31羽:聖域 “オルセーン回”
「大村に戻る前に、“聖泉”も視察していく。当初の任務だからのう」
我らの頭である《獅子姫》ちゃんの一言でで、オレたちは少し迂回して獣道を進む。
“聖泉”は元々の目的地であったので、それほど時間ロスはない。
聖域を少し見てから、大村へ戻っても遅くはないだろう。
「《獅子姫》様、この先に“聖泉”があります」
「うむ、楽しみじゃ」
「いよいよですね」
この大森林の地理に通じた護衛戦士は、主である《獅子姫》に報告する。
初めて見る聖域に皆が心を高めていた。
(ん?……ん、これは……)
だが《魔獣喰い》ことオレは一人だけ違和感があった。
正確にいうならば“異臭”を感じていた。
もう少しで“聖泉”に到着するのだろう。
だがそこから湧き出る“匂い”が気になって仕方がないのだ。
(この匂いは……どっかで嗅いだことがあるな……というか、これは“アレ”の匂いだだよな)
前世の身体での経験を思い出し、匂いを該当させる。
「姫様、ここが聖域“聖泉”です」
「おお、ここがか!これまで見たことのない神秘的な光景じゃ」
「これが聖域……」
そうしている内に、聖域“聖泉”に辿り着いた。
オレ以外の一行はその神秘的な光景に歓喜の声を上げている。
泉からはもくもくと湯気が上がり、また周囲を独特の香りで包んでいた。
(この匂いはどう考えても“硫黄臭”だよね……)
まさかの展開にオレは心の中で呟く。
(これって“温泉”だよね)
そう、この大森林で“聖域”として崇められていたのは、
なんと“温泉”だったのである。
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温泉は、地中から湯が湧き出す現象や湯となっている状態、またはその場所を示す用語である。
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この異世界に転生して十四年。
オレは初めて“温泉”を見た。
目の前の温泉は岩場に囲まれ、もくもくと湯気の中にあった。
恐らくは源泉が近くにあり、そこから流れて溜まっているのだろう。天然湯だ。
天然岩場の湯船は細長く湾曲しており、奥の方は湯気でと岩で見えないが、数十人が優に入れる広さはある。
鼻腔をほどよく刺激する硫黄臭と、黄色く濁った水質が、良い温泉であることを証明している。
「これが“聖泉”か。確かに今まで見たことがない光景で、神秘的な香りのする泉だ。のう《魔獣喰い》よ」
「う、うん……」
聖域ということもあり《獅子姫》ですら、少し距離をとりその様子に感動していた。
恐らくこの大森林の中では地質学に温泉は珍しいのだろう。高濃度の硫黄臭は毒素ともされているし、誰も近寄らないのかもしれない。
だが、目の前の温泉の岩場には、小動物たちが動き回っている。空気的には大丈夫なのだろう。
(ああ、温泉は久しぶりに見たな……)
前世でオレ住む街は、日本でも屈指の温泉地域だった。
泉質も多種に渡り、名湯秘湯が点在し町営の格安温泉も多い。
学生たちは学校帰りに寄り、社会人の中には仕事前に早朝温泉で汗を流す者も多い。
そんな訳でも前世のオレも週に数回は通う、温泉愛好家だった。
(硫黄系の匂いはキツイけど、効果は絶大だからいいよね……今みたいな疲れを癒してくれる……)
オレは湯の中に手を入れ、その温度を確認する。
うん、ちょうどいい感じだ。暑すぎず温すぎずジャスト温度だ。
(深さも十分にあるから、足を伸ばして入ったら気持ちいいよな……)
妄想に浸っていたオレは、自分の革鎧と服を脱ぎ温泉に入る。
おっと、身体は軽く洗い流してから入るのが温泉のマナーだ。これ重要。
