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第16話

「何事だね」

「姫様のお姿が見えないのです!」

 足早に近付いてくる大臣に駆け寄り、サハルは悲鳴じみた声で訴える。それを目の当たりにした大臣は一瞬目を見開き、そして苦虫を噛み潰したような顔をした。

「ヴァファー様、どこかお心当たりは」

「こちらだ」

 サハルの言葉を遮って言うや、大臣は大股に歩き出した。王の寝所の前を通り過ぎ、更に王宮の深奥へと向かってゆく。その最深部までは、俺も立ち入ったことがない。否、立ち入る必要もあるまいとして、意識を向けなかった場所だ。

 硬い音を響かせて、大臣は廊下を進む。まずサハルが小走りにその背を追い、俺は殿を務めることにした。正直に城門を破り王宮への侵入を企てたのなら、反乱軍は表の方からやってくる可能性が高い。先刻から、王宮内の騒がしさも無視できない領域にまで高まりつつある。背後には気をつけていなければ。

「ヴァファー様、姫様はどちらへ」

「おそらくは、祭壇だろう」

「祭壇?」

 長らく廊下を進み、やがて大臣が足を踏み入れたのは、壮麗な礼拝堂だった。規模としては小さく、正面の壁に女神を象った彫像が飾られ、その足元に祭壇が一つ置かれているだけで、他には何もない。それでも決して殺風景だとは感じないのは、周囲の装飾が目を瞠るほど巧みだからだろう。

 床や壁はおろか、柱に至るまでが白く塗り込められ、滑らかな曲線を描く天井には、濃淡の異なる様々な青色でそれは見事な装飾が施されていた。あの青は、どうやら塗料であり、鉱石であり、また色のついたガラスであるようだった。天より降る雫を髣髴とさせる意匠を見るに、やはり水をもたらす女神を意識したものか。

 思わず辺りの観察に意識を取られてしまったが、気付けば大臣は礼拝堂の奥へ奥へと歩みを進めていた。しかし、躊躇いなく踏み込んでいく大臣とは対照的に、サハルは入口でぴたりと足を止めている。その隣で足を止めてみれば、見下ろした彼女の顔には、戸惑いとも躊躇いとも見えるものが浮かんでいた。

「行かないのか」

「ここは、王族のみが立ち入りを許される聖域です。私などが……」

「だが、この先に王はいるのだろう」

 俺は行くが、と白塗りの床に足を踏み出す。こつん、と靴音が鳴った。

 足元はただの床で、ここはただの礼拝堂だ。立ち入る視覚のない者が排斥される類の仕掛けも無いと見える。であれば、立ち止まっている理由はない。

 靴音を響かせて歩んでいくと、短い間の後に背後からカツカツと忙しない足音が上がり始め、あっという間に俺の隣をすり抜けていった。その肩を怒らせた後姿、速過ぎるほどの足取りに苦笑めいた感情を覚えながら、残りの道程を踏破する。

 大臣は祭壇の裏、女神像の真下にいた。俺とサハルが追いつくと、女神像に向かって何事かを呟く。上手く聞き取れなかったので、この国独自の古い言葉か、女神に関わる不出の文言であるのやもしれなかった。

「階段が……」

 大臣が唱え終わると、女神像の直下には辛うじて人一人が通れるだけの隙間が開いていた。そこから灰色の、いかにも古めかしい石造りの階段が伸びている。地下へ降りる道であろうというのに暗くはなく、きちんと様子が窺えるのは、壁面に点々と埋め込まれた鉱石が光を発しているからだ。魔術仕掛けだろうか。随分と気を使って作られている。

「やはり、既に祭壇にお着きのようだ」

 苦々しげに呟いたかと思うと、再び大臣は先頭に立って階段を下りていく。これまで通りの順序でサハルと俺が後に続くと、背後でひとりでに隙間が閉じた。

 ほ、と吐きかけた息を呑みこむ。壁一枚相当とは言え、扉でもないものによって後続と遮断された事実は、多少なりとも気を楽にさせる。これで入口が物理的に破壊でもされて突破されない限り、後背からの奇襲はないと考えて良いだろう。――が、それはそれとして、気を緩める訳にもいかなかった。

「姫様は、この階段の先にいらっしゃるのですか? どうしてお分かりになるのです」

「明かりが灯っているだろう。これは、適格者が祭壇で祈りを捧げている証だ」

 緩やかな階段を、ひたすらに下りていく。あの秋口にもかかわらず眩暈のするほどの暑さも、今は感じない。それどころか、空気はひやりと冷たくさえあった。

「祭壇というものが、この先にあるのですか。姫様は、こんな道をお一人で……?」

「いや、あの方は奥つ宮との繋がりが深い。祭壇へ直接に転移されたのだろう」

「奥つ宮とは?」

「女神アウラの、かつては寝所であり、今は墓所となったものだ。我々は『祭壇』と呼んでいるがね。……陛下はわずかに女神の恩寵の残滓が漂うだけの奥つ宮で祈りを捧げては、無理に供物と水とを引き換えてきた」

