40.仮病の相談
「グローリア、腹痛を起こしとけ」
ベンジャミンに手を引かれ他愛もない話をしながら王弟執務室へと訪れたグローリアに開口一番、王弟殿下はそう言った。ちらりと見ると、扉をぱたりと閉めたベンジャミンが半目になっている。
「ごきげんよう殿下、そうしたいのはわたくしも山々なのですけれど」
グローリアを振り向いたベンジャミンはすでに微笑をたたえており、こちらへどうぞ、と前回と同じ応接セットへとグローリアを導いてくれた。
「問題ない、義姉上が何とかすると言ってた」
「つまり、陛下の独断ですのね?」
どかり、と王弟殿下もグローリアの向かいに乱暴に腰を下ろした。そうして背もたれに寄りかかり長い脚を組む。どれも荒々しい行動なのに全て優雅に見えるのは腹立たしいが卓越した容姿のなせる業か。
「今度は真珠らしい」
王弟殿下が肩を落としため息を吐いた。つまり、王妃殿下への贈り物として希少な真珠が用意されそれに釣られて茶会の日の見合いの口添えをしたと、そういうことだろう。あまりにも言葉が少ないが理解できるので良しとした。
「………イーグルトンも鉱山をひとつ買った方がよろしいでしょうか」
グローリアもまた小さくため息を吐くと、ベンジャミンが「どうぞ」と爽やかな良い香りのするカップをグローリアの前に置いた。今日のお茶はミントティー、お茶請けは可愛らしい兎の形のチョコレートが三粒だ。黒、茶、白でそれぞれ姿が違う。
「食べるのがもったいないわ……」
思わずグローリアが口元を緩めると、後ほどお包みしますとまたベンジャミンが笑った。さっそく茶色の丸くなる兎を口に入れると中からとろりと蜂蜜があふれ出た。ミントティーを口に含むと強い甘さが爽やかな香りで洗い流され後味がすっきりとする。
「もしや殿下は蜂蜜がお好きなのですか?」
「お、蜂蜜入りか?」
いそいそと茶色の兎に手を伸ばす王弟殿下を見て、グローリアは返事は無いが蜂蜜が好きなのだなと確信した。ちらりとベンジャミンを見ると呆れたように王弟殿下を見てグローリアに苦笑しつつ頷いた。
「ところで、殿下はどうなさるのです」
今日もまたうっかりとベンジャミンにしてやられ、グローリアは落ち着いた気持ちで王弟殿下に向かい合った。王弟殿下の従者でさえなければイーグルトンにぜひ引き抜きたかったところだ。
「俺か?」
「ウィルミントン海洋伯令嬢とお見合いをなさるのでしょう?」
嬉しそうに兎をゆっくりと咀嚼していた王弟殿下がぱちくりとグローリアを見た。グローリアが頷くと、一度ぴたりと止まり、そしてまた咀嚼してミントティーをひと口含んだ。
「あー………まぁ、そうなるだろうな。ただ見合いってのは名目だろうからな、俺の場合は」
「名目ですか」
「その辺は悪いがまだ言えない。とりあえずお前は止めとけ。アレは絶対にお前とは合わない」
アレ、とは間違いなくウィルミントン令息だろう。この言い方だとどうも王弟殿下はウィルミントン令息と面識があるようだ。面識があるうえでアレ呼ばわり。なるほど、実物も残念な人なのだなとグローリアの中で最低だったはずのウィルミントン令息の評価が更に下がった。
「殿下と令嬢なら合うと仰るの?」
「いや、俺の場合はそういうのじゃねえから合うも合わないも無いだろ」
王弟殿下が腕を組み、眉間にしわを寄せて言った。ただの見合いではない、というのはどうも本当らしい。とはいえ、表向きは見合いで通すつもりであることは明らかな以上、グローリアとしても「はい、そうですか」とは残念ながらならない。
「殿下がお会いになるのにわたくしは会わないというのは少々、問題がある気もしますわ」
