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18.溢れる


 ルぺリオ歴629年10月17日


 ロゼリアをストーカーしていた犯人が捕まった。もちろん、ディートハルトではない。


「まさか使用人のナギがそのようなことを⋯⋯」


 侯爵家の応接室にて、事のあらましを聞いたロゼリアは目を伏せた。


 ロゼリアに怪文書を送り付けていたストーカーは、シュタッフェル侯爵家使用人のナギであった。彼はロゼリアを密かに慕っており、ディートハルトとの婚約を破棄させたかったらしい。


 匿名の薔薇の花束はディートハルトが準備した物だったが、アイビーの小鉢は別の人物からだった。その花を辿ってナギに辿り着いたのだとか。


 ナギは、人見知りのロゼリアが気負わず話せる数少ない人物の一人で、昔から友人のように思ってきた。しかし、友人のようだと思っていたのはロゼリアだけで、ナギは自分を恋愛対象として見ていたなど思いもしなかった。


 信じていた者から裏切られたような心地になったロゼリアは、唇を噛み締めた。


「⋯⋯でも、お姉様を狙ったものでなくて良かったですね」


 コリンナでなくロゼリアが、ナギの狙いだったのならば、ディートハルト達は一先ず安心しただろう。そう思っての発言だったが、ディートハルトは眉根を寄せた。


「何も良くはない」

「え」


 能面のように、滅多に表情を崩さないディートハルトか怒っている。目を丸くするロゼリアの頬にディートハルトの手が添えられた。


「⋯⋯怖かったろう」


 表情を伺うかのように覗き込まれる。金色の瞳がロゼリアだけを映していて、心臓が騒ぎ立てた。いつもの癖で後ずされば、頬の手は簡単に離れた。


「⋯⋯ぁ」


(自分から離れたのに⋯⋯、寂しい⋯⋯)


 ドキドキと大きく鳴る心臓を押さえる。この前ナギに似たようなことをされた時は恐怖を覚えたというのに、今は、もっと触れて欲しかったと思うのだ。


「⋯⋯すまない」


 拒絶と捉えられたのだろう、降ろされて握り込まれた手にそっと自分の手を近づけた。


「?」

「――――っ、あ、あの⋯⋯手を、握ってもらっても、いいですか⋯⋯?」


 怖かったので、と言い訳を重ねれば、ディートハルトは顔を背けた。――――しかし、手は優しく握り込まれた。


(ディートハルト様は優しいですね⋯⋯わたくし、その優しさに身を委ねてしまいたくなります⋯⋯)


 湧き上がる想いを打ち消さないと、と俯いていたからだろうか、ディートハルトの握っていない方の手がロゼリアの頭に乗った。


「⋯⋯?!?!」


 そのままゆっくりと撫でられる。


「⋯⋯嫌か?」

「い、いいえ⋯⋯」


 手を繋ぐのもそうだが、ディートハルトに触れられるのは全く嫌じゃない。

 嫌⋯⋯どころか、もっと触れて欲しいとさえ思う。


(⋯⋯もう、手遅れかもしれません)


 棚ぼたのように座った婚約者の座なのに、ロゼリアはどんどんとディートハルトに惹かれてしまう。


 好きになっても辛いことばかりなのは分かっていて、もっとドライに信頼関係を築けた方がいいのも分かっている。


 でも、もっと触れて欲しいと願ったり、いろんなディートハルトが知りたいと思ったり、自分を心配してくれたのが嬉しかったり。ダメだと思うけれど、止まってはくれない。


「⋯⋯サラサラだな」

「⋯⋯っ」


 頭を撫でるディートハルトの手が優しくて、胸の奥に熱いくらいの気持ちが渦巻く。


「好き⋯⋯です⋯⋯」


 ほんのり溢れてしまったその気持ちは、もう後戻りは出来ないと告げていた。






 ◇◇◇




「好き⋯⋯です⋯⋯」


 思わず零れ落ちてしまったかのような、か細い『好き』が聞こえた。


「え⋯⋯」


 大きく目を見開いて、思考も動作も停止してしまったディートハルト。


 そんなディートハルトを僅かに見上げたロゼリアは、またすぐに俯いてしまった。俯く時、ひどく傷ついた顔をしていた気がしたが、出された声は明るかった。


「あ、あの! 頭をなでられるのが、です! なんだかお兄様みたいで⋯⋯落ち着きます⋯⋯」

「⋯⋯⋯⋯そうか」


(『頭を撫でられるのが好き』か。⋯⋯驚いた。ロゼリアが私のことを好きと言ってくれたのかと⋯⋯)


 こういう時、どう声をかければいいのか分からない。口下手な自分がとことん嫌になる。


 俯いた時にシルバーの髪が揺れたので引き寄せられるように触れてしまったが、嫌がられなくてよかったと思う。


 それどころか、好きだと言ってくれた。


 そういえば、ロゼリアからディートハルトへの気持ちは聞いたことがないことに気づく。


 お人好しのロゼリアだから、王太子からの求婚を断れなかったのかもしれない。急な婚約だったから、なし崩し的に婚約してしまったのかもしれない。


 自分に恋愛感情はないのかもしれない。


 それでもいいと、ディートハルトは思う。


 少なくともロゼリアは、ディートハルトを嫌っていない。触れるのを許してくれる。


(私は少し、ずるいだろうか)


 先にロゼリアを囲ってから、心を解そうとする。


 どうやら自分は恋愛においても不器用なようなので、想いを伝えるのも、距離を詰めるのも時間がかかる。


 きっと、心を手に入れるのも、また多くの時間がかかるのだろう。


 今まで女性に好かれようとしたことなどないのだから、方法も分からない。


 不器用でずる賢くて、そして、臆病だ。


(こんな私を知ったら嫌われてしまいそうだ。だが、これだけは自信を持って言える――――)



 ――――ロゼリアを愛している。



 その言葉の代わりに、ロゼリアの頭を再び撫でた。




 

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