24.すき焼き
「……きっかり一時間。時間通りだな」
ほぼほぼ時間に沿って酒場に訪れることが出来たと、ルリアは安心したように言う。
「アロイスさん、もしかして何か作ってくれるのかな」
「恐らくは。夕飯を食べずに来てくれ、と言っていたからな」
「だよね! お店でご飯を食べるの久しぶりだから、すごく楽しみ! 」
「ハハ、はしゃぎ過ぎるんじゃないぞ」
酒場の玄関前に立ったルリア。
ドアを軽くノックすると、
「どうぞー」
声が聞こえて、ドアを押し開いた。
すると、その途端。
店内にはも食欲をそそる甘い香りが漂っており、二人は鼻をクンクンと動かした。
「この香りは……」
「なんか美味しそうな匂いがする! 」
二人が言うと、カウンター奥のキッチンに立っていたアロイスが笑顔で手を振って答えた。
「やあ、来てくれましたね。とりあえず、適当なテーブル席に腰を下ろして下さい」
言われた通り、二人は近くのテーブル席に腰を下ろす。
と、アロイスはキッチンから浅めの鍋と、卵黄の入った取り皿を二人の座るテーブルに運んだ。
「早速ですが、丁度出来上がったところです。どうぞ」
「出来上がった……と、これは……! 」
「うわあ、美味しそう! 」
それを見た二人はゴクリと唾を飲み込む。
運んできた鍋には、オウルベアの赤身肉とトロ肉を始めとして、豆腐、山菜が詰め込まれた色とりどりな食材たちがグツグツ音を立てて煮込まれていた。
熱い湯気からは、店内に踏み入れた時に感じた食欲そそる甘い香りが立ち昇る。
「このような料理は、初めて見る……。なんと甘く芳醇な香りだ……」
香りだけで"美味しい"と感じてしまいそうな一品を前に、ルリアは両手をぷるぷると震わせた。
「ジパング料理の一つで、牛鍋といいます。とはいえ、使った肉はご存知の通りクマ肉ですので、クマ鍋とでも呼びましょうか」
極東ジパングに伝わる伝統料理の一つ、牛鍋。
砂糖、みりん、酒などを使い、甘く煮込んだ牛肉や野菜を、取り皿に溶いた卵黄で食べる一品である。
「甘く煮込んだ肉を、手前に置かれた滑らかな生卵で食すのですね。極東ジパングは、私の時代からサムライやトノサマとかいう珍妙な者たちが闊歩しておりましたが、料理までこのように変わっているとは……」
一風変わった奇妙な料理。
……にしても、この立ち昇る香りは空腹に致死的な攻撃を仕掛けてくる。
「と、とても美味しそうですね……」
「どうぞ熱いうちに食べて下さい。もちろん、代金はいただきませんよ」
「ま、まさか。これほどの料理、無料で良いのですか」
どことなく気づいていたが、これほどの料理が無料で構わないというのか。
「ええ、今日は自分がお誘いしたので。……っと、大事なものを忘れていた。ラファエル君に、一応準備していたものがあったんだ」
アロイスは、サービスでありながら、ラファエルに対しても配慮を怠らなかった。
「キミはどうやら生ものが苦手なみたいだったからね」
そう言って、キッチンに戻ったアロイスは、別の取り皿を持ち出してラファエルの前に並べた。
それは、温められた乳白色のスープと、澄んだ飴色のスープだった。
「白いのは豆乳スープで、茶色のスープはダシっていう魚から旨味を取り出したスープなんだ。生卵じゃなくても充分に美味しく食べられるはずだよ」
アロイスは当然のように言ったが、ラファエルは驚いたように訊いた。
「ど、どうしてボクが生ものが苦手だって知ってるの!? 」
「俺の嫁もカントリータウン出身だからそうだけど、地方柄で生食文化が少ないからね。まあ、それ以上に苦手なんだろうなと思ったのは、さっき俺が肉を生で食べた時の表情だよ」
赤身肉を齧った際、ルリアは平然としていた事に対して、ラファエルは少し緊張したような面持ちだったことに気づいていたのだ。
「あれだけで、バレちゃってたんだ……」
「恥じることじゃないさ。ちなみに、苦手というだけで、お腹を壊したりするわけじゃあないんだろう? 」
「うん。たぶん、大丈夫だと思う」
「じゃあ、もし良ければ卵黄でも食べてみると良いかもしれないね。……と、話しが長くしちゃいけないか」
話を切り上げたアロイスは、アツアツのうちに食べて下さい、と二人に言った。
「はい。それでは、いただきます」
「いただきます! 」
ルリアは備えられたトングを握り、クマ肉と野菜を、それぞれの皿に取り分けた。
当然ルリアは溶き卵を、ラファエルはダシのスープを選ぶ。
そして、二人は肉と野菜を浸してから、それを一気に頬張った。
―――すると。
「な、なん……! なんとも、これはッ…… 」
「美味し……! 」
それは、上手く言葉選びが出来ないほど、表現が出来ないほど、あまりにも美味であった。
甘く煮込まれた肉は程よい脂が乗って非常に柔らかく、頬張った瞬間、旨味が舌いっぱいに拡がっていく。
また、溶き卵やダシのスープは、甘く煮詰めた食材たちのクドさを軽減してくれるために、程よい甘味へと変貌する。つまり、相性が抜群ということだ。
「肉も然りだが、この野菜たちも非常に味が染みていて、とても旨い……っ」
「こ、こんなに美味しい料理、初めて食べた! 」
あまりの美味しさに手が止まらなくなる二人。
アロイスはその様子に満足そうな表情を浮かべた。




