空飛ぶ馬車
「たまには外に出るのも良いでしょ?余の世話ばかりじゃ気づまりだろうから」
レイなりの冗談だろうか。
全然笑えないが。
「気づまりなんてありませんし、あったとしても、その代わりの任務がこれって、負担がすごすぎます」
「余も異腹の双子のジャスパーを王宮から他国へ派遣するのは身を剥ぐような辛さだよ。余とジャスパーは一心同体だからね。だけど、今回は非常時だし、ジャスパー以上に余の気持ちをオッフェラン帝国に正しく伝えてくれると信じられる人は他にいなかったんだ」
「陛下……」
余とジャスパーは一心同体。
まさに身に余る言葉だった。
この国で国王にこんなことを言ってもらえる人間は俺以外に誰もいない。
鼻がツンとする。
気を抜けば涙腺が崩壊しそうになる。
もう俺はレイの言うなりだ。
そうでなくても国民は国王に絶対の忠誠を誓っている。
こんなこと言ってもらえたら、地獄の果てまで行ってやる気になってしまう。
レイは背後の文机にある白いものを手にした。
「ジャスパー。これを持って行ってほしい」
レイはが持っているのは白い紙だ。
封書だろうか。
「何ですか?」
俺は半ば反射的にその封書を受け取った。
裏面に賢者の杖とドラゴンの羽の模様を見つけて、緊張に身震いする。
急に封書の重みに腕がもげそうになる。
「スタンリー帝に渡してほしいんだ。ジャスパーのことを信じていただきたいということ。オッフェラン帝国とは今後も仲良くしたいということ。そういうことが書いてある」
「これを、私が……」
重い。
道中、失くしたり、誰かに奪われたりしたら重罪だ。
間違いなく磔の刑。
だけど、これさえ渡せば、スタンリー帝に俺が何かを説明する必要はなくなる。
「では、時間がありません。失礼いたします」
コールマンは半ば話を打ち切るようにレイに礼を残して立ち上がった。
まだレイに訊きたいことが山ほどある俺の服の袖をつかみ、扉へ向かう。
建物の外に出ると馬車が待っていた。
中からエリゼが顔を出し目礼をする。
コールマンは御者の傍に寄って何か話しかける。
「ああ。ジャスパー君」
不意に名前を呼ばれ振り返る。
声の主はザウベルト農政長官だった。
「長官。どうなさいました?」
「いや、その。ちょっと、君に話したいことがあってね。だけど、……取り込み中、かな」
「あー。ごめんなさい。今はちょっと……。帰ってきたら、すぐに伺います」
「あ、ああ。うん、そうか。じゃあ、気を付けて」
押しの弱い長官はこんな俺にも横柄にならず、愛想笑いを浮かべて軽く手を振るだけだ。
コールマンが馬車の中から顔を出し、「急げ」と俺を呼ぶ。
「じゃあ、長官。失礼します。すいません」
俺が乗り込むやいなや馬車は勢い良く駆け出し、王宮から走り出た。
「コールマンさん。何で陛下は……」
俺がオッフェラン帝国へ行くことをレイが何故予見していたのか。
それが訊きたくて口を開いたが、コールマンがチラッとエリゼを見たことで、「今はそのことに触れるな」と言われた気がして俺は押し黙った。
「ここらで良い」
王都の中心部を出て、小高い丘を越えたところで、コールマンは御者に声を掛けた。
馬車が土埃をあげて停車する。
辺りには住宅はまばらで、森が点在し、畑や牧草地が広がっている。
こんなところで馬車を止めてどうするというのか。
「コールマンさん?」
「このまま乗っていてくれ。窓枠にしっかり掴まってな」
窓枠に掴まる?俺はエリゼと顔を見合わせた。
今、しれっと怖いことを言われたような気がした。
しかし、理由を尋ねる前にコールマンは馬車から下りてしまっている。
馬車の外から、金具の音がカチャカチャ聞こえてきた。
何だろうと思って窓の外を見ようとすると、馬車全体がぐらっと揺れた。
慌てて窓枠を握る。
