148羽:槍の先にあるもの
「師匠、足の痛みは良くなりましたか?」
ネロは自分が背負っている椅子に座る師匠に声を掛けその身を案ずる。猟師が薪を運ぶ時に背負う木々で組み立てたそれは、鍛えられた強靭な身体を持つネロに使わせたなら、女性一人なら簡単に背負い行軍出来る便利な代物である。
「ああ、か弱い我が足の筋肉痛は大分よくはなっている。ネロ、だがそれよりも大問題が発生したぞ」
背負われているヘリヤは森の中を進むネロに深刻そうに声を掛ける。
「大問題・・・どうなさいましたか?」
この自分が気付かない内に魔獣や敵にでも囲まれたのか。ネロは足と止め周囲に気を配いながら問いかける。
「さけが・・・酒が無くなってしまったのだ・・・」
ヘリヤはそう悲しそうに呟きながら、自分の飲んでいた酒瓶を逆さまにし最期の一滴を有難くにゴクリと飲み乾す。
「酒ですか・・・ここの前に立ち寄った森の廃村には残念ながら酒はありませんでしたから、もうしばらく辛抱してください」
何だそんな事か・・・ネロは心の中でため息つきながらそう説明をする。だが同時にも微笑ましく笑みを浮かべる。大陸の命運を懸けたこの緊迫した状況の中であったも、自分の師匠にとっては酒の有無の方が大事であり余裕である事に。
「ネロや、なぜ我々はこの大森林の中に来たのだ?」
「“魔穴”を塞ぎ、大森林の美味い酒を飲む為です」
問われたネロはそう即答し、自分の腰に下げていた革袋を背中の師匠に、これをどうぞと手渡す。その中には自分が下界から持って来ていた特上の帝国式蒸留酒が入っていた。師匠と同じく酒に目が無い自分が、この戦い後の勝利の美酒用として隠していた虎の子の一杯であったがこの場合は仕方がない。気分屋である師匠に出張ってもらう為には安い出費ではある。
「おお、流石は我が弟子!でかしたぞ!」
ヘリヤは嬉しさのあまり声を上げ、酒袋の中の匂いを嗅ぎ満足そうな笑みを浮かべる。その姿は無邪気な幼子の様であり、また純朴な乙女の様でもある。
ぼさぼさ頭を一本に結い着ている衣もこれまたボロボロだが、中身はちゃんとした女性である。これで髪の毛を櫛で梳き、女性の洋服を着せ軽く化粧でもしたのなら、帝都の貴婦人にも勝るとも劣らない美しさを兼ね備えた女性である。
以前に自分と同じく彼女の直弟子である『弓公子』アベルと結託して、貴婦人の服を騙し着せた時のヘリヤの美しさはネロの脳裏に未だに焼き付いている。だが、騙されたと知った後に激怒した師匠を宥めるのに、皇帝愛用の年代物の葡萄酒の力を借りた事も痛い思い出でもある。
(懐かしいな・・・将軍の職務放棄をした自分はもう帝都に戻る事すら出来はしないだろう。アベルに“戦死”した事にしておいてもらったのだから)
武家ではあるが王宮では身分の低い母親を持ち、その為に幼い頃から皇室で肩身の狭い思いをして暮らしてきたネロだが、やはり自分が生まれ育った帝都を捨てた事に関しては少し感傷的になってしまう。
(まあ、済んだ事は仕方がない・・・それに、もう少し行けば“敵”が待ち構えている場所を通過するだろう・・・それまで師匠には少しでも上機嫌でいてもらわなければなるまい)
ネロは深い森の中を進みながらそう心の中で呟く。
・・・
ネロは“油断”をしていた訳ではない。
小川で飲み水を補給する為に背中のヘリヤを降ろし川沿いに一人降りていた。何の変哲のない小川だが、作業の最中の全工程においてその全神経は全方位を隈なく警戒していた。
だが突然“敵”は現れたのだ。
何の前触れもなくネロは先制攻撃を受けた。自分のいた場所に鋭い槍が連撃で繰り出され、ネロはそれを直感と反射神経のみで辛うじて躱した。
(くっ、いつの間に・・・間合い入られていただと!?)
