9.そしてすれ違ったようです
ルペリオ暦629年3月14日
エルシア学園高等部、校舎裏の奥から三番目の木。この木の影がロゼリアのお気に入りの場所である。
強い日差しも穏やかに葉が遮ぎり、人目にもつきにくい。大勢の人の中が得意ではないロゼリアにとっては安息の場所。
そんな安息の場所が、今日からはこの出来事を思い出してしまう場所になりそうだ。
「⋯⋯結婚してくれ」
いつも通りお気に入りの場所で日向ぼっこをしていたロゼリア。そこに突如現れた我が国の王太子殿下は、驚くロゼリアを余所に、プロポーズをする王子様の如く跪き赤いチューリップの花束を差し出した。
我が国の王太子であるディートハルトは、漆黒の少し癖のある髪に、切れ長の涼し気な目元に金色の目を持った、彫刻のように整った顔立ちをしている。
彼は言葉数も少なく、表情を変えることも少ないので、本当に芸術品の彫刻のようだとロゼリアは思っている。
ただ、あまり表情が変わらないからと言って冷酷な人ではなく、前に廊下で紙をばらまいてしまった時、無言だったもののバカにしたり蔑んだりすることはなく、拾うのを手伝ってくれたことから、優しい人なのではないかと思っている。
同じ国の貴族として同じ学園に通ってはいるが、関わりが無いので彼のことはよく知らない。そう、関わりは無かった⋯⋯はずだ。
なのでロゼリアは今、猛烈に動揺している。
「え? わ? え、は、い⋯⋯え?」
言葉になっていない言葉を紡ぎながら、反射的に差し出されている花束を受け取った。
ディートハルトは一つ頷くと、踵を返して去って行った。
「⋯⋯なんだったの?」
顔が熱い。心臓の鼓動がうるさい。
本当に今のはなんだったのか。
赤いチューリップの花束。
ロマンス小説で、男性が女性に告白する時にこれを渡しているシーンを見てから、告白をされる時には赤いチューリップを渡されるのが夢になった。
『愛の告白』の花言葉通りに、自分では伝えきれない愛をチューリップが伝えてくれるように。
(ディートハルト殿下がわたくしのことを⋯⋯? ⋯⋯いえ、チューリップの季節だから手に入りやすかったとかそんな感じに違いないわ。男の人は花言葉なんてあまり知らないわよね⋯⋯)
そもそも、ディートハルトはコリンナを想っているのではなかったか。
ロゼリアの姉のコリンナとディートハルトは、生徒会を通して距離が近くなったと言われている。普段表情を変えないディートハルトも、コリンナの前では表情が緩むのだとか。
ディートハルトはコリンナを想っているのだと学園内でもまことしやかに噂されていたが、コリンナには昔から慕う人がいた。
最近その想いが叶ったコリンナは毎日幸せそうで、姉の想いが叶ってよかったと思う反面、ディートハルトはそんな姉を見てどう思っているのかと心配していた。
そんなディートハルトからのいきなりの求婚。
(殿下は、わたくしにお姉様の代わりを望んでいらっしゃるのかしら⋯⋯)
ロゼリアの中で、それが一番納得のいく答えだった。
いつの間にか心臓の鼓動は収まり、代わりに少しだけ胸が痛んだ気がした。
◇◇◇
一方、ディートハルトは⋯⋯
(うおぉぉぉああぁぁ⋯⋯間違えたぁぁぁああぁ⋯⋯)
猛烈に後悔中であった。
(なんだ『結婚してくれ』って。工程を飛ばし過ぎた。ロゼリアを困惑させてしまった。⋯⋯困惑する顔も可愛いかったがな)
先程のロゼリアを思い出す。
『え? わ? え、は、い⋯⋯え?』
よく考えたら、これが自分に向けてロゼリアがくれた初めての言葉ではないか。
困惑しながらも花束を受け取ってくれて、頬を真っ赤に染めた顔がまた可愛くて。
(⋯⋯ん? 今思い返すと、ロゼリアがくれた言葉に『はい』があるな。⋯⋯これはもしや、私と結婚してくれると言うことか⋯⋯?!)
好きな人と初めて話すことが出来て興奮冷めやらぬディートハルトは、やけにポジティブだった。
◇
ルペリオ暦629年3月15日
「ロゼリア」
「は、はいっ」
声をかけると肩を大きく揺らしたロゼリア。
(ロゼリアと会話が出来ている。奇跡か⋯⋯! そして今日も可愛い)
まだ会話という会話はしていないが、今まで陰ながら見守り過ぎた王子は既に満足感に浸っている。
「昨日の話なのだが」
「は、はい⋯⋯」
「君が学園を卒業したらすぐに挙式しよう」
「?!」
昨日ロゼリアと別れてから、ディートハルトは考えた。
シュタッフェル侯爵家と縁を結ぶのは王宮内で特に大きな反対は出ないだろう。
ならば、出来るだけ早いうちに結婚したい。今まで接点が無かった分、出来るだけ長く一緒にいたいと思った。
ロゼリアはちょっぴり涙目になると、震えながらこくりと頷いてくれた。
「⋯⋯!」
(天使。天使なのか⋯⋯! 天使だったな、愚問だった)
「⋯⋯わたくし⋯⋯赤いチューリップを殿方から頂くのが夢で⋯⋯つい受け取ってしまいましたが⋯⋯わたくしは、コリンナお姉様にはなれません⋯⋯」
「そうだな」
ロゼリアはコリンナにはなれないだろう。コリンナはコリンナでいい所もあるが、ディートハルトはそのままのロゼリアが好きだ。コリンナを目指す必要はない。
「で、殿下でしたら⋯⋯拘らなくとも、もっといい方に巡り会えると思います。きっと、忘れられると思います」
「無理だ」
ロゼリアでなくてはダメだ。イシスの婚約者がロゼリアだと思っていた時は、胸が引き裂かれるような思いだった。
ロゼリアしか見えていないのに、他の女性で忘れられるはずがない。
「そ、そんなに⋯⋯好きなんですね⋯⋯」
「⋯⋯っ、⋯⋯ああ。⋯⋯⋯⋯好きだ」
(――――っ、す、好きだと言ってしまった。今顔が赤くなってしまっている気がする⋯⋯ロゼリアあまり見ないでくれ⋯⋯)
顔を逸らして眉を寄せたディートハルト。頭の中では、恥ずかしさとやっと想いを伝えられた嬉しさでのたうち回っている。
ロゼリアの声は耳に心地いい。
ロゼリアがこんな長文を喋ってくれて、会話が成立しているなんて奇跡ではないか。
これが婚約者。素晴らしい。
これから何を話そうか。
ロゼリアが好きそうな本を持ってきてもいいかもしれない。彼女が今まで借りていた本について語り合うのも楽しそうだ。
一緒に食事もしたい。美味しそうに顔をほころばせるロゼリアを間近で見たい。
いずれ、いずれで構わないから、シルバーの艶やかな髪に指を通してもいいだろうか。
白く細い手を握ってもいいだろうか。
細い身体を抱き寄せてもいいだろうか。
珠のように白く美しい肌に口付けを落としてもいいだろうか。
話したいことがたくさんある。
やりたいこともたくさんある。
これから少しずつ、叶えていこう。
精一杯の愛を毎日届けよう。
(⋯⋯愛している。私のロゼリア)
「ロゼリア、結婚しよう」
「殿下がお望みならば⋯⋯」
その後、正式に王家と侯爵家を通して婚約の書類を交わしたディートハルトとロゼリアは、晴れて婚約者となったのだ。