グローリアの見合いは国王陛下の口添え付きだ。しかも同時に行われるだろう王弟殿下とウィルミントン令嬢の見合い(名目)が正しく行われる以上、たとえ茶会の日にグローリアが欠席したところで、後日ふたりきりの茶会を設定されて逃げられない気がしてならない。
「何だよお前、アレに会いたいのか?」
「アレだなどと失礼ですわ」
「顔だけ良くてもアレはアレだろ」
グローリアも内心ではアレで充分だと思っている。あの不幸の手紙を思い出すだけでせっかくベンジャミンのもてなしで上がっていた気持ちがまた大いに下がってしまう。すん、と無表情になったグローリアを見て、王弟殿下が恐る恐るといった感じで口を開いた。
「………おい」
「なんですの」
「俺が言うなとか、言わないのかよ」
「言って欲しかったのですか?」
「いや、まぁ、なんだ。言われ慣れてるというか、な」
王弟殿下はすこぶる容姿が良い。良すぎるばかりに噂話に尾ひれがつきやすい。特に色ごとに関する話には尾ひれどころか新たな骨格や羽までつく。
王弟殿下のお相手と目される女性を数えるだけでも両手両足の指では残念ながら足りはしない。ましてや一夜のお相手ともなれば、自称他称、老若男女、貴族神官平民、数えようにもほぼ無数だ。さすがに全てが噂や詐称だけでは無いだろうが、それでも正しく選んでいると信じたい。グローリアの精神の安定のためにも、国のためにも、だ。
「わたくし、殿下を顔だけだなどと思っておりませんので言う必要を感じませんわ」
黒の横向きでこちらを振り向く兎を口に入れゆっくりと咀嚼する。案の定外側は苦みのあるダークチョコレートだが、中から出てきたのはこちらもとろりと甘いミルククリームだ。苦みと甘みが程よく、これはこれで美味しい。ミントティーのすーっとした香りが鼻に抜けて甘いミルクと溶け合った。
「………そういうものか?」
王弟殿下が視線を俯かせると呟いた。何事かを考えるように薄い唇に手を添え濃紫の瞳をぐっと細めた。グローリアが静かにミントティーを口にしていると、思索が終わったのかすっと視線を上げ、グローリアを見た。
「ともかくグローリア。良いから寝込め。アレには会うな。必ず面倒なことになる」
「そうは申しましてもわたくし、今日こうして王宮に来てしまいましたわ」
「あー、そこはほら、王宮で食あたりを起こしたとか」
「確実に王宮侍医が当家へいらっしゃいますわよね」
「ついでに騎士団の調査まで入りかねないな」
「それこそ誤魔化しが利きませんわね」
仮病についてはモニカとも似たようなやり取りを繰り返したが、どうやっても国王陛下が絡む以上は難しいのだ。
「俺はお前をアレに会わせたくない」
王弟殿下が不機嫌そうに眉をしかめるとむっつりとした顔で言った。
「わたくしも会いたくございませんわ」
グローリアが静かに首を横に振ると、王弟殿下は更にきゅっと眉根を寄せて言った。
「ついでに見合いはしたくない」
「そこは……わたくしには何とも申し上げられませんが……」
やはり名目だけではなく見合いも同時に行われるようだ。そうであろうとは思っていたが。
「流れで反対しとけよそこは。真面目か」
王弟殿下は腕を背もたれに広げて乗せぐったりと寄りかかり、だらりと体を伸ばした。あまりにもやる気の無さそうなその姿に、グローリアは思わず笑ってしまった。
「ふふ、お会いになって欲しくないと申し上げましたら、会わずにいてくださいますの?」
「多少は頑張るかもしれないぞ?」
にやりと笑った王弟殿下に、グローリアもまた屈託のない笑顔で「あらあら」と応えた。




