後編
長くなりました。
前回では、鎮魂昇神の話に跳んでしまいました。
しかしその話をしないと始まらないので、ご了承ください。
そして、これから扱う題材に東日本大震災と熊本地震も挙げますので、同様にご了承ください。
今までの流れで、何処に逃げれば良いのか、大体予想出来てると思います。
答えは神社です。
正確には神社の敷地です。
確かに地域で、ハザードマップを出してますが、土地勘の無い人間には理解し難いと思います。
それに比べて、神社なら調べ易い上に、観光の一環に組み込めるので下調べも簡単です。
そして、それは既に実証されてます。
皆さんも驚愕しショックを受けたあの東日本大震災です。
あの大震災の中で、神社周辺は被害が少なかった事は事実ですし、神社に避難して助かった方も大勢います。
三陸地方は、昔から地震と津波に晒され、その度に立ち直ってきた、気骨心に溢れた人々が住む土地です。
神社も同じく災害の度に、建立し直され語り継がれてます。
言わば命と世代が繋いタスキだと私は思います。
そして、私もそれを実体験したので確信を持って言えます。
何故なら、私は熊本地震の際に、阿蘇市にいたからです。
更に言うなら平成24年の九州北部豪雨の際も阿蘇で体験しました。
そして、今書いている知識は、災害の時に一緒にいた友人から教えて貰った事を、自分なりに調べて、整理して文章にまとめてます。
九州北部豪雨の時は、阿蘇市の阿蘇駅周辺にいました。
あの時は、ハッキリ言って床上浸水する程の水害だったとは、気が付きませんでした。
友人曰く
「阿蘇の坊中は、寺や神社が沢山あるから心配無い。もし坊中が沈んだら大水害」
(方言は解り難いと思うので、言い換えてます。)
後で知ったのですが、確かに阿蘇の坊中は、西巌殿寺を中心に寺社仏閣が沢山ありました。
そして、坊中以外の地域は酷い有り様でした。
温泉で有名な内牧は、既に川が氾濫して冠水し、住民は市立体育館に避難してました。
阿蘇神社のある宮地に行く道や集落は冠水して、回り道をしました。
不思議な事に阿蘇神社周辺は大丈夫でした。
それでも、山に近い集落は土砂崩れに巻き込まれ、死者行方不明者が50人近く出ており、酷い有り様でした。
この時は友人の言っている事に半信半疑でした。
友人は頻りに電話をかけて、阿蘇神社か宮地中学校に行けと言い、そして国造神社はどうか?とも訊ねてました。
そして、四年後の熊本地震です。
あの時は友人は仕事に出ており、友人宅で、友人の家族と共に帰りを待ってました。
夜中の一時半位だったと思います。
強い揺れを一瞬感じると、後は揺さぶられるまま、椅子にしがみついてました。
そして揺れが収まり、十分もせずに友人が帰って来ました。
友人曰く
「死にたいのか?さっさと財布を持って家を出るぞ!」
(かなり汚い言葉なので、優しく書き換えました)
向かった先は、何と阿蘇駅の近くにある道の駅でした。
私は車中泊をする事になったのです。
あの時、友人に煙草を吸いながら訊ねました。
何故坊中?
水害と同じで、坊中は災害に強いから。
只、地盤は強くても家屋は危ない
。
学校や地域医療センターは、自衛隊や支援者。そして避難した人で一杯になる。
ならば広くて安全。水分補給も出来て用も足せる。しかも色々とアクセスの良い、坊中にある道の駅が一番。
何より山が見える。
友人は阿蘇山を心配して寝ずの番で。
私もそれに付き合い夜明けまで、阿蘇中岳を見てました。
(暗くて解りませんでしたが)
そして、友人は夜明けと同時に、チャリンコで、県外に出る道を偵察に行ってくれました。
山が鳴って赤くなったら、速攻で内牧経由で、阿蘇神社方面に逃げろと言い残してです。
後で聞いたのですが、友人は滝室坂と呼ばれる県外に出る峠道を、見に行ってたそうです。
山が鳴って赤くなるは、そのままの意味で火砕流を心配しての発言でした。
車でなくチャリンコなのは、小回りが利くし、無くしても惜しくないからだそうです。
お陰で、私は大分に抜けて避難する事が出来ました。
友人は地震より、山を恐れていました。
友人曰く
「地震は広い所にいれば一先ず大丈夫だが、火砕流や火山弾は、車にいても一発で死ぬ」
そして私は、阿蘇大橋の崩落と南阿蘇の惨状に愕然とし恐怖しました。
何故なら私は友人に会った後、立野経由で、益城町に行くつもりだったのです。
立野とは、阿蘇大橋が崩落した地名です。
後で知ったのですが、見た事の無い雲が出ていて、空気もおかしいから、何と無く引き止めたそうです。
お前は鯰か!と突っ込みを入れたのは、当然です。
友人の見た事の無い雲とは、震災雲の事だと思います。
私は友人の知恵と経験と意味不明な感に助けられたのです。
(最後は納得しかねますが)
そして、東日本大震災の「神社の奇跡」や「釜石の奇跡」の記事で、私は先人の知恵と経験に助けられたと改めて確信しました。
何故なら、釜石の奇跡も神社の奇跡も、先人達が繋いだ知恵で助かったのです。
そして私です。
異変を見抜き、避難場所を的確に示す友人。
規模や場所は違いますが、間違い無く、先人達の知恵と経験が、私を生かしてくれました。
最後に
私は友人に来ないか?と誘いました。
しかし友人の答えはノーでした。
友人曰く
「48時間我慢すれば、必ず何とかなる。ガソリンとタバコがあれば勝てる」
何処の世紀末戦士だよと突っ込みを入れました。
しかし確かに、その通りでした。
私が避難して入れ違うように、自衛隊が続々と阿蘇に入り、大規模な救助基地を中学校や小学校に作ったそうです。
今でも親交がありますが、賢いのか適当なのか相変わらず謎です。
只、残念な事に友人は今は入院しています。
色んな無理が祟ったのでしょう。
お見舞いはこれです。
見せたら、どんな反応するか楽しみです。
かなり話が脱線しましたが、これが避難場所に、神社の境内と答えた根拠になります。
脱線に脱線を重ねましたが、要は旅先で最後は遭ったら、歴史ある神社の敷地に逃げ込み、救助をまてと言う話です。
只、大切なのは歴史ある神社です。
近代以降に建立された寺社は、信用できません。
そして状況次第でと、但し書きも付け足します。
避難の基本はやはり「遠くへ高くへ」が基本です。
避難場所の指針の一つとして、神社の敷地を推薦しているだけで、必ず安全とは言えません。
逃げ込めても安心せずに、状況を見て判断してください。
天災は、必ず人の上を行くと意識してください。
何度も言います。遠くへ高くへが基本になります。
改めて、哀悼と敬意をこめて。




