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第94話 ぷろぽーず

 水平線が見えるようになって、武蔵はようやく自分が眺めていたのが海だったと思い出した。

 結局、ロースムが言っていた希望とは何なのかわからず、うじうじと悩み通しているうちに夜が明けてしまった。


 会せる顔がないと出て来てしまった。しかし会わせる顔は、どうやったら取り戻せるかなんてわからない。

 結局のところ、それはパールの治療方法を見つけるしかないのだ。でなければ武蔵はずっとパールが死ぬことに怯え続ける。そんな姿をパールに見せるわけにはいかない。だって今一番つらいのはパールのはずだから。


 それなのに――


「あっ! いたよ、パール!」


 その名前を他人から聞いただけで怯えてしまう。

 驚いて振り返ると、そこには手を振るサラスと、その後ろにまるで隠れるようにしているパールがいた。


「もうっ、なにやってるの、パール?

 ムサシと話するんでしょ?」

「え、あっ、でも……」

「ほら、大丈夫だから、行くの!」


 力強く押されて、パールはつんのめりながら近付いて来る。

 どこか怯えた様子のパールに、自分も似たような顔をしているんじゃないかと、武蔵は無理やり微笑んで見せた。自分は大丈夫だから、パールが気を遣う必要ないんだと言うように。


「……もう、動いても大丈夫なのか?」

「あ……うん……」

「そっか……それはよかった」

「うん……」


 沈黙が流れる。

 武蔵もそれ以上なにを言っていいかわからなかったし、パールも気まずそうに俯いていた。

 まるで初めて会ったときのような――それ以上の緊張感を感じながら、武蔵は懸命に微笑みを作った。内心ではどうしたらいいのだろうと、昨晩から考え続けてきたことを再び考えていた。


