#4
青い色だけが、嫌いだった。
風に鳴るブルーシート。割れた窓ガラス。泥の匂い。冬なのに、暖房のない夜。
あれから、明日が来ることを当たり前とは思えなくなった。
エアコンの涼しい風が、首筋を撫でる。
ごま油と、名前も知らない中華の香辛料が鼻をくすぐる。中華鍋を振る音が、リビングまで軽快に響いてくる。ごはんのいい香りと炊飯器の電子音が炊き上がりを知らせる。
「いただきまーす!」
「今日のメインは聖子ちゃんのご実家のお米です。」
「お兄さんのエビチリでしょ!」
「健太、またエアコン18℃にしてる!」
「ごめん、夏は火使ってると暑いんだよ」
「お兄ちゃんほんとカラオケ屋やめてお店開いたらいいよ。」
目の前にあるエビチリの鮮やかな赤と、炊き立てのご飯の白が、わたしの世界を塗り替えてくれる。
彼女とつき合い始めてから、お兄さんの健太さんに胃袋を掴まれてしまった。誰にも言っていないけれど、最近ワンピースのファスナーが少しだけきつい。
「あー、幸せー。」
瀧さんがソファにもたれながら、大きく伸びをする。
「ほんとうの家族みたいだよね。」
すこし部屋が静かになる。健太さんは照れたように笑う。
「家族みたい、じゃなくて、もう家族だろ。」
わたしは小さく首を横に振った。
「…法律の上では、違います。」
健太さんが首をかしげる。
「どういうこと?」
「家族みたい、では終わらない話なんです。」
三人の視線がわたしに集まる。
「相続権。手術の同意。集中治療室への立ち入り。遺体の引き取り。税制上の扱いも変わります。」
テーブルの上に、少しだけ重たい空気が落ちた。彼女がテレビの音量を下げる。
健太さんがぽかんとした顔をしているが、瀧さんの目は真剣だ。
「いざというときに康子さんを守れないんです。」
「わたしも思った。カノジョってね…」
「もし、お兄さんさえよければ。」
自分でも驚くくらい、声は落ち着いていた。
「わたしとお兄さんが籍を入れる、という方法もあります。法的なメリットはあります。」
わたしは静かに続けた。
「人は、いつ病気になるかわかりません。事故だってあるし。」
誰も何も言わなかった。しばらく沈黙が続いてから、瀧さんがふっと笑う。
「…じゃあさ。」
みんなが瀧さんを見る。
「俺と康子ちゃんが籍を入れればいいんじゃない?」
彼女は一瞬目を大きく見開いたあとに、ふう、と息を吐いた。
「…わたしも思った。」
「うん。健太の妹なら、俺も安心だし。」
瀧さんは当たり前みたいな顔で笑った。健太さんの顔も、気づくと真剣になっている。
「俺に何かあったら、康子ちゃんが家族として手術の同意もできる。集中治療室にも入れる。もし俺が先に死んでも、いろんな手続きも任せられる。」
健太さんは黙ったまま瀧さんを見つめていた。この人たちは、ただ、大切な人を守りたいだけなのだ。
それから数ヶ月、両家顔合わせや入籍と怒涛のように過ぎていった。彼女の名字が変わり、瀧さんはマンションを買った。大変なはずなのに、彼女はそんな素振りを一切見せない。
3月。
「鈴木」の表札が掛かったマンションのリビングでは、今日も健太さんが台所に立っている。にんにくとオリーブオイルの匂いと、包丁のリズミカルな音。
瀧さんはお皿を並べて、炊飯器からごはんをよそっている。お似合いだな、と思う。
わたしと彼女はソファに並んで座り、判例集を読んでいる。相変わらず、ハタチになるまでは、と線を越えようとしない。
「できたぞー。」
「いただきます。」
食べ終わると健太さんが立ち上がる。
「聖子ちゃん。ラーメン食う?」
「え?これからですか?」
「ラーメンは別腹だろ。」
「えー、俺も食いたい!あ、嫉妬じゃないから。」
瀧さんが笑いながら立ち上がる。
「健太ってさ、カラオケ行くと毎回HERO歌うんだよ。」
「ミスチルの?お兄ちゃん昔から好きだよね。」
健太さんは苦笑いして鍋に水を張る。
「でも、あれ健太だよね。」
みんなが笑う。
「聖子、お誕生日おめでとう。」
タバコを吸いに出たはずの彼女が、ケーキを持って立っていた。
「やっちゃん、みなさん、ありがとう。」
わたしも、笑う。
青い色は、今でも少し苦手だ。だけど、明日が来ることを、少しだけ信じてもいいと思えた。
わたしは、19歳になった。
【作者あとがき】
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
小説を書いたことが一度もなかったので、稚拙な文章だったかもしれません。でも、書きたいことを書けるのはすごく楽しかったです。
恋愛小説は苦手でして(感情移入しすぎてつらくなってしまう)、もともと社会派のヒューマンドラマが好きなので、本作にはラブロマンス要素がほとんどなく、申し訳ないです。
ヌーヴェル・ヴァーグやキアロスタミ作品が好きで、あんな感じの余韻を残す終わり方が好みでして、読んだあとに皆さんがそれぞれの未来を自由にご想像いただけたら嬉しいです。
■登場人物について
名前やタイトルを考えるのは本当に難しいですね。
ちなみに「ミメシス」の仮タイトルは「鈴木」でした(笑)
・瀧について
瀧には明確なモデルがいます。滝沢秀明くんです!!