「キャッ」
「わっ」
馬車が揺れと共に浮き上がるように大きく傾いてエリゼが悲鳴を上げる。
座っていた俺とエリゼはほとんど背もたれに寝るような格好になる。
そして馬車はそのままの状態でギシギシときしむ音を立てながら空中に浮いた。
と思ったら、ものすごい速さで飛び始めた。
馬車よりもはるかに速い。
あまりの怖さにギュッと目を閉じたが、ゆっくり開くと窓の外に微かに橙色の炎のようなものが煌めいている。
その向こうには、たなびく雲。
コールマンが馬車ごと飛んでいる。
ものすごい時間短縮になるだろう。
さすが、魔導士。
コールマンの魔法力は俺の想像をはるかに超えている。
このままコールマンも一緒にオッフェランに行ってくれるのだろうか。
だとすると、これ以上心強いことはない。
やがて、ガクンと少し揺れて、馬車が降下を始めたのが分かる。
その時、俺は人間の凄さを知った。
馬車が空を飛ぶという常識を超えた状況の中で俺は居眠りをしていたのだ。
どういうところでも人というのは眠くなれば眠ってしまう。
はっきり言って、俺は疲れている。
隣にいるエリゼに眠っていたことを気付かれてしまっただろうか。
俺は何気ない素振りで窓から地上を見下ろした。
オレンジ色の夕景の中、峻険な山の尾根が見える。
こんな光景は当然初めてだし、日が暮れ始めていてはっきりとは分からないが、国境に近いのだろうか。
コールマンは木々が切り開かれた一画に下りようとしているようだ。その草むらのような一画は徐々に近づくと、ものすごく広いことが分かる。
どこからともなく獣の鳴き声のようなものが聞こえてくる。
グロロロロ。クゥイー。
独特なその鳴き声はサラマンダーに近い。
そう思ったときに、どこへ来たか察した。
ここは竜騎隊の兵舎だ。
憧れの存在であり、レイと共に見学する予定だったドラゴンをこんな形で見ることができるとは。
急にワクワク感が胸を轟かせる。
すっかり目が覚めた。
王宮に帰ったら、ドラゴンと竜騎隊のことをレイに話したい。
無事に王宮に帰れれば、だが。
「何でしょう?この鳴き声」
エリゼが表情を曇らせる。
自分が獣だらけの死地に放り込まれるかもしれないという怯えが見て取れる。
「ドラゴンです。我が国の象徴であり、国民の憧れの存在」
「へぇ」
エリゼは表情を綻ばせて俺と同じように窓に顔を引っ付けて兵舎を見下ろした。
「衝撃に備えろ!」
馬車の外のコールマンの言葉に、俺とエリゼは咄嗟に窓枠にしがみつく。
ガシャーンと馬車が押しつぶされるような音がして、背骨が縮んで砕けそうな衝撃を受ける。
歯を食いしばって踏ん張っていなければ、首や腰がもげてしまいそうだった。
窓の外はもうもうと土埃が舞っている。
ここが竜騎隊の基地?
俺はおもちゃを見つけた幼児のように前に急いだ。
しかし、馬車の扉は何かに引っ掛かって開いてくれない。
着陸の衝撃でひずんでしまったのか。
イライラして俺は扉を蹴り飛ばすように強引に開け、地上に降りる。
と、ここまで飛んできた影響か、全身が波に漂っているような、地面そのものがゆらゆら揺れているようなフワフワとした心もとない感覚に足が前に出ない。
「大丈夫か?」
コールマンは平気な顔で、エリゼが馬車から降りるのに手を貸している。
周囲からいくつもユラユラと赤い炎のようなものが近づいてくる。
それは松明の火だった。
あっという間に俺たちは何人もの武装した兵士に囲まれていた。
「コールマン副団長。突然、何事ですか?」
豊かに蓄えられた顎ひげが印象的な男性が兵士の中から一歩出てコールマンと向き合った。
「驚かせてすまん、ボグス隊長。事態は急を要すため、このように仰々しく現れてしまったが、内密の用件がある。まずは私の話を聞いてほしい」




