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千年の竜血の契りを、あなたに捧げます  作者: 凛子
第四幕:黄金の竜
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173 追想__青金石の贈り物


* *


「……そろそろか」

 と、アルジャダールは独りごちた。窓向こうの冬空には、海鳥(メジー)が列をなして飛んでいる。テナンの風物詩ともいえる光景だった。

 産卵のため、極寒の地を越え渡り来るあの鳥の名を、メルトローでは何と呼ぶのだったか。


 着任から三月(みつき)。総督として渡り来たタントルアスは、テナン領地を急速に掌握しつつある。

 積雪のある北西部まで、何度も単騎で通っていたかと思えば。そこに住む領民たちと結託し、なにやら海岸線の岩山を探っているらしい。



 風景画に混ぜこんだいくつもの手掛かりを、あの王女は察知したのだ。



 アルジャダールは知っていた。テナン北西部に存在する〝もの〟の真価を。そして、それを知ったなら、タントルアスは喉から手を出し欲するであろうことも。

 北西部に存在するもの――それは、未だ誰にも知られてはいない、鉄鉱脈の存在だった。


 手付かずに放っておいた。もとい、隠していたのには理由がある。鉄の産出は狭小領にとって、負の遺産(たから)ともなりかねない。若く力の無いテナン領土において、鉄の存在はまだ諸刃の剣なのだ。


 産鉄を保護し、育てていくには途方も無い時間と金がかかる。たとえ手間と苦労を惜しんで実用にこぎつけても、横から他勢力に(かす)め取られることさえ珍しくない。


 だが――、とアルジャダールは考えた。タントルアスの庇護下ならば。少なくとも、尾にたかる(はえ)は払うことができるのではないか。メルトロー王国という軍需(ぐんじゅ)国家を背景に、彼女本人の力も強大だ。そんなタントルアスが手がけるものに対し、欲を働かせる愚か者は少ないはず。


 目下の問題は資金源。帝国本土はまだ、遠地ともいえるテナン領土にまで、手を回しきるつもりがない。

 北方地帯の武力衝突は、一時的に鎮火した。とはいえ、防御への備えを削ることはできない。海を隔てた南方諸国との貿易も、軌道に乗ってきたばかり。手間暇のかかる〝未来への投資〟は二の次だと、皇帝の考えは(かたく)なだ。



 アルジャダールは外套を着込んだまま、自室の窓辺に立っていた。

 久しぶりに戻るテナン領地だったが、長居をするつもりはない。弟の執務室にさえ、顔を出さずに本土に戻る予定でいた。

 ジャロディインはタントルアスの企みに加担させられ、手を尽くしてやっているとも聞く。訪ねて行ったたところで、在室はしていないだろう。


 馬の合う二人でよかった。と、アルジャダールは思う。統治者が二人になれば、何かしらの軋轢(あつれき)が出てこように。ジャロディインとタントルアスは、未だ意見を割ったことがないようだ。


 ならば二人の推進力に()けてみようではないか。



 本来、テナン領土は防衛における緩衝(かんしょう)要所(かなめ)となる位置にある。四方を海に囲われ、東側に本土、西にリマ王国、そして北にメルトロー王国を(のぞ)む形だ。


 理想だけを唱えるなら、近接するリマ王国とメルトロー王国、どちらの天秤にも重石を置くべきではない。他国との均衡をはかり続けることが重要なのだ。どちらに対しても、常に様子を見させる(、、、、)。そうなって初めて、緩衝としての役割が成る。


 テナン領土に手を出せば、他国が黙っていない状況。それを作り出すために、アルジャダールは奔走しているのだった。




 北西部の産鉄に、タントルアスは自らの意思で関与して欲しい。アルジャダールは願っていた。そのほうが、すべて判ったうえでの〝援助〟より、よほど意欲的にことが運ぶはず。


 腕っぷしで名を()せた豪傑の王女。だが、知性においても甘く見てはいられない。

 タントルアスはあの風景画の数々を、「ただの贈り物だ」と片付けなかった。

 偶然にせよ意図的にせよ、アルジャダールが投げかけた謎は解かれたのだ。




 雪が舞い始めていた。

 綿花ほどもある大きさだが、地を覆うほどは積もらない。北風が強く吹き、領土の隅々まで冬を運び込む。それがテナンの冬だった。


 アルジャダールはふと、遠くの音に目を細めた。がつがつと騒々しい足音が、廊下をかき鳴らして近づいてくる。

「兄上!」

 ジャロディイン、と応えるまでもなく。開け放った扉もそのままに、ジャロディインが現れる。戻ったなら声をかけて欲しいだの、いったいどこをほっつき歩いてただのと、弟は不平だらけの挨拶を並べた。