「あぁ……、これだこれ……水浴びにはないこの感じ……ああ、極楽だ……」
全裸になり身体を清めたオレはゆっくりと温泉に入り、足を伸ばして歓喜の声を漏らす。
やっぱり日本人なら温泉が一番だ。
今後は定期的にここに入りにきたいものだ。
「……ん?」
湯の中で手足を伸ばし、極楽気分を味わっていたオレはふと気付く。
誰かの……いや、みんなからの刺さるような視線を感じる。
「は、班長……」
「ま、《魔獣喰い》……」
ふと視線をそちらに向ける。
“獅子姫隊”の皆は口をぱくぱくさせながら、オレを見つめている。
(どうしたんだろう……温泉がうらやましいのかな……)
もしかしたら異世界人は温泉の入り方を、知らないのかもしれない。勿体ない。
「ねえ、みんなも一緒に入ろうよ。疲れが取れて癒されるよ」
湯の中のオレは手招きをしながら、おいでと皆に声をかける。
異世界人であっても一度でもこの温泉を味わったら、気に入るはずだ。
「は、班長……そこは聖域だぞ……森の精霊の呪いが……」
「へっ?」
仲間であるイケメン剣士が、声を震わせて指をさしてくる。こいつがこんなに動揺しているのを初めて見た。
(聖域……“聖泉”……あっ……)
オレは今気づいた。
あまりにも素晴らしい天然温泉だったので、いつの間にかオレは全裸になり入浴していたのだ。妄想からの無意識的に。
森の部族は迷信深い。言い伝えを大事にしている。
このままではオレは“聖域を汚した不届き者”として罰せられるかもしれない。まずい。
だがどう見てもこれは温泉だ。しかも極上の。
(みんなも入れば分かるはず……そうだ……)
オレに名案が浮かぶ。
「じ、実は《流れる風》オッサンにこれを聞いたんだ……この“聖泉”で身体を清めると、本当は森の加護を受けることを……そして、これまで以上に素晴らしい力を授かるって……」
そして口に出す。
「なに?あの英雄《流れる風》殿が……本当か……」
「この大森林中を探索したと言われている方だからな……」
「あの方が言葉ならば信じられる……」
どうやらオレの作戦は成功したようだ。
みんな《流れる風》のオッサンの名前を出しただけで、皆信じ始めている。
彼は普段はムッツリスケベで負けず嫌いな子どもみたいな性格だけど、この森の戦士たちからは絶大な信頼を得ている。
「ふむ、流石は《魔獣喰い》じゃ。それならば我々の身を清めるとするか。そうじゃ、全員じゃ。スザンナや少年たちも全員じゃ」
まるで新しい玩具を見つけた子供のようだ。
《獅子姫》ちゃんの一存で、この場にいた全員は聖域“聖泉”に入ることになった。
・・・・・・
「男性はこっち側……女性陣は岩場の陰の向こう側です。あと入る前に必ず身体を清めてください。」
「ふむ、そんなものなのだな」
オレの指示で男女離れた場所に入ることにした。
湯は繋がっているが、岩場の向こう側はこちらからちょうど見えない位置にある。
いくらなんでも混浴はまずいだろう。
「おっ……これは……」
「おお、力が漲る……」
最初は《獅子姫》ちゃんに脅されながら入湯した森の戦士たちも、その湯を体験し声を上げる。
「おお、見ろ、泡が出ているぞ……」
「全身の傷が癒えていくぞ……」
水浴びの習慣しかない彼らは、最初こそは湯の熱さに驚いていたが、徐々に慣れてきた。オレの真似をして手足を伸ばしたり、肩まで浸かって温泉を満喫している。
あっ、布は湯にいれちゃダメだよ。呪われちゃう、ということにしておこう。
やはり温泉の気持ちよさは異世界も共通なのであろう。
温泉最強だ。
(そういえば、女性陣は大丈夫かな……)
最初に一通り説明をしたけど、岩場の向こう側の女性たちが心配だ。
入っているのは《獅子姫》ちゃんとその世話役の女戦士、そして女騎士ちゃんことスザンナの三人だ。