 延々と同じ景色を見続けさせる、緩い円を描いた螺旋階段は、進めば進むほどに方向感覚を狂わせる。自分が今どこを向いているのか、どれだけ歩んできたかも曖昧になっていくようだ。ひた、ひた、とどこかで水の滴る音がするのもよろしくない。

 会話でもしていなければ、頭が朦朧としてきそうだった。事実、サハルはすっかり黙りこくり、呼吸も妙に上がっている。このままでは良くない。何か言葉を、と考え、ふと思い浮かんだのは――

「……ネシャート姫は、真実ジャラール王子を殺したのか」

「いいや、陛下ではない。私だ。私があれを始末した」

 存外に強い言葉に、内心で驚く。仮にも王子を「あれ」と呼び、「始末した」と語るか……。

「あなたが?」

「ジャラール王子に簒奪を唆したのも、ジャラール王子を暗殺したのも、全て私だ」

「……何の為に」

「我が望みの為に」

「望みとは?」

「以前にも言ったろう、私はただ、あの方の為に。――この国は、全て女神に頼りきっていた。その恩寵が失われることを疑いもしなかった。疑うことなど、女神への冒涜であるとすら嘯いた」

 大臣の口振りは、淡々としていた。だが、その声音の奥には、紛れもない失望と、憤怒と、憎悪が渦巻いている。一体何が、彼をしてそこまで憎ませたと言うのか。

「十年前、陛下は『後を任せる』と、母君から国を託された。国を支える骨子の変質は、放置できるものではない。齢十にして、陛下は母君の作られた猶予が残されている内に、女神の支えがなくとも立てる国にしなければならないと決意された。私と陛下は、初めは、その為の共犯だった。……国を変える為の」

「だが、変革は成らなかった」

「そうだ。妃を溺愛する余り、先王は妃の生命と引き換えにもたらされるものに固執した。女神の――妃の加護から離れることを厭い、ただただ現状を維持することにだけ執心した」

 私たちは飼い殺されるばかりだった。その声は、明確に吐き捨てる響きをしていた。

「そして、妃の献身さえ使い切られようとしていることが分かり、王は狂乱に逃げた。もはや、あれは邪魔であるばかりか、明確な害だった。それ故に、私は王子を唆した」

「何故だ。何故、そこまでのことを? そんなことをしなくとも、イマード王はネシャート姫を後継者に据えるつもりだったのだろう」

「狂った王に譲位を呑ませるなど、獣に文字を教えるようなものだ。彼の王の寿命が尽きるまでに、国の方が涸れて果てる。あれが玉座にあったままでは、変革は成らぬ。王子には汚れ役を担ってもらった」

 ぞわり、と背筋に震えを感じた。大臣の言葉に滲むのは、まさに冷静な狂気に他ならない。

 言いたいことは分かる。だが、多くの人間は同じことを考えたとしても、実行ばかりは躊躇うだろう。玉座の簒奪を唆し、挙句の果てには新王となったその者を秘密裏に葬るなど。

「そして、役目が終わったから退場させた、と?」

「ああ」

「いいえ」

「何?」

 肯定と否定が、全く同時に上がった。

 どちらに目を向けたものか迷った末に、否定の声を上げたサハルを見やる。周囲の薄暗さのせいか、長い階段を下りてきた疲労か、彼女の顔はすっかり青褪めているように思えた。

「ジャラール王子の弑逆は、王子の行いに故あってのこと」

「王子に?」

「この国が置かれた現実を知った王子は、姫様に己が身を祭壇に捧げよと、そう命じられました。次の贄が見つかるまでの繋ぎになれ、と。『今まで私から奪い続けたものを返せ、最期にくらい私の役に立て』と喚く王子は、私などには到底正気であるようには見えませんでしたが、姫様はその妄言に反論をなさらなかったのです。ですが、私とヴァファー様にとって、その命は到底看過できるものではありません」

「それゆえに、殺した」

 その通りです、とサハルは頷く。

 なるほど、これでようやくこの国で何が起こったのか、一通りのあらましを理解することができた。何とも数奇な……全く、数奇な、という以外にない。

「あれを殺し、隠した私を、あの方は咎められなかった。ただ、これまで通りに力を尽くせとおっしゃた。それゆえに、私は今日まで、あの方の望む通り、この国を延命させた」

 あの方が、そう望まれたがゆえに。

 大臣が低く告げた、ちょうどその時――足元に変化が生まれた。階段が終わり、平坦な通路へと切り替わる。果たして、どれだけ下ったことやら。

 永劫ほどに長く思われた階段行とは変わり、通路はごく短いものだった。薄明かりに照らされた扉が、行く手を塞いでいる。その扉の装飾も、見事なものだった。過ぎ去ってきた礼拝堂を思わせる、白と青。

 ふと、扉の中からかすかな声が聞こえてくることに気がついた。

 ――あなたに頼りきった、愚かな子らに、どうか最後に恵みを下さいますよう。新しい時代が芽吹くまで、長らえられるだけの慈悲を……

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