「それと本題ですが、北西部の沿岸から鉄が出ました」


「そうか」

 抑揚なく応じたアルジャダールを、ジャロディインが見つめる。(いぶか)しんだ眼差しだった。

「まさか……知っ」

「知るはずがなかろう。おまえたちの気づきによる発見だ」


 食い気味にしらを切り、アルジャダールは弟の肩に手を置く。

「よくやった。兄は嬉しい」

「……兄上、俺ももう子供ではないのですよ」

 ジャロディインが苦々しく言う。

「兄上の手のひらで動くことは慣れているつもりです。が、もう少し打ち明けて下さらないと、こちらもやっていられない」


 ジャロディインはそう言って、肩に置かれたアルジャダールの手の上に何かを乗せた。硬い感触だった。目線をやって、アルジャダールは眉を動かす。

 弟が手の甲に置いたのは、拳ほどの大きさの木箱だった。


「シフィーシュから兄上に、だそうです」

シフィーシュ(、、、、、、)?」

「タントルアス殿下の次名(つぐな)です。日常では次名をお呼びするのだと聞きました」


 ご存知なかったのですか。弟の疑問を聴き流し、アルジャダールは木箱を持ち上げた。なんの装飾もない、簡素な作りのただの箱。だが、蓋を開けて中身を見た時、



 ――テナンの地は、空も海も美しい。これを貴方の描く美しい〝青〟の足しにしてください――



「……兄上?」

 一文に添えてあったのは、青金石(ラピスラズリ)の原石だった。顔料の元ともなる原石は希少で、イクパル帝国内でも産出が難しい。その瑠璃の色を見て、アルジャダールは目を丸くする。


 世辞にも美しいとは言いがたい、大雑把な字だった。その片隅には、鳥の絵が描かれている。これもまた随分と大雑把な絵だったが、かろうじて海鳥だとわかった。その横に加えて、「故郷で見た海鳥(シュヴァン)の旅先は、此方(こちら)だったのですね」と書かれている。



「ああ、」

 とアルジャダールは呟く。メルトローでは、あの鳥を指して〝シュヴァン〟と呼ぶのだった。

 そうして弟が笑う声を聴き、アルジャダールはようやく視線をジャロディインへと向けた。


「……なるほど。兄上のそのような顔を初めて見ました」

 アルジャダールは小さく笑った。

「奇怪な顔でもしていたか」

 手近な紙片を探して、返事を書きつける。アルジャダールはそれを弟に手渡すと、着込んでいた外套を外した。


「弟を伝書鳩代わりに使うのも、どうかと思いますよ」

 皮肉めいた言葉とは裏腹に、ジャロディインは楽しげな顔をする。

「兄上は昔から、なんでもかんでも俺に押し付けすぎです。たまにはご自分で行動なさって下さい」


 〝好ましいと思うものと、距離を置こうとするのは悪い癖だ〟

 と、ジャロディインは指摘する。そして、北西部の状況を詳しく語った。まずは産鉄の許可を、タントルアスが求めているらしいこと。問題視していた資金については、彼女はあっさり「私財を使う」と宣ったこと。


 アルジャダールは観念して頷いた。

「わかった。おまえたちの〝楽しい企て〟に、俺も加わることにしよう」



 興味深い娘だ、と感じた。それが紛れもない好意で、打ち明けるべき感情だとは思わなかっただけだ。 

 タントルアス王女はジャロディインに(めあわ)せるべきで、そのほうがこの先のイクパルに最良だから。アルジャダールはそう考えていた。


 関われば、きっと策士ではいられなくなる。



「では兄上のご滞在を、シフィーシュに伝えて参ります」

 ジャロディインは足取りも軽く、部屋を出て行くのだった。


 アルジャダールはひとつ息をつくと、木箱からラピスラズリを取り出した。手の上に転がせば、ずっしりと重みが加わる。美しい石だった。顔料に加工するのは骨の折れる作業だが、苦には感じない。


 そうして数日ののち。アルジャダールは寝食を忘れて没頭し、新しい絵を描きあげたのだった。


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