運が良かったのか飛び去った先に追撃はなく、反撃を繰り出そうとしていたネロはその槍の主がいるであろう空間を注意深く観察する。まだ太陽が降り注ぐ日中だというのに生い茂る木々で森の中は薄暗い。いた・・・その一角に先ほど自分に攻撃を仕掛けてきた“槍使い”がいたのだ。
「蒼き闇の槍使い“蒼竜王”か・・・」
ネロは集中力を極限まで高めその槍使いの存在を認識する。この槍使いは幻術を使いこなしこちらの視覚を惑わせる。一瞬たりとも目が離せない相手なのだ。
『“血の皇子”ネロ・セウェルスか・・・三年前と同じ相手か・・・一応は皇帝の実子であるお主がこの様な最前線にいるとは、嘆かわしい事に今の帝国は余程人手不足と見える』
そう呟きながらこちらにゆっくりと近づいて来るのは、全身を青い甲冑に身を包んだ長身の槍使いの“男”である。
(やはり“男”か・・・三年前にこの森で対峙した時は、性別の有無は勿論のこと我々と同じ人なのかと認識すら出来なかったのだがな・・・)
まるで散歩でもするかの様にこちらに近づいて来る槍使いを、ネロは注意深く観察しつつそんな分析をする。三年前までは“魔”そのものを具現化した“敵”であったが今回は明らかに違う。だが以前よりも人間臭い雰囲気を醸し出しながら、その隙の無い立ち振る舞いと強烈な殺気は前よりも凄まじいものがある。
(腕を上げていたのはこちらだけではなかったのか・・・それともこれがこの男の本来の力なのか・・・)
軽い絶望にも似た感覚に襲われこの場を逃げ去りたい思いを必死で抑えながら、ネロは近付く“蒼竜王”に対し意識をしっかり持ち槍を構える。それに反応したのか相手はピタリとその足を止める。
『おお、その構えは“聖段”の構え。その若さにしてそこまで習得しているとは・・・まさに十年に一人の才能の持ち主。流石はあの皇帝の血を引くお方だ・・・いや、それとも血に塗られた母親方の呪われた武家の血か』
そうこちらを挑発しならが“蒼竜王”もゆっくりと槍を構える。それは同じ流派である“神段”の構え。それを見ただけでネロの背中に気持ち悪い汗がたらりと流れ落ちる。
自分の“聖段”とは一段しか違わないが、その間には絶対に越えられない高い壁がある。あと数年あれば自分もその段階まで辿り着く自信はあるが、今のこの状況においてその差は絶望的な違いなのである。
「血統は関係ない、とは言わないが、我が母方を侮辱するのだけは許されぬ言葉だ。例えそれが帝国流槍術の開祖の言葉であったとしてもな!」
ネロはそう叫び怒りに顔を赤らめ“蒼竜王”に突き進んでいく。凄まじい踏み込みと共に得意の多段突きを繰り出す。同じ軌道とタイミングで瞬時に四回槍を相手を突き殺す。帝国流の基本技であるこの多段突きを昇華したネロの独自の得意技である。
『怒りに身を任せたフリをしてからのこの突き・・・これまた素晴らしいものだ』
そう言いながらも“蒼竜王”はネロの槍先を躱そうともせずに、カウンターで鋭く突きを繰り出そうとする。幻術使いでもある“蒼竜王”にとって例え得意技であろうが秘儀であろうが物理攻撃は格好の反撃のチャンスなのである。
その思惑通りにネロの槍先は虚しく幻影の空を切り、反対に“蒼竜王”の槍先はネロの心の蔵を貫く・・・はずであった。
だがネロの決死の覚悟により・・・その思惑は外れる。
『なに・・・幻術が効かぬだと』
予想外の結果に“蒼竜王”は一度距離を取り状況を確認する。自分の身体を触り確認すると、そこにはネロの仕掛けた攻撃が確かに自分に当たっていたのだ―――だが、ただの人がこの幻術を破れるハズはない・・・
ふと見るとネロの視線が自分の実体を捉えていた。その視線は血の様に変色したネロの左目と同じ赤い死の色であった。
