第二十七話『名探偵、参上』(後編・その5)
EXTRA EPISODE 27
七月の頭に起きた小学校での死体遺棄、これには警部補の前島もほとほと疲弊した。
かれこれ一年以上。こんなにも長期に渡って、こんなムチャクチャな事件が続くとは思ってもいなかった。
「これで三ヶ月連続……月イチですね」
「んー」
先輩の初老の刑事、棚橋も気のない返事をする。
「いや、先月二件出たヤツ、あの古い方の時期を考えると……およそ四ヶ月前だから、ほぼマンスリーですよ。どうなってんですかね、ホント……」
ここ何度かは周期も完全に月相に関係した物である事は確認できた。
死亡推定時刻まで明確に。
今回も前回に引き続き、晩に殺されてその翌朝の発見なのだから新鮮だ。
科学捜査もさぞ有り難い事だっただろう。この蒸し暑い気候に腐乱死体いじりなんて想像もしたくない。
「そうねえ、んー。周期殺人、衝動殺人、ねえ。こう、オカルトめいたのはねえ」
「宗教儀式って考え方もありますね。カルトの。そいつ一人だけの個人カルトってヤツかもしれませんけど。あの酒鬼なんちゃらだったか……神戸のガキのやったアレみたいな。いや、むしろその方が納得できますよ」
警視庁の方から出向して来たFBI帰りのプロファイラーの女が、何かそんなような事をいってたのを前島は思い出す。どうなんだろうなぁ、それも。
っていうかプロファイラーって。
なぁ。
──犯罪そのものをオカルトにする意味はないわね。犯行の主軸として、犯人の中に何か信仰があったとしても。
そんな御高説を垂れる眼の前の女は、まあ、美人。上乳が見えるようなチューブトップの上から派手な赤いエナメルのスーツという、どう見たって警察組織にいて良いような格好じゃない女だ。確か津沼とかいったか、科警だし一課の前島にとっては直属の上司というわけでもないが、階級はこれでも自分より上だから、同世代っぽい女であれ敬語で喋らなきゃならない。
──信仰って……いや、どうなんでしょうかね、それ、と気のない相槌をする。
っていうか何だ、この女のオッパイ。いくらアメリカ帰りだからって体型までアメリカナイズされるのかよ。
そっちの方が気になる。
『月例犯罪――月齢犯罪、でも良いわ。そこなのよね~、一番の問題は。そこの意味って何なのかしらねー』
他に幾らでも問題も謎もあるし、前島にはぶっちゃけそこは一番どうでも良い点だった。
あの女に限らず、今となっては県警本部の中にもわけのわからない奴が大勢入り込んでいる。
正直、現状の捜査一課が「力不足」なのも否めない。増援そのものはありがたい。今となっては警察の威信だのメンツだのプライドだの、そんな物もどうだって良い。しかし。
「そんなん喜ぶのはマスコミと学者とモノカキだけじゃろ。わしらがワカランようなんは意味ないね。しかし……今回の、本当に人間なんかいね」
弱気な言葉を棚橋が吐く。
確かに、にわか信じられない。
市立箱島小学校、その校庭。玄関から入って脇の校舎の入り口に向かう道の真正面に、今回の惨殺死体は『ブラさげて』あった。
ズタズタに引き裂かれ、くり抜かれ、頭の真横からブッスリと、長さ四メートル程の鉄パイプが貫き通されていた。
それが二本の樅の木の間に吊るされている。
洗濯物でも干すように、パイプの竿の間に頭だけでブラさがった惨殺死体を最初に発見したのは小学四年生の女の子で、金切り声を上げて卒倒した(らしい)。そんなもんその歳で見てしまっちゃあ、一生のトラウマだ。
小学校の校庭にかよ、何考えてんだこのキチガイ! いやキチガイなのは最初っからわかってるけどでもしかし! ……と、そう正義感の強いわけでもない前島すらも、さすがに憤った。
前島は何事につけ醒めた男ではあっても、本質的には悪人になりようのない性質の小善人である。例えば不正に対して『許さん』と思う事こそ一切ないが、不正に対して『見逃さん』と思う事には自覚的である。
そんな意味では刑事に必要な資質は充分に備えていた。
そんな前島も、さすがに今回の事件では殺人鬼に対し、『お前いいかげんにしろよ!』と昂ぶった感情がふつふつと沸く。
「ナンか、ねぇ……ホンマ、人間ワザじゃーないよねぇ、うん……。人間なんかいねぇ……」
手にした紙コップの底でも見下ろすように棚橋はつぶやく。
「犯人そのものをオカルトにしてどーすんですか」
ああ、そういう意味か。はいはいはい。
クマとかハブとかに襲われるような状況でもない限り、人の社会で人を殺すのは人のみだ。たとえどれだけそれを疑いたくなるようなメチャクチャな状況であれ、だ。
とはいえ、幾ら何でもムチャムチャだ。
死体には一滴の血液も残ってはいなかった。
筒状のナイフで血が完全に抜かれていた。血だけではなく胃液腸液糞尿も。陰嚢ごと性器が切り取られているからある意味精液もだ。
生前の被害者顔写真と見比べても、遺体は完全に別物で、肌は蝋細工のように白く、傷口だけがギラギラと赤い断面を見せていた。内臓も殆ど抜かれている。抜かれてコノワタのように絞った後、また喉に詰め込まれている。
