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正直に言えば、私はニクスさんの言葉の意味を理解出来ていなかった。彼が私を恩人だと思ってくれていたとしても、私を何から守ろうとしてくれているのか全く分からなかったのだ。しかし、目前で膝を折っていたニクスさんの雰囲気に押されて尋ねることもできず、ただその場の流れに従って頷いていたのだった。
その後すぐに彼はメリーさんを呼び、今後私が生活する上で必要なものをそろえるように指示を出した。どうしたものかと私がそわそわしていると、メリーさんはそんな私を見て優しく笑った。私はその笑顔の意味がわからず、さらに困惑した。
メリーさんが去り、再びニクスさんと二人きりになったので、迷ったが私は彼に先ほどの言葉の意味を尋ねることにした。
「私のことを守る、とは一体どういうことなのでしょうか?」
私の問いにニクスさんはひどく驚いた顔をしたが、すぐに納得したように頷いた。そして彼は答えようと口を開きかけたが、突如鳴り出した大きな鐘の音にそれは遮られてしまった。
ゴーン、ゴーン、ゴーン――と、絶え間なく鳴り響く鐘の音はこの部屋だけではなく、町中に静寂をもたらしていた。どう間違っても、この鐘は時を知らせるものではないだろう。では、何のために…。混乱している私にニクスさんが言った。
「これは警鐘です。セルトリが近づいています。」
「警鐘?セルトリ?」
いきなり出て来た単語に私はさらに混乱した。そして、鳴り続く鐘がそれに拍車をかけ、私は聞き返すことしか出来なかった。
「セルトリとは隣国の名のことです。今は、ニッツと緊張状態にあります。」
私は何も言えなかった。これは現実感のない現実なのか、非現実に現実感が伴ったものなのか、私にはもはや判断が出来ない。
「ニッツはフラント王国という国の辺境にある一領地です。そして、セルトリ公国に隣接しており、私たちのいたあの深い森を抜ければセルトリに辿り着きます。セルトリ公国は五十年ほど前にフラント王国から独立した国なのですが、ここ数年国交が途絶えています。そのため、境界にあるニッツには何年も緊張状態が続いているのです。」
「戦争、ですか?」
「まだセルトリとは直接的な争いは生じていませんが、それも時間の問題だと考えられます。」
淡々と話すニクスさんがそれまでとは別人のようだ。今はよくわからない国同士の戦争よりも、そんなニクスさんの方に恐怖を感じる。私はいつの間にか握りしめていた自分の手を見つめて思う。私はどうしてこんな話を聞いているのだろう。そもそも、こんなところで何をしているのだろうか、と。疑問ばかりが浮かび、私はどうしてもこの世界を認めることが出来ない。
「すみません、怖がらせてしまいましたね。」
そんな私を見てニクスさんは言った。そっと顔を上げると彼と目が合い、私は再び目を伏せた。
「ニッツは、いえ、フラント王国は決して安全ではありません。私はそんな状況にあるこの世界で私を救ってくれた、あなたを守らせてほしいと言いました。」
私は気持ちを振り絞ってもう一度顔を上げ、ニクスさんを見た。彼は真っ直ぐに私を見ていたが、何故か私は自分が彼の言葉に違和感を持っていることに気が付いた。思えば私は始めからずっと違和感を持っていた。それはこの世界に対するものとばかり思っていたが、ニクスさんに対しても感じていたということに今漸く気が付いた。――しかし、彼の何に違和感があるのかがはっきりしない。
私は唇をかみしめ、少しの間目を瞑った。今後の身の振り方の一歩目を間違えてはならない。私は決心していった。
「私はこの世界のことを何も知らず、何もできません。どうか…よろしくお願いします。」
―――とりあえず、今は。
「ふたつの現実」はこれで終わりです。
読んでくださって、ありがとうございました!
次からep.2になります。