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第18話

 果てのない暗闇を、這うように進む。今にも折れそうな膝を動かすのは、ひたすらな意地だった。腕に抱えた、あまりにも軽すぎる貴人の身。それを失わせてなるものかと、その一念ばかりが闇に押し潰されそうな背中を押す。

 不意に、行く手で光が見えた。小さな、白い光輝。

 灯りに寄せられる虫のように、自然と足がその光の許へと向いていた。足を動かしている実感こそあれ、どのような足場であるかも判然としない不明瞭な感覚が、一歩一歩踏み締める度に確かさを取り戻していく。

 やがて、カツン、コツン、と足音が鳴るようになった。硬いものの上を歩いているのだと、靴越しにも感じられる。その感触に、途方もない安堵を覚えた。

 刻一刻と、光が近付く。眩いばかりに闇慣れた目を焼くそれが目の前にまで迫った瞬間、頭から身体をねじ込んだ。

 視界が切り替わる。一面の闇から白く焼く光、そして砂の色。ざあ、と風の流れる音。

「……外、か」

 半ば呆然として、呟いた。ゆるゆると辺りを見回す。

 さほど時間が経ってもいないのだろうか、まだ空は青く晴れ、吹き抜ける風が時折ささやかな音を立てていた。俺は大きな亀裂の入った石壁の前に立ち尽くしており、どうやらここは古い遺跡の類らしい。

 砂色の岩石で石畳が敷かれ、装飾の磨り減った柱が立てられている。背にした壁以外の三方は元々吹き抜けのようで、家屋というより東屋と称すべきだろう。ただし、屋根と思しきものは粗方が崩れ落ちているが。

 背後の壁も、ただ朽ちて罅割れているばかりで、何らかの術式の残滓すら窺えない。王城の異変に伴い術式も効果を失ったのか、それとも完全な一方通行の脱出路であったのか。理由は判然としないが、今気にするべきことでもない。

 大臣は「逃げ延びる為の用意は、予め整えておいた」と言っていた。この遺跡のどこかに、その用意が隠されてあるのだろう。探索するのならば、姫はいずこかで休んでいてもらうべきだが、その身を手放すこともどこか躊躇われ、細い身体を抱えたまま足を踏み出す。

 遺跡自体は、さほど大きなものでもないようだった。岩場の真っ只中を切り開いて作られたようで、ぐるりと堅牢な岸壁に囲まれている。東屋を出て、辺りを一巡りしてみると、ある物影で姫の首に掛けられた飾りが反応した。チカリと光を放ったかと思えば、何もない空間が歪み、幕を寄せるように細い入口が開く。

 なるほど、大臣が飾りを与えたのは、この為であったのか。

 それでも警戒は絶やすことなく、慎重に歩みを進める。身体を屈めてくぐれば入口はひとりでに閉じ、いつの間にやら俺は小屋の中に佇んでいた。外の遺跡と同じ、砂色の岩石で形作られた質素な部屋はごく狭く、奥に申し訳程度の毛布を敷いただけの寝台と、後は大きな鞄の載せられた机が一つ置かれているきり。照明の類はないが、向かって右手の壁に壁をくり抜いただけの窓が設けられており、そこから差し込む光の恩恵で十二分に明るい。

 まずは姫を寝台に横たえてから机の上の鞄を検めてみれば、男女一人ずつ分の衣服と、食料に金子、旅に必要なものがおよそ全て詰め込まれていた。地図もある。どうやら、ここから四時間も馬を走らせれば街があるらしい。その条件ですら織り込み済みであったのか、魔力を動力にして動く傀儡馬の召喚具までもが添えられている。至れり尽くせりにも程があった。

 今現在の服装は宮廷楽師を装っているだけに、とても旅に向くとは言えない。ひとまず自分の衣服――没個性的な旅装が用意されていた――を改めてから、寝台の傍に戻り、姫の様子を窺う。深く眠っているようではあったが、呼吸は確かにしていた。

 その事実に身体が重くなるほどの安堵を覚えながら、ほっと息を吐き出す。その段になって、今更にひどい疲労を自覚した。あの暗闇を抜けることで、俺も消耗していたということか。

 いずれにしろ、この場を経つにしても姫の目覚めを待たねばならない。俺も休める内に休んでおくべきだろう。あの大臣が用意した、おそらくは外界とは隔絶された空間。そこまで警戒を要するとも思えなかったが、念を入れて姫の横たわる寝台の傍らに控えることにした。剣を抱え、寝台に背を向けて窓と入口を一望できる体勢を取る。

 警戒と休息を同時並行で行うことも、今となっては慣れたものだ。



 ふと、身動ぎする気配で意識が覚醒する。気配は背中の向こう――寝台からだ。

 目を開ければ、窓から白々とした光が差し込んでいる。垣間見える空は、青と呼ぶには余りにも色が薄い。夜が明けたばかりなのだとしても、目を閉じる前は夕方ですらなかったのだ。随分と寝入ってしまっていたらしい。

 当然の結果としてか、些かの渇きと空腹を覚えたが、それよりも先に気に掛けるべきことがある。

「ネシャート姫?」

 振り向くよりも先に、声をかける。返事はない。まだ目覚めてはいないのだろうか。

 躊躇わないではなかったものの、腰を上げて振り向く。

「姫――」

 そして、絶句した。

 寝台から静かに俺を見返す眼は、確かに開いていた。だが、その色が。

 ――違う(・・)のだ。

 かつて何度も相対した王の眼は、磨き抜かれた黄金に似ていた。だが、今この時に俺を見つめる姫の眼は、()の色をしている。そればかりか、いつもサハルの手によって美しく整えられていた長い黒髪までもが元の色彩を一筋も留めることなく失い、まるで生糸の如く。