「タッキー」だから「瀧」でいいや、と安易に決めてしまい、名字は平凡なほうがバランスが取れるかなと思って「鈴木」にしました。
瀧はタッキー=わたしの理想の男性像(中学までは「アンパンマン」、そのあとは「タッキー」、今は「萬田銀次郎」)です。強くてかっこよくて非の打ち所がないキャラクター像になり、職業も正義の味方にしました。でも、そういう人はきっと孤独なんだろうな、とも思います。
・健太について
健太については、最後の言葉がすべてだなあと思っています。
瀧と健太はお互いをすごくすごく好きなのですが、健太のほうが非常に献身的なキャラクターです。
健太と康子の名前は「健康」から一文字ずつ取った、これまた安易なネーミングです。ふたりの親も同じことを考えていたのでしょう。そういう親世代の感覚だと、マイノリティへの理解は自ずとないだろうな…と思いました。でもだからこそふたりは結束している、というように設定がしっかり固まっていき、キャラクターが立つと自然に動いてくれました。書いていてとても楽しかったです。
健太と康子は似ている部分もありますが、健太はミスチルのHEROのような人にしたかった。冒頭の歌詞「例えば誰か一人の命と引き換えに世界を救えるとして僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ」を、そのまま健太に重ねています。
実際、健太だけは「籍を入れる」と言っていません。仕事もできるし趣味もあり多才ですが、その一方で弱さも持っています。瀧の一挙手一投足に振り回され続ける、ずっと「恋する男」で、それに対して瀧は、深く「愛する男」として対比させました。
「深海のように暗い人には、強くて孤独な太陽のような人が合う」と、昔親友が言っていて、そのイメージを投影しています。
また、何でも話せる人が身近にいる、という人は、本質的には孤独になったことがないのだろうな、と思いながら書いていました。
・康子と聖子について
康子の#3は、わたし自身が言いたいことを詰め込んだ回だったかもしれません。
聖子との関係は危うく、書いていて「いつか別れちゃうかも…」と思っていました。聖子には、健太と結婚してもいい、康子を守りたいんだ、という強さがあります。康子が本当に聖子を好きなのかどうかは、わたしにもよくわかりません。「大切にしなきゃ」とは思っているけれど、おそらく聖子のほうが康子をすごく好きなんだと思います。
もし聖子と別れたら、「既婚者」というレッテルがついた康子と付き合う勇気のある女性は現れるのだろうか、など…いろいろなことを考えてしまい、つい、聖子には頑張ってほしいと願ってしまいます…!
聖子はファンタジーというか、私自身から最も縁遠い存在で、おかっぱの清楚な子にしました。ただ、清楚系は100㌫肉食女子だと勝手に思っているので、グイグイいく系の超肉食女子で、彼氏がいても奪っちゃおうとする性格にしたかったんです。大人っぽいので同年代と話が合わないタイプですが…そんなタイプ、実際にいるでしょうか?(笑)
名前は、清楚系アイドルっぽい見た目→アイドル風の名前がいい→ぶりっ子っぽい名前は?→松田聖子、と決めた結果、登場人物の名前が全員昭和っぽくなってしまいました。
あと、平野啓一郎さんの「私とは何か」を読んだときから感じていたのですが、「個人」ではなく「分人」=わたしの中のいろんなわたし、が、この4人に投影されているのかもしれません。
■余談
――作品を書くにあたって
ここからは完全に個人的な話で恐縮です。
実は今年に入って、人生観が変わる出来事がふたつ、ありました。
ひとつは、弟が婚約破棄をしたことです。家族としてその一部始終を見ている中で、好きってなんだろう、愛ってなんだろう、依存ってなんだろう、共に生きるってなんだろう、ということを深く考えさせられました。
もうひとつは、愛する人と最期まで共に生きることを強く願っていた、祖母の他界です。祖父もまた、祖母を心から愛していました。しかし、介護という現実の中で、二人は物理的に離れ離れになってしまいました。
それまでわたしは正直なところ、結婚願望がほとんどなく、おひとりさまを満喫しており「契約で縛られるのは嫌だ」「気の合う相手がいれば十分」くらいに考えていました。
しかし、介護の関係で祖母は最後まで祖父と一緒にいられなかったこと、お墓のことなど、ここには書けないこともあり、いろいろと考えさせられました。死後、魂になってそばにはいられるのかもしれないけれど…それでも。
今のわたしは、心から誰かと人生を共にしたいと思っています。
太陽のような人と。一番愛する人と。