「……あの……ごめんなさいっ!」

「えっ――」


 堂々巡りする思考から抜け出せないでいると、先にパールが勢いよく頭を下げていた。


「ええっと……なんのこと?」

「わ……わたし……ムサシくんに、ひどいことしたから……」

「酷いこと……あー」


 本当に何のことを言われているのかわからず、一瞬考えてから思い出す。

 昨晩、パールは武蔵のことを殺そうとしたのだ。武蔵と心中しようとしたのだ。

 ただそれを快く受け入れてしまった武蔵としては、それが酷いことだったとは今の今まで感じてはいなった。


『……オマエは、パールに、こんな気持ちを背負わせんのか?』


 今更ながらにその言葉が真に迫っていたのだと実感する。

 パールに重い決断を迫らせてしまっていたのだと後悔する。


「……それを謝らなきゃいけないのは、俺の方だよ。

 ……俺はあの時、パールを叱ってあげなきゃいけなかったんだ……」


 そうすればきっとパールが今苦しむことはなかった。


 しかしパールは武蔵の言葉に首を振る。


「私は……もう怒られてるから……ムサシくんに……サティにも……」


 それは武蔵も同じだった。

 大切な人を失うことがこんなにも苦しいことなんだって知らなかった。パールが暴走していたときに、偉そうにわかったような口を利いていたのだと思い知られている。


 微笑んでなんていられなかった。口角はいつの間にか苦痛に歪んで、ただ泣くことに耐えていた。

 だから、一つだけ、パールに甘えた。


「――パールは、俺と一緒に、死にたい?」


『あのね、わたし、死ぬことは怖くないよ』

 以前のパールはそうあっけらかんと言ってみせた。

 だけど今のパールは――。


「……あのね、ムサシくん……これ、受け取って欲しい」

「えっ?」


 想像していたどんな答えとも違う返しに、武蔵は戸惑う。

 パールが差し出して来たのは大小二つの歯車だった。恐らく二軸の歯車だったであろうそれを、どういう意図で渡そうとしているのか、武蔵が困惑していると、


「これ……ぷろぽーず」


「……あ――」


「わたしは、ムサシくんと、一緒に生きたい」


「―――――」


 それは指輪だった。

 誰がなんと言おうと、それは結婚指輪だ。

 武蔵がパールに教えた、結婚指輪だ。


 恐る恐る手を伸ばす。

 それを受け取るために伸ばした指先は、彼女の手のひらに触れて、


「――――あぁ」


 温かかった。

 とてもとても温かかった。


 その温もりを逃さないように、両手で指輪ごとパールの手のひらを包む。


 それは祈りのような姿だった。


 そう――武蔵は祈った。


 この温もりが決して消えないことを祈った。


 そして絶対に救ってやると誓った。


 諦めるなんて馬鹿な考えだった。


 この温もりを諦めることなんてできるわけがなかった。


 涙を堪えることを止めて、武蔵も答えた。


「俺も、パールと、一緒に生きたい」


 それは誓いの言葉だ。


 もう諦めない。


 健やかなるときも、病めるときも、

 喜びのときも、悲しみのときも、

 富めるときも、貧しいときも、

 彼女を愛し、彼女を敬い、彼女を慰め、彼女を助け、

 その命ある限り、真心を尽くすことを誓う。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




「……今なんとおっしゃいましたか?」


 義足を装着するのに集中し過ぎて聞き漏らしたわけではない。

 サキはそんなミスはしない。事実、今まで一度だって”あの人”の言葉を聞き返したことなんてなかった。

 それだけ今の言葉がサキには信じ難い言葉だった。


 ”あの人”が戯れを口にすること自体珍しくない。

 それは三百年という人の命から見れば悠久に近い時を過ごしてきた退屈さからきているのかもしれない。

 多少の戯れならサキも喜んで従おう。

 しかしこの頃の言葉は戯れなのかどうか判断に悩む。

 少なくとも、今の言葉はどうか戯れであって欲しいとサキは願う。


「娘が癌を患ったようでね。すぐに医療班を組織して欲しい」

「娘とはどなたのでしょうかっ?」


 間髪入れずに問う。

 その回答がさらに自分を追い詰めるものだと予期できていても、訊かずにはいられなかった。


「当然、私のさ」

「―――――」


 受け入れられない言葉に、サキは頭を抱えて蹲るしかなかった。

 生まれて間もなくに失敗作として、”あの人”の中では初めからいないものとして無視してきた。それを今になってどうして認めるのか――?


「君が動かないのなら、私が動こう。さて、すでに使わなくなって久しいが、抗がん剤くらいはどこかに残っていたかな」

「――お待ち下さい!!

 あれは貴方の娘なんかではありません!! それは貴方が一番よく理解されているはずです!!」


 サキとしても必死だった。

 パールを助けること自体はまだいい。サキとしても、パールが完全にレヤックの力を操れるようになるのなら、彼女の希望も叶うかもしれない。

 しかし”あの人”が彼女を娘として認めることだけは許せなかった。


「……血の繋がりがないことなんて、ささやかな問題だよ。

 あの子の母親が私を父親と教えて、そしてあの子は私を父親と呼ぶ。それだけで十分じゃないか」

「―――――ハ?」


 ――チチオヤトヨブ。ソレダケデジュウブン?


 今更なにを言っているのか。

 呼ぶだけでいいのなら、自分はどうなんだろう。

 呼ぶことさえ許されない自分はどうなんだろう。

 妻として、ただ夫を愛しい人と呼ぶことさえ許されなかった。

 呼べば変わるのだろうか。帰ることを諦めて、ここで人並みの幸せを享受してもらえるのだろうか。

 ここで”あの人”の名前を、愛おし気に呼べば――。


「それに事実、あの子は私が作ったんだからね。

 あの子は私の娘で問題ないじゃないか。ねえ、ケイ(・・・・・)?」

「―――――。

 はい、そうですね、お兄様(・・・)

「私は一度、ニューシティ・ビレッジに戻るよ。

 その間の観察は君に任せるよ」

「はい、いってらっしゃいませ、お兄様」


 ”あの人”がいなくなっても、夜が明けて辺りに光が灯っても、サキは動けないでいた。

 またどこかに深刻なエラーが発生したようだった。心がシャットダウンしていた。

 きっと”あの人”が帰って来るまで凍ったように動けないでいたであろうそれを――


「……あ? もしかして立ったまま寝てるっすか?

 不気味な特技っすね。早く起きるっすよ」


 巨大な荷馬車に乗ってやって来たクリシュナの言葉で氷解する。


「……クリシュナさん?」

「言われた通り、荷物持ってきたっすけど、もしかして寝ぼけてるっすか?」


 その小さな身体で操るにはあまりにも不釣り合いな馬をいなしつつ首を傾げるクリシュナが、サキはなんだか愛おしくて堪らなかった。


「……ねえ、貴女、わたくしの娘になりませんか?」

「……やっぱ寝ぼけてるっすね。

 はっ、家族なんてろくでもねーことばっかっすよ。

 それが本心でもお断りっす」

「――ふふ、貴女はやっぱり可愛いですね」

「どうでもいいっすけど、早く次の指示! コイツを暴れさせるんすよね?」


 それが待ち切れないとばかりに、子供のようにクリシュナは急かす。そういう素直な反応を示すところも、また可愛いと思う。

 サキはそんなクリシュナの様子と、これから起こる素敵なことに、先ほどまでの暗澹たる気持ちが押し流されていくのを感じた。


「ええ、そうですね。”あの人”がいない今のうちに、ムングイを吹っ飛ばしてしまいましょう」


 爆弾一つで全て解決――これほど簡単で爽快なことはない。

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