 二の句を継げずにいる俺に向かって、姫はふわりと微笑む。

「ヘイダル」

 呼ぶ声は、久しく覚えのないほど確たる響きを持っていた。それだけ回復したという証だろうか。

 ようやっと思考するだけの余裕が取り戻され、見苦しくない程度に素早く居住まいを正す。座ったまま一足分床を後ろに下がり、顔を伏せて視線を切った。

「……無事のお目覚め、嬉しく存じます」

「そのように畏まることはない。もう、私はそんな風に扱ってもらう身の上にないのだから。――ねえ、ヘイダル」

 私の目と髪は、何色をしている?

 ともすれば淡々とすら聞こえる声に、ぞっとするほどの寒気を感じた。おそらく、姫はとうに分かっているのだ。我が身に何が起こったのか。

「目は銀に、髪は白に」

「……そう」

 吐息のような呟きをこぼし、姫は身を起こす。――否、身を起こそうとして果たせず、咄嗟に腰を上げた俺が手を伸べ、介助するとでどうにか起き上がった。

 たったそれだけの動作ですら、息が切れようとしている。骨と皮ばかりの背に腕を回して支えながら、苦々しさを禁じえなかった。

「ヴァファーが、全て燃やしたのだね」

「大臣が?」

 問い返せば、姫は小さく頷いて窓を指し示す。その途端、窓の向こうの景色が切り替わった。

 明け始めた白天に変わりはないが、その地平が赤々と燃えている。空を舐める業火に包まれているのは、かつて何度も目にしたばかりが、短くない間住処として一室を供されていた――

「王城が」

「幕引きを、謀ったのだろうね」

 姫は泣いているとも、笑っているともつかない表情で呟く。俺はその言葉に、何とも答えられなかった。

「ああ、全て――何もかも、失われてしまったなあ」

 絶望と呼ぶには軽く、諦観と呼ぶには重い。強いて言えば、ひたすらな空虚の滲む声音に、無性に急き立てられるものを感じた。

「我が国にお連れ致します」

 告げると、銀の眼が再び俺へと向けられる。じいっと、眼の奥を覗き込むような眼差しだった。

「それが初めから私の役目にございます」

「あなたが連れにきたのは、この国の姫だろう。私は王だ。王だった。誰の望みも叶えられず、満足に役目も果たせなかった。それでも、王だったのだよ。その立場にありながら、一人おめおめと生き延びることが許されるものか」

 初め平淡に紡がれ出した響きは、語るにつれて軋むように掠れていった。一人で逃げるなどと、と呻いた時には、両手で顔を覆っている。震える痩せ細った方が、ひどく痛々しい。

「お一人ではありません」

 背中を支える手で、細い身体を引き寄せる。驚くほど抵抗なく、姫は俺の胸に凭れかかった。

「私がお傍に。……あなたは充分に国に尽くされた。誰の望みも叶えられなかったというのなら、あなたを思う二人の民の願いを叶えておやりなさい。ヴァファーはあなたに喜びと幸いを、幸福な国を献じたかったと言い残し、健やかであることを最期に願った。サハルも同じです」

「それが、あの二人の望みだと?」

「ええ。そして、私のものでもあります。ネシャート姫、お幸せに、お健やかに。我が剣に誓って、そのような未来を、あなたに」

 囁けば、かすかに笑う気配。しかし、「そうか……そうか」と繰り返す声は、明らかに濡れて揺れていた。

「頼もしいな」

 ぽたりと雫の落ちかかった手が、それを拭うこともなく伸ばされる。迷わず、俺はその手を取った。

「支度を整えたら、発ちましょう」

 促す言葉に、もう否定はなかった。

「よろしく頼む、ヘイダル」

「かしこまりました。我が身命に代えましても」

「代えられては困るなあ」

 かすかな笑い声が、快かった。



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 大陸暦九七二年、夏。

 反乱軍の蜂起をによって滅亡したアウレィリヤ王国の王城は、城を枕に抵抗を続けた兵士の手により、跡形もなく焼け落ちた。その際に如何なる魔術が行使されたものか、燃えさしの瓦礫の下に埋まった地下施設は余人の接近を拒み、幾度となく調査が試みられたが、成功を見たことはなかった。

 誰もが諦める他ないと手を引いた王城跡の調査が再開されるまでには、更に二十余年の歳月を待たねばならなかった。調査の再開を提案したのは、かつてのアウレォリヤ王国と縁深き隣国セルギリドの将軍ヘイダルと、その奥方である。

 ヘイダル将軍の奥方は「白き賢女」と呼ばれ、その智賢をもってよく夫を支えた。アウレィリヤ王国王城跡の封印を解いたのも、その智恵によるものであるとの証言が多数残っている。

                 (ヴェキテ・ビリポウム『大陸史概要』)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 一気に読みました…序盤で王は姫なのかなと思いましたが、終焉まで王たらんとする姫の気概と、献身する臣下とヘイダルに感動しました。ネシャート姫がヘイダルと幸せになったようで、最後までとてもおも…
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