『これはまさか・・・お主がセウェルス家の開祖である“あの男”と同じ“呪われた眼”の持ち主でもあったとはな・・・だが知っていたか、その目は使う者の魂を憑代として発動する事を』
「ああ・・・この命で済むなら安いものだ・・・」
“蒼竜王”はそう問いかけるものの、ネロのその眼差しに一切の迷いはない。全てを理解した上でその“呪われた眼”を発動していたのだ。
『長生きはするものであるな・・・この様な稀代の天才の誕生の瞬間に立ち会える事が出来ようとはな・・・』
“蒼竜王”はそう呟きながら、目の前の若き槍使いの叡智ある姿に満足し笑みを浮かべる。
『だが、我が幻術を封じた所で純粋な槍の技の競い合いにおいてその差は埋まらぬ。残念だったな槍師ネロよ!』
“蒼竜王”は畏敬の念でそう叫びながら一足で間合いを詰め、珍しく先に攻撃を仕掛ける。恐るべき邪眼使い相手にするに辺り、受け身のカウンターより先に仕掛ける事を選んだのだ。だが相手であるネロは槍を地面に突き刺しこちらをじっと見つめて反応しない。
「“蒼竜王”よ、我が師は気まぐれだ。気を付けるがいい」
無防備な状態のネロはそうニヤリと呟く。ハッとした“蒼竜王”は自分の槍術を途中で切り替え防御の構えに変える。
『くっ、ぬおお!』
その瞬間にどこからともなく雷撃の様な槍先が“蒼竜王”の身体を襲いかかる。多撃必殺にして全てが重く激しい槍撃。辛うじて自分の槍にて捌いたがその全身の青き鎧には防ぎきれなかった傷跡が生々しく浮かび上がっている。恐るべし使い手の撃である。
「ネロ、水汲み行ったきり帰って来ないとはどうしたのか。この私の目を盗んでまだ酒でも隠し持っていたかと思いきや」
そう呟きながら姿を現すのはボサボサ頭を一本に結った長身の女だ。だがその姿を見た“蒼竜王”は歓喜の声を上げずにいられなかった。
『おお、成る程。お主の邪眼で我が幻術を封じつつ本命はこちらか』
自分と同じ“神段”の免許皆伝の持ち主であり、己の直弟子でもある女槍使いヘリヤ・・・その姿を久方ぶりに見た“蒼竜王”そう声を上げ顔に歓喜の笑みを浮かべる。
本来なら同じ時代に一人しかいないはずの“神段”同士が槍を交えたらどうなる事か・・・そう考えただけで生粋の武人であり武芸者である“蒼竜王”は喜ばずにいられない。
「おや、見た事がある槍かと思えば、その声は我が師匠ではないか。あの時に確かに・・・まあ、いい。だが安心しろ、今度の貴様の相手は私ではなくそこにいる我が弟子ネロだ」
そう言いながらヘリヤはその場にぺたんと座り込み先ほどネロから貰ったばかりの酒袋の中身を口の中に流し込む。彼女自身はどうやら最初から傍観者を決め込んでいたのだろう。
『なに・・・今さらネロの“聖段”如きが我に触れる事すら出来るとでも思っていたのか!』
そう叫びながら“蒼竜王”はギロリとネロの方に視線を向ける。だが下段であるはずのネロの槍の構えは開祖である自分すら見た事のない流派の構えであった。
「先ほども言ったはずだ・・・この命で済むのなら安いものだと」
それ見ただけで今度は“蒼竜王”の背筋に流れるはずのない汗がたらりと流れ落ちる。自分の直感がこの若き槍師の力を恐れているのだ。
『まさかこれ程とは・・・全ての“段”を飛び越え、今まさに新たな武の境地に足を踏み入れようとはな・・・ネロ・セウェルスよ、先ほどの我の言葉を訂正しよう。お前は百年に一度の逸材だ!』
長い年月を懸けて基本と奥義を研鑽した自分の流派にまだ知らぬ型があったとは・・・武芸者でありながら指導者でもあった“蒼竜王”はその生まれ落ちた瞬間に立ち会った事を恐れつつ喜びに身を焦がす。
「能書きはいい・・・オレがこの手にしたいのはこの一瞬の輝きのみ・・・行くぞ青き槍師“蒼竜王”!」
自分の最期を師匠ヘリヤに見守られながら、ネロはそう前に叫び踏み出すのであった。