今回は殺害&解体現場と、死体の捨てられていた場所が大きく違った(このパターンも過去に数例ある)。解体現場は、まだ人のごったがえす夜の十時~十一時の市内中心部、何百人何千人と家路に急ぐ夕闇の中。
その人ごみの真っ只中で、衝立一枚挟んだだけの向こう側、暗黒の無人の工事現場でその凶行は為された。頭に刺したパイプはここで現地調達したものらしい。
背筋が寒くなる。何なんだ、こいつは。ありえるのか。
犯行現場に入った瞬間に前島は、覚悟はしていたがめまいがした。
一面の血。そこそこの広さがありながら、ぐるりと取り囲んだ壁面の全てに血がベシャベシャに吹き散らかされていた。
現場を見て一言『遠心力で血抜きですね』と、鑑識から来たらしい新任の若者がアッサリ口にした事が印象に残っている。今度のコイツは、そうそう現場で吐きそうにもない。
その現場には『痕跡』だけがあった。大人の人間一人分の全ての体液が。
小学校には死体だけがあった。
解体現場から四〇〇メートル程離れた場所で、一切の『痕跡』がそこにはない。
『一切?』
『そこは、オーバーです。一滴の血も残ってないって事ぁ無い、です。一晩ブラさげられている間にそれなりに滲んでましたよ、遺体の足元にはコップ半分ほどの体液が溜まっていました。血……っていうか、まあほぼ体液です。ヘモグロピンは確かに殆ど残ってない。あれだけ斬られててコップ半分程度ですよ、一晩で。しっかり血抜きしたもんだなぁ』
感心する新任鑑識の観点はどうやら前島とは違う物だったようだ。
新任――というか、あまりにも特殊すぎる犯行に、業を煮やして設置された、選りすぐりの科警特別班の人員らしい。詳しくは前島も知らない。
何につけ縦割りの警察組織で、こういった特例は珍しい。とにかく、県をまたいでの合同捜査や警視庁から出向して来た特別部隊だの、何から何まで異例尽くしでこの異常犯罪者に対しては警察も臨んでいる。
にもかかわらず、現段階ではまだ何一つとして、手がかりはない。
死体とパイプ、足元に垂れた汁。それ以外は、毎度の如く足のつくような遺留品も、そしてこの学校の現場の場合、他に痕跡一つ残してはいなかった。
これでは忽然と現れたとしか考えられない。小学校は塀で囲まれていて、金属門もきっちり鍵が下ろされている。樅の木の枝以外に、梯子をたてかけた跡やパイプをかけた痕すらも、周囲の壁や門の上にはどこにも遺されていない。目撃情報すらもない。
工事関係者は夜の十一時に現場周囲や隣の駐車場に不審車が一台も停車していなかった事を確認しているし、そもそも幾らひと気のない夜間でも死体を担いだ不審人物が歩き回っていればすぐにでも判る筈である。
『空でも飛べるんかねえ』と口にした棚橋に、その若い鑑識はカンに触る嗤いを鼻でフっと漏らすのみで、前島の頭にはタケコプターで飛ぶ黒いシルエットだけの犯人(名探偵コナンの影響らしい)が浮かんでいた。
棚橋の頭の中には、天狗の姿が浮かんでいた。
嗤ったわりには、この鑑識の脳裏にはトッド・マクファーレンの幾つかのクリーチャーの姿が浮かんでいた。
「とにかく、今回のは現場が新しかったんで、保全も万全です。遺留品は……まあ相変わらずちょっと期待出来そうにないんですけどね」
「んー。うん」
棚橋は短く吸い終わったフィルターを灰皿に入念に押し付ける。
新しい……のは、まだ幸いだ。これまで、どれだけバラバラのグチョグチョの腐乱死体を見てきた事か。
「保全ゆーてもねえ、子供らもアレよねえ」
「ええ……」
さすがにそれが、今回前島にとって一番どうにもやりきれない点だった。子供好きというわけでもない。だが、物には限度ってのがある。
ぐちゃぐちゃな猟奇惨殺死体を猟奇的な演出で、小学校に放置だと? 何を考えてんだ? 警察を嘲笑い愚弄し挑戦状を叩き付けているような物じゃないか。いや、それはある意味明確な目的や指針があるって話じゃないか。イヤガラセ。学校に対してか? 社会に対して? 子供に? とにかく、理解し難い行動とはいえ、感情や思考の痕跡は必ずそこにある筈で、それは絶対に『見逃さん』つもりでいた。
前島は正義感が強い訳でも直情的でもない若い刑事だが、自分はそんな立場なのだとの自覚と職業的矜持は持っている。
「酷いモンよねぇ。この被害者のヒトが、何をしたんかねェ」
ぼそりと棚橋は呟く。何をしたかっていうと何もしていないだろう。
「何かしてこうなってんなら、まだ判ろうモンですよ。ワケわかんないスよ毎回……」
「この犯人にゃ、追いつけるんかねぇ……わからん」
「警部がそう弱気いうてどうすんですか。……今回の被害者の、二瓶さんですか。第一発見者の子が病院に担ぎ込まれましたよね」
「そりゃねぇ……」
「あのときね、その子のそばについて、介抱したり励ましたりしてる子がいたんですよ。その子がね……」
「んー」
「後で被害者の身元が割れたら、二瓶さんの娘さんでね、えぇ……なんていうか……すっかり放心して、倒れて。発見者の子が今は隣で介抱してますよ」
顔を顰めながら老刑事は、指の爪のケバをギチギチといじる。
To Be Continued




