41.共犯者
「あーもう、何でこう面倒ごとばかり持って来るかな兄上は……」
最後のひと粒、白の兎に手を伸ばそうとしたところで王弟殿下がはぁ、と大きなため息を吐いた。もう国王陛下について取り繕う気がさっぱりと無いらしい。
「会わないのが無理でしたら、いっそ、振りでもいたしますか?」
「振り?」
「ええ。茶会の間だけ、あえて誤解を受けるような行動を」
そもそも、グローリアと王弟殿下の間が良好であれば他者が割り込む隙間は無いはずだ。単に王弟殿下自身がグローリアは無いと宣言し、グローリアもまた王弟殿下に対して良い印象を持っていないように振舞っているため周囲も判断が付かずにいるだけだ。実際、つい先日までグローリアから見た王弟殿下の印象はあまり良くは無かったのだが。
「嬉々として囲い込まれるのが落ちだぞ、お前」
「殿下にですか?」
「いや、兄上と義姉上と宰相と大臣達だな」
まさか王弟殿下が?とグローリアがぎょっと目を見開くと、違う違うと首を横に振り王弟殿下は実に嫌そうな顔をした。大臣達を『たぬきじじい』と呼んでしまうあたり、婚姻に関してきっとグローリアの知らない何かが色々あったのだろう。グローリアからすれば皆、気の良いおじ様、おじい様方なのだが。
「両陛下と大臣方はその……仲があまりよろしくないのかと思っておりましたが」
「俺の婚姻に関してだけは結託してる。腹が立つくらい」
「それはそれは………」
仲が悪い、というよりも両陛下………特に王妃殿下と大臣方は日々、熱い議論を交わしていると官報には載っている。官報は王宮が信じさせたい情報も多々載っていると今は知っているため全てを鵜呑みにはしないが、決して唯々諾々と従うような関係性では無いことはうかがい知れる。
更に嫌そうな顔で天を仰いだ王弟殿下に、グローリアもまたティーテーブルを埋めた釣書の山を思い出し、遠い目であらぬ方を見た。
「だがまぁ、何もしないよりは多少ましかもしれないな。やり過ぎると取り返しが付かなくなりそうだが」
上を向いたまま、王弟殿下が言った。
「その時は覚悟を決めるまでですわ」
さらりと言うとグローリアは白の立ち上がった姿の兎を口に入れた。奥歯で噛むとこちらはさくりと歯が入る。中身はすっきりとした甘さのミントのフィリングだった。グローリアが目を見開くと、ベンジャミンが「白を多めにしておきますね」と微笑んだ。
「お前さ、もう少し夢を持てよ頼むから………」
こちらもゆっくりと咀嚼してミントティーを口に含む。ミントにミントが重なるためどうかと思ったが、最後のひとつに白を選んで正解だったとグローリアは小さく幸せを感じた。最後のひと口を飲みこみカップをソーサーに戻すと、グローリアは眉を下げる王弟殿下を見てにっこりと笑った。
「あら、国で一番美しい殿方とさえ言われる王弟殿下の妃だなどと、世の女性が憧れてやまない夢のある地位ではございませんこと?」
「お前はそこに夢を見られるか?」
「夢は夢のままが幸せですのよ」
「ったく、減らず口」
王弟殿下が呆れたようにグローリアを見ると思い切り眉を下げた。そんな間抜けにもなりそうな表情すら美しいのはやはり無性に腹が立つとグローリアは内心で舌打ちをした。
「まあいいや。グローリア、俺が合図をしたら黙って俺と見つめ合って十数えろ」
グローリアの内心を知ってか知らずか、王弟殿下は座り直すと両ひざを両手でたん、と叩いた。
「は、十、でございますか?」
「おう、十数えろ。それだけで何とかなる」
頷きにやりと笑う王弟殿下に、グローリアは眉をひそめて首を傾げた。
「それだけで、ですの?」
「おう、下手な芝居を打って突っ込まれる方が面倒くさい。それよりは十数える方が確実だ」
グローリアがちらりとベンジャミンを見ると、にっこりと微笑まれた。ベンジャミンもまた否定しないということはそういうことなのだろう。
「経験豊富な殿下がそう仰るのでしたら、それで」
「棘があるな、おい」
王弟殿下がむっつりと唇を尖らせた。こちらもまた否定はしないのでそういうことだとグローリアは判断した。
「ところで合図とは何ですの?」
藪から蛇は勘弁願いたいのでグローリアは気にせず話を先に進めた。横から静かに腕が伸びてきて空のカップが交換される。今度は普通の紅茶のようだ。色が淡いので市場よりも少し早いが春摘みだろうか。咲き誇る花のような華やかな香りがふわりとくゆる。
「手を握る」
「はぁ」
「手を握ってお前を見る。そしたらお前も俺を見て十数えてくれればそれでいい。その内セシリアが助け舟を出してくれる」
「結局王妃殿下任せですのね……」
「あのな、見つめ合うってのが最重要なんだよ」
じっとりとした目でグローリアを拗ねたように見る王弟殿下をちらりと見ると、グローリアは静かにカップを手に取り紅茶を口に含んだ。今日も温度がちょうどいい。柔らかく鼻を抜けていく香りにほぅ、とグローリアは嘆息した。
「承知いたしました。殿下に手を握られたら殿下を見つめて十数える、でございますわね」
「おう、それでいい」
王弟殿下が満足そうに破顔した。とんでもない提案を当たり前のように受け入れた自分にグローリアは少し驚いた。王弟殿下に触れられることに随分と慣れてしまったのかもしれない。
「………アメジストは、ご入用でございますか?」
ふと思い出し、グローリアは聞いてみた。先日、モニカたちには絶対に付けないなどと豪語したがこれはどうも、今年もグローリア自身の意思でアメジストを選ぶことになりそうだ。
「あー……紫翡翠のカフス。どこしまったかな」
「探し出してくださいませ」
宝飾品の管理は王宮では管理人がしていると思うのだが、まさか適当にその辺に放ったのだろうか。海まで超えた東国から贈られた希少な紫翡翠を。
たとえ茶会に付けて来ずとも、ぜひとも探し出して正しく宝飾品としてしまってあげて欲しいとグローリアは紫翡翠と同じ色の瞳を若干細めた。
「もしものために薄紫のウェストコートでも仕立てとくか?」
「お似合いでしょうが使いどころが限定的すぎますわね」
不安になりちらりとベンジャミンを伺うと、ベンジャミンは肩を竦めて頷いた。やはり宝飾品管理人の元にはなさそうだが、ベンジャミンが紫翡翠の行方を把握しているらしい。
王弟殿下の銀の髪と濃紫の瞳には薄紫のウェストコートは非常に良く似合うだろう。着用するのが王弟殿下では怪しい雰囲気になりそうなので昼間に行われる茶会では避けていただきたい、切実に。
「まぁ、あれだ。よろしくな共犯者殿」
王弟殿下がぐっと腕を伸ばしてきた。ぴたりとグローリアの少し前で止まる。にやりと、大変悪いがこれ以上ないほどに魅力的な顔で王弟殿下が笑った。
「よしなに、共犯者様」
グローリアがその手を握るとぐっと、強く握り返された。グローリアもまたまるで誘惑するような悪い顔で笑ってみせる。
「何してるんだか」
後ろからぽつりとしたベンジャミンの失礼な呟きと今日も扉の横で気配を消していたジェサイアの咳払いが聞こえたが、腹を括ったグローリアは気にしないことにした。




