める。しっかりと座っているつもりなのに、ぐらぐらと視界が揺らいでしまう。まるで体の芯を失ってしまったようだ。
「あ、あれ?クロフト様とウィンター様、と、公女様!?」
「あ…セオドア卿!!」
いつの間に回廊を曲がって来ていたのか、グローリアたちに気づいたセオドアがのしのしと大きな体を揺らして走って来た。いつもより近い距離に膝をつくとグローリアをうかがい、セオドアは眉を下げておろおろとサリーを振り返った。
「あの、あの、何が??」
「大丈夫よセオドア卿、少し、疲れてしまっただけ」
グローリアがセオドアに答えるとセオドアはぱっとグローリアを振り返り、ほんの少しだけにじり寄って来た。
「お、お、お顔が青いです…!」
むしろセオドアが倒れてしまうのではないかと思うほどセオドアが顔色を悪くする。そうこうしているとコツコツと靴音を響かせ王宮側からまた人のやってくる気配がした。
「どうした、何が…っ!公女様!?」
白い騎士服の騎士が目を見開くとグローリアたちの元へ走って来る。見知った顔にグローリアはほっとした。この状況で現れたのがセオドアとこの騎士であるのはある意味とても運が良い。
「あ、カーティス卿!」
「何があった」
「ぐ、具合が、お悪いようなのです。お、お顔も、真っ青で」
セオドアがたどたどしくもカーティスに説明する。カーティスがちらりとドロシアとサリーに目を向けると、ふたりもセオドアに同意するように首を縦に振った。
「いけないな、医務室に運ぼう。公女様、お体に触れる無礼をどうかお許しください」
「まって…」
「公女様?」
グローリアを抱き上げ運ぼうと手を伸ばしたカーティスをかすれた声で制止すると、グローリアはセオドアへと視線を向けた。じっと心配そうにグローリアを見つめるセオドアに、グローリアは少しだけ手を伸ばした。
「セオドア…許すわ、運びなさい」
カーティスがぴくりと眉を動かし、セオドアは目を見開いて大きく…本人にとっては少し仰け反った。
「え、え、え、私ですか!?」
「ええ、あなた。運んでちょうだい」
「お前、第三の…」
「あ、はい!セオドア・ベイカーです!」
目をすがめセオドアを見たカーティスにまさか叱責するのではとグローリアは身構えたが、名を告げたセオドアにカーティスは「ああ」と目を普通に開き頷いた。単に名を問うただけだったらしい。
カーティスはグローリアたちに対する態度は完璧なのに騎士に対する態度は少し誤解されそうだと、グローリアは揺れる頭で薄っすらと思った。
「そうか、セオドア卿、グローリア様を医務室へお連れしろ。私は団長を呼んで来る。そうだな…王宮の医務室まで運ぶとなると目立つ。あまり綺麗では無いがこの際仕方がない、騎士団の医務室だ。鍛錬場を通らず武器庫側から行け。騎士団関係者以外の通行は禁止だが緊急時だ、僕の権限で許可する。御令嬢方はいったん騎士団の待合でお待ちいただけますか?団長をお呼びした後にすぐにお迎えにまいります」
カーティスが次々と指示を出すのが聞こえる。細やかな配慮にグローリアは思考を止めた。グローリアが注意せずともカーティスなら高位貴族として正しく判断してくれるだろう。
「はい!お待ちしております!!」
「承知いたしました」
サリーは涙を堪えこくこくと何度もうなずき、ドロシアはぎゅっとグローリアを支える腕に力を込めた。ふたりとも、不安で心配で仕方が無いと目が言っている。
「セオドア卿、しっかりお連れしろ。すぐに団長をお呼びする」
「はい!必ず!!」
大きく頷いたセオドアに頷き返すと、カーティスは足早に鍛錬場の方へと去って行った。ここからだと、鍛錬場を抜けて行く方が第一騎士団長室…父の執務室には近い。
「公女様、し、失礼します、このようなものですいません」
ドロシアとサリーに左右を支えられながらゆっくりと起き上がると、セオドアはばさりと自分の騎士服を脱ぎそっと、まるで少しでも乱暴に扱えば壊れてしまうかのように丁重にグローリアを包み込んだ。第三騎士団の騎士服は丈の短いジャケットのはずだが、グローリアの肩からふくらはぎまでほぼ全身がすっぽりと隠れてしまう。セオドアの体温が高いのかグローリアの体温が下がっているのか、ジャケットに残る温もりにグローリアはほっとした。
「セオドア…悪いわね…」
「公女様は何も悪くありません!」
「そう…」
セオドアは膝をつくとグローリアの肩を支え膝裏に腕を入れ、自分の方へ軽く引き寄せると「失礼します」とそのままゆっくりと立ち上がった。怖がらせないようにかゆっくりと上がっていく視界にセオドアの気遣いを感じる。
完全に立ち上がると「ここ、怖くはありませんか?」と泣きそうな声で言うセオドアに、体も心もぐらぐらと辛いはずなのにグローリアは「大丈夫よ」と思わず笑った。
「セオドア卿、お、お願いいたします……っく」
サリーの顔が随分と低い位置にある。泣きそうなサリーへグローリアが手を伸ばすと、その手を両手で握りついにサリーが泣き出した。ぽろぽろと流れ落ちる涙にセオドアの声が慌てだす。
「な、泣かないでください、クロフト様。大丈夫です、大丈夫ですから」
「うう…はい……!」
いつもならわたわたと慌てて肩を揺らしていることだろうに、しっかりとグローリアを包む腕は揺らがない。きっと後ろから見たらグローリアのドレスの裾と足先しか見えないのだろうなとグローリアはぼんやりとする頭で思った。
「お急ぎをセオドア卿、お願いいたします」
「ははは、はい!」
ドロシアが唇を引き結び、必死に声を抑えるサリーの肩を抱き一歩後ろに下がらせた。サリーは「ドロシアぁ…」と鼻をすすると「お願い、します」ともう一度セオドアを見上げた。
「はい!また後程!」
セオドアは頷くと、鍛錬場とは逆、王宮側へと足を進めた。