こちらかだと岩場と湯気のせいでその姿は見えないが、女性たちの気配はする。
オレは全神経を自分の耳に集中する……
「スザンナ、お主の胸は何故こんなに大きいのに張りがあるのだ。何か手入れをしているのか?」
「いえ、特に手入れはしていませんが、幼いころから牛の乳はよく飲んでいました、“獅子姫”様」
「ふむ、それはうらやましいことじゃ」
ふむふむ、聞こえたぞ。
オレの耳、頑張った。
そう言えば女騎士ちゃんはふくよかな胸をしていたよな。騎士服の上からでもはっきり分かるくらい、女性らしい身体のラインだった。
女湯から《獅子姫》ちゃんと女騎士ちゃんの、楽しそうな会話がくっきりと聞こえてくる。
しかしオレ以外の男性陣には聞こえていないようだ。
恐らくは研ぎ澄まされたオレの超聴覚が、これを可能にしているのだろう。
「“獅子姫”様のお身体も素敵です。あれ程の剣の使い手なのに、身体にはキズひとつなく、きめ細かい肌でとてもキレイです」
「ふむ、一族に伝わる香油で手入れしておるからな、この肌は自慢じゃ。だがこの胸がな……」
ふむふむ。
《獅子姫》ちゃんは確かに美肌だ。
健康的でありつつも、衣類から見える腕や太ももは肌艶で美しい。
胸はやや小さめだが形良い。これからの成長に期待だ。
「今度、機会があれば、当家の乳牛を“獅子姫”様に献上します」
「おお、それはありがたいぞ、スザンナ!どれ、その胸を少し調べさせてくれ、牛乳の効能を調査する」
「あっ……そこは、だめです……“姫様……」
オレだけに聞こえる艶やかな会話が始まった。これは絶好のチャンスだ。
すぐそこで、うら若き少女たちがじゃれ合っているのだ。この機会を逃す手はない。
「あーあ、ずっと入っていたら、のぼせちゃったな……上がって向こうで休もうかな……」
白々しくオレは小演技をかまし、湯から上がろうとする。
そのまま着替えて、小便でも行くふりをして森の中へ消える。
自分の最大限の隠密技術と“影が薄い”特性を使い、全力疾走で移動だ。
女湯を覗ける場所まで迂回して移動する。湯気が邪魔だが風向きももちろん既に計算済だ。
「待て、“聖泉”からお前はまだ出るな、《魔獣喰い》」
「へっ?」
その時だ。
男湯の岩場の前で一人の戦士いた。
最初は黒装束を脱いでいて分からなかったが、その威圧的な声は例の《獅子姫》ちゃんの護衛戦士だ。
「い、いや……少しのぼせちゃって、上がりたいんですけど」
「お前はダメだ。得体が知れぬ」
男は鞘を持っていた。
軽く剣を抜き、その刃をチラリとオレに見せてくる。
刃が黒く濡れている。恐らくは猛毒の類であろう。本気で威嚇だ、このオジサン。
「そ、そっかな……どこにでもいる普通の青少年なんだけどな……」
「普通の者は“魔獣”など食えぬ」
護衛戦士は鬼のような眼差しで、オレを睨んでくる。周りの空気が殺気で揺らぐ。
『あと一歩でも女子風呂に近づいたら、その首貰うぞ』
そんな気迫だ。
(くそっ、すぐそこに裸体の女神たちがいるのに……)
オレはそれから何度か離脱を試みた。
だが結局、オレの覗きは作戦が成功することはできなかった。
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“聖泉”から上がったオレたちは、再び大村へ向かい出発した。
森道に慣れていない騎士たちが一緒だったが、流石は鍛えていた強者たちたち。
コツをつかんで何とかオレたちについて歩いていた。
夜営をしながら森の中をひたすら進むこと数日。
「大村が見えたぞ」
先頭を行く者から声が聞こえる。
オレたちは“災いを運ぶ者”である下界人を連れて、ついに大村へ帰って来たのだった。




